御面様の呪い 7

 山の家から車を出し、狭い山道を走りながら、「霧野さんたち、大変なことに巻き込まれてたんですね」と、良雄さんが深いため息のように重々しく会話を始めた。まさか私もこんなことになるなんて、昨日までは思ってもみなかった。美穂ちゃんの身体についている赤い手の跡だってそうだ。呪いだとか、祟りだとか、そういうものは自分の人生には関わり合いのないものだと思って生きてきた。


 ——怖い。


 またあのNature’s villa KEIRYUに行くのがとてつもなく怖い。でも、行かなくては美穂ちゃんにかけられた祟りなのか、呪いなのかを解き放つことができない。関係のない良雄さんや榎田さんを巻き込んで、またあの恐ろしい近代的な建物に戻ることも、心から正しいとは思えない自分がいた。


「巻き込んですいません」と、思わず言葉が漏れる。「霧野さんが謝ることじゃないから」と、すかさず良雄さんは言ってくれるけれど、なんの関係もない良雄さんに申し訳ない気持ちでいっぱいなのは本当だった。もしも私が美穂ちゃんを誘って、こんなところに来なければ、良雄さんはNature’s villa KEIRYUで起きたこの、呪いなのか、祟りなのかに関わることはなかったはずだ。榎田さんだって。


 ——そういえば。


「榎田さんは、祠のことをどれくらい前から調べているんですか?」と、良雄さんに聞く。榎田さんは日本全国の山奥の村に行き、その伝説の祠を探していると言っていた。でも、さっきの話だと、見せてくれた古い地図を見つけたり、知り合いの人からここの話を聞いてからは、この辺りだけを探していたということなのだろうか。


「榎田さんはね、四、五年くらい前からうちに泊まりにきてくれるようになって、それでこの辺の僕が知ってる範囲は、僕が空いている時間に一緒に山を歩いたりね、そういうことをしてきたんだけど。ここ一年くらいはあれだね、あの、さっき見た古い地図を史料館で見つけたからなのか、頻繁にこの辺りを探しにきている感じかな」

「そうなんですか。榎田さんって、なんでそんなにその祠や御面様を探してるんですか?」

「僕もなんでですかって聞いたことがあるんだけどね、どうしても見つけ出したいって執念かなって、そう言ってて。それ以上はあんまり聞かないんだけど。でも、昨日の夜は、榎田さん結構いろんなことを話してたんだよね。珍しく日本酒を買ってきて、一緒に飲もうとか言ってさ。なんか寂しそうな顔をしてね、大事な人がもうすぐ逝ってしまいそうなのに、そばに行けないって言ってて」

「大事な人?」

「うん、なんか、地元なのかな、そこまでは分からないけどね、榎田さんと同じ歳くらいの女性なんだと思うんだけど。子供食堂を昔からやってる人らしくてさ」

「奥さん……じゃなくてですか?」

「榎田さん、奥さんはもうずっと前に亡くなってるって言ってたし、違うと思うよ」

「じゃあ、おひとりなんですね」

「多分ね。あ、でも娘さんがいるって聞いたことあるかも。もう結婚とかしててお孫さんとかもいるんじゃないかな、あの年だし。なんかさ、家族の話って、お客さんが自分から話をするなら聞くけど、しないのに聞くのってどうかなって思って、僕もあんまり聞いてないんだよね。あ、ごめんなさい、なんか普通に話しちゃってた」

「全然、こんな状況に巻き込んで敬語使われるほうが嫌です」

「そっか、それなら良かった。その方が僕も気が楽だし。本当、巻き込まれて困ったな、とか言いやすいし」

「ですよね……すいません……」

「大丈夫、そんなことは。僕だって、いや、僕たちだって、あそこの運営についてとか思うところは過去からいっぱいあるんだから、だから行くべきなのかもしれないし」

「本当にごめんなさい」

「謝らないで。もういいって。それに山の家の近くでそんな呪いとか祟りとか、僕が困るから。ほんといいんだって。それに、榎田さんも定年後の何かが欲しくて、ああやって民俗学にハマってるんだろうなって思うとさ、僕もできる限りはお手伝いしたくて。僕の父だって、そんな感じだしね。今から定年後に何やるか考えてるよ」


