御面様の呪い 8

 被っている雨合羽のフードから雨水がポタポタ落ちるのを、懐中電灯のぼんやりとした光が照らす。良雄さんと榎田さん、美穂ちゃんと私の周りだけに明かりが灯る世界は、やけにうるさい雨音とその影で、不気味に思えた。


「おかしいな、確か地元向けの内覧会で、自家発電機のような設備も備え付けてあるから、災害時でも大丈夫だって言っていた気がするんだけど」

「じゃあ、それも何かあって壊れてしまったとか、そういうことなのかなぁ。それにしても、おかしいよね。山の家の電気は問題はなかったんだから」


 ——確かに。榎田さんの言うように、さっきまでいた山の家には電気が来ていた。


「とりあえず、全員分の懐中電灯は積んできてるんで、一人一台持ちましょうか。それと、護身用に猟銃を持ってくんですよね」


 良雄さんが話しながら私たちと美穂ちゃんに懐中電灯を渡し、重たそうな長いバッグを肩にかけた。バッグの中だから見えないとはいえ、初めて見る本物の猟銃は思っていた以上に長さがあり、肩からぶら下がった影がぼんやりと駐車場のアスファルトに不穏な影を落とす。


 ——朝のあれは、猟銃で撃たれて死んだ鹿の足だった。


 朝、山の家で見た鹿の足を思い出す。切り取られた断面しか見えなかった鹿の足は太くて生々しく赤黒かった。昨日までは生きていたその鹿は、内臓を取り除かれ、足だけになって山の家に運ばれてきたのだ。そう思ったら、また、むかし観た、人を切り刻み内臓を持って嬉しそうに踊る殺人鬼のホラー映画を思い出した。その記憶を上書きするように、シアタールームの前で自分のお腹にナイフを指した水野さんの姿が脳裏に浮かぶ。水野さんは、どす黒い真っ赤な血がぼたぼたと滴る自分の内臓を手に持ち、「御面様〜! これで俺も綺麗になれましたー!」と嬉しそうに叫んでいた。自分の手で自分の内臓を引き出して事切れるだなんて、どう考えてもまともじゃない。


 ——御面様の祟り。


 ユキヒコさんも、水野さんも、博之さんも、美穂ちゃんの手の跡みたいなものが最初に身体に浮かび上がって、それからあんな風に頭がおかしくなったのだとしたら……。美穂ちゃんもこのままほかっておけば、ああなるのだろうか。


 ——急がなくちゃ。美穂ちゃんの頭がおかしくなる前に、御面様に許してもらわなくては。美穂ちゃんは相当怯えているように見えるし、美穂ちゃんがあんなふうに死んでしまうなんて、絶対に嫌だ。


 無言で考えを巡らせていた私の耳に、「じゃあ、行こうか」と榎田さんの声が聞こえた。


 動き始める二つの影。雨合羽のフードを被っているからか、良雄さんと榎田さんは後ろ姿だけ見ていると、どちらがどちらかわかりにくい。長い猟銃のバッグを肩にかけているのが、良雄さんだと認識し、私たちもそれに続いた。美穂ちゃんが歩きながら私の腕にしがみつき、「またあそこに行くなんて」と怯えた声を出す。不規則に揺れる懐中電灯の明かり以外は何も見えない世界で、私はただ前の人影について歩いていった。私の腕にしがみついている美穂ちゃんは、時々身体をくねるように動かして、その動きが美穂ちゃんに掴まれている腕から伝わってくる。きっと、あの背中についている手の跡が疼くのだ。


 ——美穂ちゃんが見たお面が、榎田さんの言っている御面様かどうかは分からない。でも、この状況をなんとかできるのであれば、呪いのお面でも、御面様でも、それこそ榎田さんにだってすがり付きたい。この状況をなんとかできそうなのは榎田さんだけなんだから。それに……


 さっき車の中で良雄さんは言っていた。榎田さんはあの古い地図を見つけてからは、この辺りを集中して探していると。それに、今日の朝亡くなったと言っていた榎田さんの大切な人、子供食堂を昔からやっていたというその女性が、良雄さんの勘違いではなく、榎田さんに祠の話をした人だとしたら。


 ——榎田さんがムキになって御面様の祠を見つけたい理由は、その人の為かもしれない。


 その亡くなった方と榎田さんは、祠の場所に一緒にいきましょうと話していたけれど、その願いは叶わなかったと言っていた。であれば、子供食堂をやっていた女性と、その人に想いを寄せていた榎田さんは、何か二人で約束でもしてたのではないか。例えば、その子供食堂をしていた女性にとっても、その祠は大事なものだった、とか……。


