呪詛 16

 顔を自分で焼いて川で死んでいた女の子かもしれない、そう思うとその後の言葉が出てこない。それに——


 ——その時の映像もこの後に……? そんな、いやっ……!


 頭の中で勝手に想像が先走る。ガソリンを頭からかぶって自分の顔に火をつけ、もがき苦しみながら川まで走っていく女の子。そんなものは想像なんてしたくないのに、脳内では叫び声まで聞こえてくる気がした。


 ——酷い、そんな想像やめてっ!


 血走った赤い目、開ききった瞳孔。私を睨み付けるようにスクリーンの中の目玉がぎょろぎょろっと動き、目が合った気がした。リカさんの話が本当ならば、この後でこの子は死んだのだ。


 ——見ないでっ! こっちを、見ないで! 


 もうこれ以上、見ていられないと思った瞬間画面は切り替わり「はぁ〜」と息を深く吐いた。じっとりと湿った掌をズボンに擦り付けた後で、行き先のない両手を祈るように組む。映像は、薄暗いキャンプ場の様子を映し出している。黄昏時の深い緑に囲まれた渓流沿いのキャンプ場、それはまるで今いる大蛭谷キャンプ場のようだと思った。でも——


「川の形状がこことは違うから、これはここのキャンプ場じゃない——」と、隣に立っている良雄さんが呟く。そうか、と隣の良雄さんの顔を見ると、良雄さんはみるみる眉間にしわを寄せ、「嘘だろ……」と小さく言ったかと思うと、画面に走り寄って映し出される映像を見上げて立ち尽くした。その様子に驚いて、急いで視線をスクリーンに向ける。画面には肩を出した水色のワンピースを着た女の子が映っている。暗い河原を歩いているような映像。ふらふらと歩く女の子は酔っ払っているのか、足取りがおぼつかず、時折転びそうになっている。


「嘘だろ……、嘘だと言ってくれ……」


 良雄さんは何度も口に出しながらその映像を見続けて、両手で顔を塞いだかと思うと、「う゛うぅ」と声にならない声を出し、画面に向かい大きな声で叫び始めた。


「なんでだよっ! 姉ちゃん、なんでっ!? なんで、ここに姉ちゃんが映ってるんだよっ!? これは、これはっ、どういうことなんだ?! なんなんだよ、なんでなんだよぉ! 姉ちゃん! なんでこんな奴らとこんなとこにいるんだよっ! じゃあなんだ!? ここで姉ちゃんは行方不明になったってことなのか?! 嘘だろ姉ちゃん! なんでなんだよっ! なんでこんなとこに来てんだよぉっ! あ゛あああぁああぁああぁー!」


 良雄さんは床に叫び声をぶつけ頭を抱えながら狼狽える。その尋常じゃない良雄さんの豹変ぶりに頭の中が追いつかない。


 ——良雄さんのお姉さんが今映っているこの女の子……?


 良雄さんは壊れた方位磁石の針のようにぐるぐる動きながら、また声を上げる。


「ちょっと待てよっ……! 意味がわからない! なんで、なんでなんだよ?!じゃあなんだ!? 俺も、俺も、なんでここにいるんだって話だろっ?!」


 頭を抱えながら狼狽る良雄さんのあまりの取り乱しように、唖然となってその様子を見ていると、画面はどこかのテントの中に入ったのか、シアタールームが真っ赤に染まっていく。ランタンの明かりが見え、床に倒れ込む水色のワンピースを着た女の子。そこに筋肉質な手が伸びていく。まさか——


 ——嫌な予感がする、これってっ……!


「やめろ!」とスクリーンに向かい良雄さんが叫ぶけれど、映像は止まることなくその続きを映し出す。意識が別の場所にあるようなとろんとした目をした女の子は嫌だと顔を横に振り、「やめて」と声を出しているように口を歪めた。その口を誰かの手が塞ぐ。


「やめろ、やめてくれぇ! やめろぉー!」


 良雄さんが何度も叫ぶけれど、カメラは嫌がる女の子の服が乱暴に脱がされていくところを映し出している。もうひとり誰かがいるのだと思った瞬間、画面が動き、女の子に襲いかかっている男の顔が見えた。太り気味の丸顔の男性が気持ち悪く笑う、その顔に、見覚えがある。


 ——水野さんだ……。


 水野さんは嫌がる女の子の口を手で押さえながら洋服を捲り上げ、下着を剥ぎ取ると、容赦無く身体をむさぼり始めた。良雄さんの声にならない声がすぐ側で途切れることなく聞こえ全身に染み渡っていく。音声のない映像聞こえないはずの女の子の声が頭に浮かび上がり、映像の女の子に自分がクロスしていく。


 ——痛い、やめてぇ、いやだぁ、助けてぇ……。


 女の子が嫌がれば嫌がるほどに喜んでいるような顔をする男、それを撮影しているカメラのアングルが悲痛なほどにいやらしく、全身から嫌悪感が溢れ出しもう限界だと目を画面から背けた。良雄さんは画面に向かって叫び続けている。


