御面様の祠 11

 武山さんが、一歩一歩と後ろに下がるような気配を出している。武山さんはリカさんのことを知っていると言っていた。であれば、ここにいることも知っていたのだろうか。


 ——でも、そんな風には見えなかった。


 背中で武山さんの気配を感じていると、榎田さんは着ている紺色の雨合羽を脱ぎ、赤いワンピースのリカさんにそっと被せて地面に寝かせた。その後で、ゆっくりと身体を動かし、良雄さんのもとに向かったかと思うと、猟銃が入ったバッグを良雄さんから勢いよく奪い取り、ありえないような速さで猟銃を取り出して武山さんに銃口を向けた。猟銃が入っていたバッグから、小さな箱のようなものが草むらに落ち、榎田さんはそれを片手で拾い上げ上着のポケットに入れる。


「お前のせいだ。お前たちのせいだ。なんでこんな所にうちの娘がいるんだ? 誰かがここに閉じ込めたから、ここに梨華がいるんだろ?」

「おぇは、いぁない……、おぇは、いぁない……」

「じゃあなんで、お前たちがお面を持ち去ったこの祠の場所に、梨華がいるんだ。お前たちの誰かが梨華を閉じ込めたから、梨華はここにいるんだろ? それに、そこの霧野さんが言っていた話だってそうだ。あれは、お前たちの話なんだろう? 美代さんの言った通りだった。美代さんの言った通りに、祠を探したら、ずっと探し続けていた梨華を見つけることができた。それに——」


 榎田さんは武山さんに向かって歩き始める。その顔は怒りに満ち、一歩一歩、榎田さんが歩みを進めるたびに、身体全体から恐ろしいエネルギーが靄となって、ゆらゆらと出ているような気さえした。良雄さんが榎田さんのそばにいき、「榎田さん、やめてください!」と、腕を掴もうとするけれど、榎田さんは良雄さんに猟銃を向け、威嚇する。


「悪いね、良雄くん。娘が行方不明になって二十五年。僕は梨華を探し続けてきたんだよ。愛する娘がいなくなった、絶望という暗い闇を抜けて、今、娘を見つけ出し、娘を殺した奴が目の前にいて、冷静になんてなれると思うかい?」

「でも、榎田さん!」

「でもじゃない! 子供のいない君にはわからないだろうね。親が子供のことをどんなに愛しくて、どんなに大切に思っているかが!」

「それくらい子供がいなくても僕にも分かりますよ!」

「わかるわけないっ!」


 狂気に満ちた榎田さんに恐れ慄いた武山さんは、後退りをしながら何かに足が引っ掛かったのか、どさっと地面に倒れ込んだ。草の中から真っ赤に腫れ上がった顔だけを出し、武山さんが聞き取りにくい声で「知らない」と榎田さんに訴えている。


 ——その人じゃない


 リカさんの声が頭の中で聞こえる。リカさんは違うと言っている。きっと、リカさんは私に榎田さんを止めて欲しくて——


「榎田さん、何かの間違いかもしれないですよ。今、リカさんの声が聞こえた気がしたんです! その人じゃないって、だから——」


 榎田さんは、首を振り、私の言葉を遮るように話し出す。


「霧野さん、もうこれは、美代さんが引き合わせてくれた奇跡なんだわ。霧野さんに話した、あの、ある日僕が聞こえた女の声はね、私を探してと言ったんだ。私の醜いお面を探してと、悲しげな声で、僕に何度もそう言った。その声は聞き間違えることのない、娘の声だったんだ。だから僕は全国の祠を探し歩いた。でも祠は見つからないし、御面様だって見つからなかった。車の中でした話を覚えているかい? 下の娘が出会わせてくれた美代さんという女性はね、山奥の村で代々巫女をしていた家系でね。梨華がどこにいるのかを霊視をしてくれたんだよ。そして、僕に教えてくれたんだわ。梨華は必ず見つかると。今探している祠にたどり着けば、必ず見つかると。だから、それまでは、梨華のことは誰にも言っちゃあいけないと。誰かに言ったら、その瞬間に、梨華が見つかる道はなくなると——だから、僕は誰にも言わずにひとり探していたんだわ。愛する娘を——」


 榎田さんが武山さんに銃口を向けたまま、「良雄くん、玉は入っていないんだよね?」と聞く。良雄さんはしばし押し黙り、榎田さんがもう一度「良雄くん!」と呼ぶと、「玉は……入っています。獣がいたら追い返さなきゃいけないんで……」と、考えた挙句に答えた。榎田さんは「ほう」と声に出し、武山さんに「聞こえたかい?」と問いかけた。


 武山さんは怖くて動けないのか、必死に「俺は知らない」を、声にならない声で言っている。


 ——このままじゃ、榎田さんが武山さんを猟銃で……


 そんなことをしたら榎田さんが殺人犯になってしまう。そんなことをリカさんはきっと望んでいない。だから私に話しかけてきたのではないか。そうだとしたら——止めなくては!


