御面様の祠 12

 ——プップップップップップップップップップップップッ


「え……?」


 大きな銃声なんて聞こえることはなく、良雄さんの構えていた真っ黒な小型のライフルからは、小さな球が連続して飛び出て、武山さんの頬や胸に直撃していた。


「武山ー! この野郎ー! 成敗してくれるー! 受けてみろー! 痛いかー! これが最強猿威さるおどしライフルだー! 山や川を汚した罰だー!」

「良雄くん僕を、僕を! 騙したんだね!」


 榎田さんが私の手を振り解き、良雄さんの方に向かって行こうとした。その腕をもう一度掴み、力一杯引っ張るけれど、榎田さんの怒りは鎮まるどころか増えていく。「邪魔だ!」と手を振り解かれ、その弾みで地面に転がってお尻に痛みが走った。もう完全に榎田さんは怒りに支配されてしまっている。我を忘れて、「このチャンスを無駄にしやがって!」と怒鳴りつけ、猟銃を良雄さんの方に向けた。


「榎田さん! いい加減にしてくださいよ! 探し求めていた娘さんが見つかった日に、殺人犯になるとかダメでしょ!」

「この日をずっと待ち続けていたんだ! これは御面様の祟りなんだよ!」

「何馬鹿なこと言ってんですか! 祟りで人は死にません!」

「現に朝から人が死んでるじゃないか! 残るはそいつだけなんだ! それに、それにうちの娘を——」

「いい加減目を覚ましてください! 怒りに飲み込まれて頭がおかしくなってるんですよ! それにその猟銃、玉入ってないですから!」

「なにを!? だって、良雄くんはさっき——」

「そう言ったほうがいいかなって、そう言う判断です! それに、実弾は持ってきてないですよ」

「馬鹿な! 箱があったじゃないか!」

「箱? ああ、猟銃のバッグに入っていた箱のことですか?」

「そうだ! その箱は私が拾ってここに! ……って……嘘だろ? アレルギーの薬……?」

「そうですよ。植物でかぶれたり、蜂に刺されたり、症状がひどい時はそれをすぐ飲むんですよ。それ用の薬箱です。それに、取り敢えずの獣撃退なら、この猿威銃で充分効果ありますからね」


「そんな……」と、榎田さんはその場にへたり込んだ。


「子供たちが来る山の家に実弾を置いておくわけないじゃないですか。それに、これでいいんですよ。本当に誰かが閉じ込めて娘さんを殺したならば、それはしかるべきところで裁かれるべきで、今じゃないです。今は、ほら……。二十五年間も探してきた娘さんが置き去りで寂しそうですよ」


「ううう」と榎田さんは声を出して泣き崩れ、猟銃をどさっと草の上に落とすと、祠の前の紺色の雨合羽がかけてあるリカさんの元へと向かった。その後ろ姿は、復讐を成し遂げられなかった怒りよりも、探し求めて見つけた娘が、無残な姿で死んでいたという事実を、もう一度受け止めにいくように見えた。ゆっくりとリカさんを抱きしめ、榎田さんは肩を震わせている。榎田さんがリカさんを探し続けてきた時間を思うと、胸が苦しくなった。どれほど、リカさんに会いたくて、探し続けていたのだろうか。日本全国の山奥の祠を、ただ、聞こえた声だけを頼りに。


 ——お父さん、見つけてくれてありがとう


 榎田さんに抱かれているリカさんの、優しく囁く声が聞こえた気がした。リカさんは二十五年間、ずっと一人きりでこの祠の中に閉じ込められ、誰かが来るのを待っていた。私に聞こえたリカさんの声、それに榎田さんが聞いたリカさんの声は、「はやく私を見つけて」という声だったのだ。そう思った瞬間、私の目からも涙が溢れた。


 この世にもう存在していないリカさんとの時間を思い出す。怪しげなパーティーから逃げ出した私を助けてくれたリカさんは、私の中に確実に存在している。あの戯けたような話し方も、頼りになる姉御肌のような感じも。


 ——いつかホラーな女子会に誘ってね。


 そう言って微笑んだリカさんも、私の中には実在している。その全てが夢幻だとしても、私はリカさんに会って、心を通わせた時間があった。もしもこれが御面様の祟りが生み出したことなのであれば、リカさんが御面様に頼んだのだろうか。「私を見つけて」と—— 


 美穂ちゃんは押し黙り、武山さんも良雄さんも何も言わずに、ただ黙って榎田さんの姿を見つめていた。


 世界はもう完全に色を取り戻し、雨上がりの山の中に光が差し込んでいる。キラキラと雨粒が悲しげに輝き、親子の再会を包みこんでいた。


 榎田さんは、御面様の代わりに祠で眠っていたリカさんをそっと抱き上げ、こちらを向いて涙声で言った。


「もう、終わりです。終わりにしましょう。御面様の祟りのおかげで、娘を見つけることができました。御面様を、祠に、お返しして帰りましょう。これで、御面様の祟りは終わったはずです……」


 どこからか柔らかい風が吹き、風に揺られた葉から落ちた雨粒が、榎田さんが抱きかかえたリカさんの頬に一雫の涙となって流れ落ちていくのが、私には見えた。



 暗いトンネルを抜け、山道を戻り、私たちはNature’s villa KEIRYUに戻る。


 私が運転する榎田さんの車は、時々ガタッと山道に揺れるけれど、助手席の美穂ちゃんはなにも言わず外を見ている。後部座席では、榎田さんが何度もリカさんの名前を呼び、頬を撫でている姿がバックミラーで時折見えた。


 ——瑞希ちゃんの車に私も乗せてってくれる?


 早朝の河原でリカさんに会った時、リカさんは私にそう言った。私の車ではないけれど、私の運転する車にリカさんを乗せて今、Nature’s villa KEIRYUまで走っている。だとすれば。


 ——リカさん、最寄りの駅までではないけれど、お父さんと一緒に家に帰れますよ。私の車じゃないけど、きっとこの方が良かったですよね。


「リカさん、約束守れましたよ……」


 誰にも聞こえないような声で、私は呟いた。


 

 

 Nature’s villa KEIRYUに着いたら、私たちは山の家に向かう。武山さんはひとり、Nature’s villa KEIRYUに残り、警察から色々と事情を聞かれるはずだ。もちろん、私も、美穂ちゃんも、きっと、榎田さんや良雄さんも、すぐに警察に呼ばれるのだと思うけれど、でも、その時に、私はこのことをなんと説明すればいいのだろうか。雷は事故死。それに、頭がおかしくなって死体の首を切り落とした人は自分で濁流に入り、自殺。その他も頭がおかしくなって自分で自分を殺したように見える。どこかに殺人犯がいるわけでもないのに、信じられないような死に方をした人がいる。


 ユキヒコさんと水野さんは、普通の精神状態じゃなく、完全に気が狂って死んでいったし、博之さんは、見えないなにかに怯え、「やめろ」と言いながら、自ら自分の首を絞めて死んだ。どれも、自殺と言うことになるのだろうか。


 ——自殺だと思うような死に方じゃない。


 でも、確かにそうやって死んでいったのだ。私が目撃証人となるならば、この不可解な死をどう説明すればいいのだろうか。もしも警察の人に、私がそれを説明しろと言われたら、言えることは——



 ——御面様の祟りで人が何人も死にました?




 

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