「ふざけるなっ! なんでそんなことするんだよ! なんでそんなことをするんだよ! 止めろ止めろ! 止めてくれ! 俺の姉ちゃんになんてことするんだよ! やめろって、やめてくれよ! やめてくれぇー!」


 シアタールームに良雄さんの悲痛な叫び声が響きわたると、それをかき消すように今度は映像の音声が流れてきた。激しく高鳴る心臓のように低音が響くダンスミュージック。その中で聞こえる女性の嫌がるような声、笑ってそれを犯し続ける男性の声、「たまらねぇ」と誰かがいい、「次は俺の番だと」聞こえた時は、目を背けていても画面が切り替わったのだと分かった。


「う゛うううう」と声を出しながら良雄さんが膝から崩れ落ち、頭を抱えて蹲っているのが視界の隅に見える。シアタールームに響く男たちの声に混じり、良雄さんの悲痛な呻き声が聞こえてくる。どうしたらいいのかが分からない。どう言うわけでこうなっているのかも分からない。でも分かることはただひとつ——


 ——良雄さんのお姉さんは、昔、水野さん達に……。


 良雄さんの「止めろ、止めろ」と叫ぶ声が何度も聞こえ、その声が聞こえるたびに胸が苦しくなる。


 ——良雄さん……。私には何もできないけれど、でも、でも、でも!


 せめてそばにいることはできると良雄さんの元へと駆け寄って、肩に手を触れると勢いよく「触るな!」と振り払われる。それでも良雄さんの背中にしがみついて思いっきり抱きしめた。


「良雄さん、良雄さん、良雄さんっ!」

「触るな! 離せっ! やめてくれっ! もう、本当に、やめてくれよぉ……やめて、くれよぉ……ううううう……」


 良雄さんの身体が熱い。腕の力を強めこれ以上ないくらいの力で抱きしめると、良雄さんは「なんでだよ」と言いながら泣き崩れた。映像から流れる音声は容赦無くシアタールームに響き続ける。「姉ちゃん」と何度も言う良雄さんの声とダンスミュージック以外聞こえなくなったと思ったその時、男性の声が聞こえ、反射的に顔をスクリーンに向けた。女の子のぐったりとした顔が映っている。その目はうつろを通り越していて、口からはだらだらと濁った唾液が流れ落ちているように見える。その後で、ガタガタっと画面が揺れ、女の子の着ていた水色の洋服にカメラが落ち、音声だけがその続きを流す。


『おい、おい、起きろよ! ……や、やべぇ……こいつ息してないぜ……』

『う、嘘だろ……』

『ど、どうすんだよこれ……!』

『か、川に流せば……、誰も気づかないだろ……。みんな頭ぶっ飛んでるし、こんな山奥、普通は誰も来ないって……』

『そ、そうだな……。オーバードーズで死んだって事にすれば……。そ、そう言えば、そう言うの確か去年どっかのパーティーであったよな……』


 ——信じられない! なんてことを!


「許さねぇ……」と、良雄さんが低く呟いた後で、「ぶっ殺してやる!」と叫びながら私の腕を振り払う。その勢いで身体がよろめき後ろに倒れた。良雄さんが立ち上がり、「こいつら全員ぶっ殺してやるからなっ!」と画面に向かって叫んだ瞬間、映像と音声がブツっと切れ、映像がそこで終わったのだと思った。さっきまで見た映像がまだ瞼の奥に残像として残っている。


 ——酷い、こんな酷いことを、なんでできるの……。意識が朦朧もうろうとした無抵抗な女の子を無理やり犯し、川に流せばいいなんて、ありえない!


 どう考えてもまともじゃない、人間の仕業だとは思えない。最大限の嫌悪感、怒りを通り越したえも言われぬ感情につける名前が見つからない。生きていた頃の水野さんや博之さん、ユキヒコさんの顔が浮かび、「お前たちなんて死んで当然だ!」と、心の底から思った。


 映像の消えた薄暗いスクリーンに向かって良雄さんが「絶対にゆるさねぇからな! お前ら全員ぶっ殺してやるからなっ!」と、叫ぶ。それに答えるように「もう死んでるよ」と、木下さんの声がどこからか聞こえた。


「こいつら御面様の祟りでもう死んでるってば」

「どこだ! どこにいる里香ちゃん! この映像はなんなんだ!」

「まさか、良雄さんのお姉さんの映像だっただなんて、私もさっきまで知らなかった〜。本当、こいつら最低だよね。死んで当然の奴らだよ。それに、やっと本気で怒ったね良雄さん」

「どう言う意味だっ! 出てこい! どう言うことなのか説明しろっ!」


「どう言うことってさぁ、見たまんまだって」と、近づいてきた声のする方にすぐさま顔を向けると背の高い人影が見えた。フードをかぶっているのか、その姿が誰のものなのかすぐには分からない。人影がゆっくりとこちらに近づいてくる。


 ——木下さんの声だけど、背の高さが、木下さんじゃない……。


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