 榎田さんは一人暮らしで、その寂しさを埋めるために民俗学にはまっていったのだろうか。それにしても、さっきの榎田さんの話は熱がこもっていた気がする。よほど、その祠や御面様を見つけたいのだろうか。


「さっき話した、その子供食堂をやってるって女性がね、もうそろそろ息を引き取りそうだって、昨日榎田さんが言ってたんだけど、今日の朝かな。まだ携帯が繋がってる時間に、連絡があったみたいで」

「連絡?」

「うん、息を引き取ったって。それ聞いて、ぼうっと空を眺めてたな。灰色の重たい空を、ずっと何も言わないで。そのすぐ後くらいに、あの雷が落ちてさ」


 あの雷を見ていた榎田さんは、その時どう思っていたのだろうか。その人のこと思いながら、あの落雷を見ていたのだとすれば、その落雷で人が死んだと聞いて、どう思ったのだろうか。


「僕の想像だけど、榎田さんは、多分その人のことが好きだったのかなって。何回かその人の話聞いたことがあるからさ。なんて言ったかな、ミヨさんだったかな。本当、想像だけどね。だから榎田さん、そんな悲しみとか、逝く時にそばにいれなかったとか、そういう気持ちを振り切るために、むきになってるのかなって、僕はさっき思ったんだよね」


 ——だから、あんなに熱がこもっていたんだ。


 さっき話していた榎田さんに、なんとしても祠を見つけたいという執念と、御面様の祟りを鎮めて美穂ちゃんを助けたいという、強いエネルギーを確かに感じた。


「でも……」と言った後、良雄さんは、「その人が祠の話をした人だった気がするんだけど」と首を傾げた。


「榎田さん、ああ見えて何人もそういう女性が全国にいたりして。なんて、そんな馬鹿なことを考えてしまう僕は、不謹慎だよね。さてと、着いたよ」


 良雄さんが車のサイドバーをパーキングに入れてエンジンを切ると、雨の音だけが聞こえる駐車場に、車のライトに照らされた部分だけが妙に強調されて浮かび上がって見えた。大きな木が真っ二つになって、その片方が駐車場の真ん中に横たわっている。倒れた木のちょうど真ん中あたりには、レイさんの真っ赤な車が潰れている。今日の朝、あそこには確かにレイさんのご遺体があったはずなのに——


 ——そういえば、レイさんの首のない遺体を運んでいたのは誰……?


 河原で首を切られ、頭部のなくなったレイさんの遺体を誰かが運んでいた。レイさんの白いズボンがやけに目立っていて、私はそれをこの目ではっきりと見たはずだ。


「霧野さん?」と、雨合羽のフードを被り車を降りた良雄さんに声をかけられる。運転席のドアを開けたままの良雄さんに、「はい」と心なく返事を返し、私もフードを被って車を降りた。それを待っていたように、良雄さんが車のライトを消すと、暗闇が訪れ、良雄さんのつけた懐中電灯の明かりがぽっと生まれる。


 ——戻ってきた。Nature’s villa KEIRYUに。


 戻りたくもないのに戻ってきたNature’s villa KEIRYU。少し遅れて、美穂ちゃんと榎田さんの乗っている車も駐車場に入ってきたのが見えた。車のライトが消え、見ていた視界に暗闇が訪れる。懐中電灯の灯りがパッとつき、揺れながらこっちに近づいてくる。


「ゆっくり走ってきたら遅くなってしまった。それにしても、こんな場所に、こんな立派な駐車場。あれが今日話していた倒れた木だね。それにしても、暗いな。もしかして停電でもしてるのかな?」


 榎田さんはそういうと、懐中電灯の灯りを手のひらで塞いだ。榎田さんの手をぼんやりと懐中電灯の灯りが透かしている、でも——駐車場の外灯だけじゃない。奥に見えるはずの建物にも灯りがない。


 ——まさか、懐中電灯以外の明かりが、全くない?



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