 そんなこと、詮索しても分からない。なんにせよ、良雄さんの勘違いでなければ、榎田さんにとって、今日の朝亡くなった人は榎田さんが想いを寄せていた人で、その人はこの辺に祠があるって言ってたということ。御面様のお怒りを鎮めるには、お面を祠に返さなくちゃいけない。だから……美穂ちゃんの背中の真っ赤な手の跡が御面様の祟りなんだったら、その祠にお面を持っていかなくちゃいけない。


 ——祠に辿り着ければ、美穂ちゃんにかけられた呪いなんだか祟りなんだかはきっと、消えるんだから。


 倒れている木の先端を懐中電灯で照らしながら気をつけて進み、センターハウス側の駐車場に出ると、本来ならばセンターハウスの明かりが見えるはずの場所なのに、見えるものは少し先を歩く懐中電灯の明かりと、果てしない闇の世界だった。美穂ちゃんもそれを見ているのか、ぎゅうっと私の腕にさらに圧がかかる。


 二つの影に続き、足元を懐中電灯で照らしながら歩いていると、坂道を少し登ったところで、前を歩く影が足を止めた。自然と懐中電灯を持つ手が前の懐中電灯があるあたりまで動き、それに合わせて自分の視線も移動する。博之さんの履いている白い革靴が雨に濡れているのが見え、その靴に滲んだ赤色をしている雨水がついているのが見えた。


「ひでぇな」と前から声が聞こえ、猟銃のバッグを持っている良雄さんの影が横にずれる。その良雄さんの持っている懐中電灯の明かりが博之さんの顔を照らした。「ひっ」と、声をあげ思わず目を背けると、美穂ちゃんも同じものを見たのか、私の身体に顔を押し付けてきた。


 懐中電灯の明かりで一瞬だけ見えた博之さんの顔は驚くほどに青白く、何かに怯えているようにこちらを向いた目が見開かれていた。博之さんの最後の姿がフラッシュバックで脳内に蘇る。あれは、誰かに足首を掴まれ、引き摺り下ろされているような、見えないその何かから必死で逃げているような、そんな様子だった。「やめろ」と言いながら自分で自分の首を絞めて、そして舌を噛み切り絶命したのを私は見た。正気の沙汰じゃない。それに、あの時確か博之さんは言っていた。


 ——四人死んで、呪いは終わった。


 四人とは、一体なんのことなのだろうか。


「先を急ごうか」と榎田さんの声が聞こえ、私の身体にしがみつくように歩く美穂ちゃんを連れて博之さんの横を通り過ぎる時、さっきまではなかった薄い小さなブルーシートが、博之さんの顔と身体にかけられているのが見えた。百均で売っているような、そんな薄いブルーシート。きっとポケットに入れて良雄さんが持ってきてくれたのだと思い、そんな良雄さんに感謝の気持ちが湧いた。


 センターハウスのエントランスに着くと、思った通り停電しているのか、どこもかしこも電気が消えて中は真っ暗闇の世界だった。懐中電灯で照らしながら中の様子を良雄さんと榎田さんがうかがう。


「誰もいないみたいだね」と、良雄さんがいい、重たい木の自動ドアを良雄さんと榎田さんが手で開けると、雨の音だけが聞こえるセンターハウスの内部と外の世界がつながった。ハウスの中の様子をうかがいながら、ゆっくりと中に進む。懐中電灯の光があちらこちらに動き、「すごい広い場所なんだね」と、榎田さんが言った。その懐中電灯の明かりが、ゆっくりと後ろからついてきていた私たちの方に向く。


「さて、美穂さんがお面を見たというプールはどこにあるのかな?」

「多分半地下なんですけど、どっから降りるのかわかりません」

「そうか、見たところここは受付って感じの場所だから、半地下ということはこのフロアから半地下ってことなんだろうか」


 そういえばと、館内専用スマホをズボンのポケットから取り出しタップしてみると、スマホの四角いディスプレイが光を発した。


 ——そうか、館内が停電したとはいっても、充電されてるスマホはそのまま電源が入るんだ。


 アプリのマークをそっと指で触れると、画面が切り替わりメニューが並んでいる画面になった。それをみんなが見えるように手に持つ。


「あの……、停電で電源が切れてるなら使えないと思っていたんですけど、館内専用スマホの充電はまだあるみたいで。それでこれ、アプリのここに館内案内のボタンがあります」


 











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