「榎田さん! 武山さんじゃないですよ! リカさんの声が頭の中で聞こえたんです。その人じゃないって。そう、私には聞こえたんです! それに——」

「霧野さん! 実はね、今日の朝、雷が落ちて人が死んだと聞いた時にね、僕は思ったんだわ。美代さんが亡くなったと知った後の雷、あの雷に乗って美代さんの魂がすぐそばに来てくれたんだって、そう思ったんだわ。だから僕はね、今度こそ、祠を見つけれる気がしていたんだわ。そうしたら、どうだい? 木下さんがやってきて、武山さんの古い友人があの施設に閉じ込められているって言うじゃないか。僕はね、最初、それは難儀なことで、何かできることがあれば手伝ってあげたいって、本当にそう思っていたんだよ。ところがどうだい? 次に霧野さんが美穂さんを連れてきた時に聞いた話だと、死んだのはどうやら最低の奴らで、それに——」


 榎田さんはガチャっと金属音を出して猟銃を触り、いつでも射撃できそうな体制になると、今度は片目をつぶって武山さんに銃口の先を定めた。話が通じるようなまともな榎田さんじゃなくなっている気がする。山の家で初めて会った時に感じた、真面目な優しいおじさんの雰囲気はもう榎田さんからは出ていない。怒りに飲み込まれた鬼のように、武山さんに照準を合わせてにじり寄っている。


「御面様の祟りの話、そんなような死に方だったじゃないか。もしかして、今日こそ本当に見つけられる。僕はそう確信したね。もうこの機会を逃したらいけないって。美代さんが僕を導いてくれる。そんな気がしたんだよ。そうしたら驚いたことに、霧野さん、君は僕の娘にそっくりな女性に会ったと言うじゃないか。驚くのはそれだけじゃない。古いキャンプ場で起きた話、そして、そこにいる武山が梨華を知っていると言う事実。もうこれは、本当に美代さんの思し召しだと思ったね。そして、御面様の祟りだとも。朝から死んだ奴らも、きっとそのキャンプ場の話に出てくる関係者なんだろ?」


 榎田さんの言葉に、武山さんは涙を流しながら頷いた。それでも、「俺はやってない」と必死に榎田さんに訴えている。


「おぇは、いらぁかったんぁ……、おぇはあにお、いらぁかったんぁ。おんとだ、おんとだ!」 

「嘘をつくなー! だって、この祠の場所はお前が教えた場所だろうが! そこに梨華は眠ってたんだぞ! これは全部、美代さんの思し召しだ。そして美代さんが言った通り、御面様の祟りが起こったんだよ。祠に辿りつき、梨華を見つけ出し、梨華を殺したやつに復讐する。そのチャンスを亡くなった美代さんと御面様は、僕に与えてくれたんだ!」

「落ち着きましょう、榎田さん!」

「良雄くんには関係のない話だ!」

「いいや、関係ありますよ! ここは山の中です! 僕は山の家の管理人ですよ! 山の中で誰かが人を殺すなんて、認められるわけがない! このまま榎田さんが撃つのをやめないって言うなら、僕が——」


 良雄さんが雨合羽の内側に手を入れ、榎田さんが持っている猟銃よりも少し小さなライフルのようなものを取り出した。良雄さんが手に持っている真っ黒な銃の銃口は、榎田さんの方を向いている。それを見て、美穂ちゃんが私の背中にしがみついた。


「やめて、やめて、やめて……」


 美穂ちゃんの呟く声の振動が背中から伝わってくる。目の前で銃を持った男が二人。こんな状況は普通じゃなさすぎる。それに、榎田さんも良雄さんも、あんなに仲が良さそうだったのに。怒りをぶつけ合い、お互いに死んでいくようなこの状況も、もしも御面様の祟りのせいだとしたら——怒りに支配される呪い。


「榎田さんも、良雄さんも、落ち着いてください!」

「霧野さん、ここには僕たちしかいないんですよ? 誰が誰を殺したかなんて、全て山の中に置いていけば誰にも気づかれないんですよ!」

「良雄さんまで、そんなことを……」

「僕は山の家をどうしても守りたいんですよ。だから、榎田さんが武山さんを撃つならば、僕は榎田さんを撃ちます。いや、待てよ——」


 良雄さんはそこまで言い、武山さんの方へと銃口を向け直した。


「榎田さんを撃つなんて、お門違いですよね。ことの発端は、武山さん達なんだから——」


 武山さんを睨みつけ、一歩、武山さんの方に足を進める。じりじりと、一歩、また一歩と武山さんに銃口を向けたまま、良雄さんが近づいていく。


「やめてぇ! 良雄さん、そんなことしないで!」

「霧野さん、もう遅いんですよ! こいつを殺して、ここに埋めておく。そうすれば、あの施設はなくなるし、山の家に来る子供たちも、またあの渓流で遊べるようになる。なんなら大蛭谷以外のNPOのメンバーも喜ぶかもしれない!」

「良雄くん! 僕に撃たせてくれ! 娘の、娘の、娘の仇を取ってやるのは父親の役目なんだ——」

「いいや僕が撃ちますよ! どいてください! ずっとずっと前から、自然環境を無視して開発を続けていた武山さんに、はらわた煮えくりかえってんですよ!」


 良雄さんは「どいてください!」と叫びながら、武山さんを狙える場所を榎田さんから奪い取るかのように、榎田さんの身体に勢いよく体当たりをした。榎田さんの身体がよろめき、猟銃の照準が武山さんからずれる。急いで榎田さんのそばへ行き、榎田さんがまた猟銃を構えないように腕を掴んだ。


 私の掴んでいる手をどかそうとしながら、「良雄くんが撃っちゃダメだー!」と叫ぶ榎田さんの声が山々に響き渡たるけれど、良雄さんは片目を瞑り、いつでも撃てる態勢に入っている。あんなにいつでも冷静だったのに、良雄さんまで怒りに飲み込まれている——怒りに支配される呪い。


 ——ダメだ、怒りに飲み込まれたらダメだ!


「良雄さんやめて! 怒りに飲み込まれたらダメだよ!」

「霧野さんは黙っててください! 武山ー! 全部全部、お前のせいだー!」

「良雄さん! やめてぇぇぇぇー!」

「やめるんだ! 良雄くーん!」

「死ねぇー!!!」

 

 榎田さんと私の声をかき消すほどの良雄さんの声、そして大きな銃声が山々に——


「良雄さんやめてぇぇぇぇ!!!」











 






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