御面様の祠 2

「ここじゃない? でも、確かにリカさんは——」

「ああうぁ……おぇ、いぃあぁは、おうぇ!」

「リカちゃんは……行方不明になってまだ見つかっていない……じゃあ、昨日私が会ったのは……だれ?」


 確かに昨日リカさんに助けてもらった。揺れる蝋燭の炎だけの世界で、リカさんの話を聞いた。でも、武山さんの言っているリカさんは、私が昨日あった同じリカさんのことなのだろうか。


 ——木下さんの名前だって、里香りか だった。リカなんて名前の人はたくさんいるはず……


「あの、武山さん、もう一回聞いていいですか? 私が昨日会ったのは、髪の毛が長くて、昨日は髪の毛を頭の上でこんな風に丸くお団子みたいしにしてて、それで目が二重で、ものすごく美人なんです。確か、モデルのような仕事をしていて。それで、武山さんのことを武ちゃんって呼んでて、それで、それで……、そうだ。赤い傘をさしていました。昨日は真っ赤な赤い傘をさしていた……。あの、そのリカさんのことを武山さんは言ってるんですか?」


 赤い傘と聞いて、武山さんは首をひねる。それはよく分からないと言うようなジェスチャーをしてから、紙にペンを走らせた。


『僕の知ってるリカちゃんに似てる。でもリカちゃんは行方不明。それに昨日はそんなゲストは来ていない』


「そんな……」


 ——じゃあ私が昨日あったリカさんは一体……?


 目の前で折り目のついた地図の裏紙をもち、私の方を向いている武山さんは、嘘をついているようには見えない。それに、赤く腫れ上がった醜い顔、瞼の腫れあがったその奥の瞳は、どこか悲しそうにも見える。


「では、さっき霧野さんが話してくれたことはここの話ではない……ということになるのだろうか。祠に御面様のお面をお返しして、この祟りを鎮めないと、武山さんの顔だって元には戻らないかもしれないんだわ。もう一度よく思い出して」


 榎田さんのその言葉を聞いて、武山さんは狼狽えながら「助けて」と言っているような声を出し、榎田さんの足にしがみついた。榎田さんはその手を足から外し、ため息をついてから武山さんに話を続ける。


「助けるもなにも、ここにいる僕たちはみんな御面様を見てしまったんだから、僕たちも同じことなんだわ……。それに、霧野さんから聞いた話だと、この祟りからくる呪われた状況がなんとかならなくては、頭がおかしくなって死んでしまうのかもしれないんだわ。それにきっと、今ここにいる中で御面様の祟りを一番受けるのは、君だと思うんだわね——」

「お……んなぁ……」

「君が持ち出したんだから」

「おぇじゃあい! おぇじゃあい!」

「俺じゃないって……でも、君はその場所にいたんだろ?」


 武山さんは頷いてからぐったりと項垂れて、「ううう」と泣いているような声を出し頭を抱え震え上がっている。その様子を見て、良雄さんが武山さんの丸まる背中を掴み上げた。


「ったく! 情けねぇなぁ! 泣くなよみっともない! やったもんはしょうがねぇだろ? で、それはどこのキャンプ場なんだよ!」


 良雄さんの怒声がホールに響き、武山さんは急いで紙に『福井県のキャンプ場』と書いた。


「福井県……」思わず声が漏れる。今いるのは岐阜県、福井県は隣の県だ。それに土砂崩れで道は封鎖されている。祠を探しに行こうにも、行けないのではないか。


 ——もう、私たちは御面様に祟られてしまってる。美穂ちゃんは死んだように眠ってしまったし、もしかして、そのままもう起きないとか、まさか、そんな……


「いやだ……。そんなの嫌だ……」


 すぐそばのソファで寝ている美穂ちゃんの手をぎゅっと握りしめた。温かい。まだ、今は生きている。でも——


「もう、祠が見つからないんじゃ……」


 口に出すと、絶望感が押し寄せてきた。こんなところに来なければ、こんなことに巻き込まれずに済んだのに。


 ——それはね、ゲートウェイなんだよ。


 頭の中でリカさんの声が聞こえた。誰でも見つけようと思えば、危険な世界の入り口は見つけられる。リカさんは、そこから先へ進むか、進まないかは自分次第とも言っていた。私はもう、入り口に入ってしまったのだろうか。ただ、お洒落な別荘に連れて行ってあげるという武山さんの誘いに乗っただけなのに。


 ——違う……。非日常な料亭で妹の結婚の顔合わせがあって、それで……。むしゃくしゃしていた。


 私よりも美人じゃないくせに、私よりもお洒落じゃないくせに。私よりもスタイルだって良くないくせに。裕福な家の優しそうな旦那さん、幸せそうな二人、嬉しそうな両親。妬み、ひがみ、嫉妬して、そこでたまたま出会った武山さんに心が向いたのだ。心のどこかで、何かを壊したくなるような気持ちがあったのだ。危険な香りのする誘いに乗って、むしゃくしゃする気持ちを開放したかった——そういう、心の隙間の入り口に足を踏み入れ、こうなった。


 ——自業自得だ……。そんなものに、美穂ちゃんを巻き込んでしまった。


 美穂ちゃんのお腹に顔を埋め、込みあげてくる涙を押さえ込もうとするけれど、後悔の涙が美穂ちゃんの着ている雨合羽に弾かれて私の顔を濡らしていく。御面様の祠は、この近くにはない。御面様の祟りはもう鎮めることが出来ない。美穂ちゃんも、私も、呪われて、気が狂って死んでしまう。


 ——そんなの、嫌だ。嫌だ、いやだいやだいやだ!


 顔が熱い。自分の吐息と涙が充満して顔が熱い。息を止めて、その熱を感じた。


 ——嫌だ、絶対に、呪われて顔が醜くなって死ぬなんて、絶対に嫌だ。


 熱い、顔が燃えるように熱い……。でも……この熱は、私が今生きている熱。私の涙と吐息の生み出した熱。御面様の祟りで顔が焼けている熱じゃない。そうだ、これは、今、ここに私がまだ生きている熱……。


「まだ終わってない」


 囁くような良雄さんの優しい声がすぐそばで聞こえ、手の温もりを背中に感じた。美穂ちゃんのお腹に埋めていた顔をあげ、声のする方を向くと、良雄さんが私の背中をさすりながら、「まだ終わってない」と真剣な眼差しで私にもう一度言った。


「今、武山さんが地図を持ってくる。さっきの地図じゃ武山さんの言っている福井県のキャンプ場まで載ってないから。それに——」


 良雄さんは私の目を見つめ、「俺はここで生きてるんだから」と言った。


 

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