御面様の呪い 4

「あの……実は……」と、ぎゅうと私の袖を摘みながら美穂ちゃんが泣き出しそうな声で話し始める。


「ただの気のせいで、何かに触ったからだと思っていたんですけど……。これって、なんに見えますか……?」


 美穂ちゃんはそう言って、首元に手を当てて、良雄さんが貸してくれた黒いティーシャツを手でずらし、肩を少しだけ出した。白い柔らかそうな肌が蛍光灯の光でやけに白く見える。「脱いで見せれないので、分かりにくいかもしれないのですが……、これ、変な形をした湿疹だと思いませんか?」と、美穂ちゃんが少し背中側をみんなに見せた。そう言われれば、変な形をしている。赤っぽい湿疹と湿疹の間には隙間があるように見えた。


「瑞希さんなら見せれるので、ちょっと中も見てみてください。今日の朝、お風呂でなんかひりひりするかもと思ってみたら変な形をしてて、でもその時はおかしいなってくらいだったんです。その後、今日は、その……色々あったから、それどころじゃなくって。でも今の話聞いて、その障りとか、祟りとかのお話聞いてて、もしかしてって。あの……これって、人の手の形に見えませんか?」


 そう言われ、首元の襟口からそっと背中を覗くと、首筋から背中にかけて黒いブラのホックまでの背中、肩甲骨のあたりにいくつか赤く湿疹のようなものが見えた。その湿疹のようなものは、どうやら脇腹あたりから不規則な配置でいくつかあるようで、一番上がさっき美穂ちゃんがみんなに見せた肩の辺りになっている。


「本当だ。なんか湿疹みたいな感じに見えるけど……。でも手の形とか、そういう風には見えないよ」

「あの、毛布の中で、瑞希さん、もう少しめくって見てくれませんか?」

「あ……、うん、わかった」


 向かい側に座る良雄さんや榎田さんに、美穂ちゃんの肌がなるべく見えないように美穂ちゃんの背中に向き合い、肩から掛けている毛布の中に頭を入れる。少し毛布を持ち上げて二人羽織のような状態になり、美穂ちゃんのティーシャツを下からゆっくりとめくった。左の脇腹の辺りから湿疹は徐々に上に伸びていき、そして、右肩の首筋で終わっている。


「シャワーを浴びる時にお風呂の鏡で見て、なんか変な形だって思ってたんですけど……。どうですか?」


「うん……、もうちょっと、離れてみるけど……」と言いながら、最大限まで毛布の中で離れてみるけれど、模様になっているというだけで、なんの模様かまではわからなかった。


「ごめん……、なんか良くわかんなかったけど、痒いの?」

「少しだけムズムズするような気がします。でも問題は……、その形なんです……。あの、皆さんで見てもらえませんか? ちょっと待っててください」


 そういうと美穂ちゃんは座卓から離れた壁際まで行き、毛布の中でもぞもぞと動いたかと思うと、くるっと後ろを向き、「恥ずかしいけど、それより、障りとか祟りの方が怖いので……」と、ティーシャツをめくって、ブラホックを外した背中全体を見せた。その美穂ちゃんの背中を見て、「ひっ」と思わず声が漏れそうになり、急いで両手で口を覆う。


「これは……」と榎田さんが小さく言い、その横で「嘘だろ」と良雄さんの声も聞こえた。「どう思いますか……」と、美穂ちゃんが不安そうに私たちに聞くけれど、私はその光景に言葉を失ってなんと伝えればいいのかわからない。オレンジ色の毛布の中では同系色で見えにくかったのか、白い蛍光灯の下でならはっきりと分かるその模様。白い美穂ちゃんの背中には、左の脇腹から右肩の首の根本に向かうように赤い手の跡が無数に伸びていた。


「どう思いますか……」と泣き出しそうな声で美穂ちゃんがもう一度聞き、その後で崩れるように床にしゃがみ込み「どうしよう」と何度も言いながら泣き始めた。


「と、とりあえず俺、かぶれに効く……何か薬持ってきますよ。ほら、なんか変な草とか触ってかぶれたのかもしれないし」

「そ……そうだね。良雄くん、そのほうがいいかもね」


 良雄さんは救急箱を取りに席を立ち、私は美穂ちゃんのそばに行って毛布を背中にかけた。明らかにわかる人の手の跡。それもまるで引きずり下ろすようにその手の跡は身体の下から伸びてきている。指先が上を向き、美穂ちゃんの身体を下に引っ張るようなそんな無数の手の跡。


「酔っ払って、どっかに寝っ転がって、それで、変な草にかぶれただけだよ」

「でも、瑞希さんどう思いました? 見たこと、教えてください」

「えっと……」


 言葉に詰まる。見たままをいえば、美穂ちゃんはパニックになってしまいそうなほど、生々しい真っ赤な手の跡。私にはそれが、地獄の底から出てきた死者が美穂ちゃんを連れていきたいような、そんな手の動きに見える。


「とにかく、かぶれてるみたいだし……薬だけは塗って……」

「でも、変な形に見えませんでしたか? 瑞希さん……私怖いです……」

「うん、とにかく、薬ぬれば治るかもだから、ね」


 良雄さんが持ってきてくれた薬を美穂ちゃんの背中に塗り、服を元どおりにしてから、泣いている美穂ちゃんを抱き抱えるようにして良雄さん達のところまで戻った。


「もしも、変なお面を見たせいで……呪われたんだったら、どうしたらいいんですか?」

「でも、僕ずっと考えていたんだけども、そのお面を見たのは、美穂さんだけじゃないんだよね?」

「はい……。何人かは見たと思いますけど……」

「じゃあ、その人達が大丈夫だったら、大丈夫なんじゃないかな? と、僕は思うんだけども」

「でも、その人達もういないですよね? 瑞希さん」


「え?」と榎田さんが聞き、美穂ちゃんは「そこにいた人達、みんな朝にはバスで名古屋に戻るって、そう言ってました」と答える。


 ——そうだ。バスツアーできた人たちのパーティだったんだから。だからそのお面を見た人たちは、もう名古屋についているはず。


「そのお面を見た人でここに残ってたのは多分、木下さん、それに武山さんと、そのお友達の皆さんじゃ……ないかなって……」


 ——仮面収集家……


「霧野さん、仮面収集家って、あの雷で打たれた女性のことだよね?」と、良雄さんに聞かれ、無言で頷いた。朝、木下さんと山の家に来た時に木下さんが確かそう言っていた。それを聞いて美穂ちゃんの顔がみるみる青ざめていく。


「仮面収集家の人が……雷の人……?」

「うん……多分ね……」


 呟くように美穂ちゃんに答えた後で、今日の朝の木下さんが話している姿が脳裏に浮かんだ。


 ——レイさん、仮面収集家だったそうで。なんでも世界中の珍しい仮面を集めてコレクションしている部屋が自宅にあるとか、ないとか。でもって、その中にはなんと、本物の人間で作った仮面もあったとか。


 仮面収集家のレイさんが武山さんにプレゼントしたお面。それを見た名古屋に帰った人たちのことはわからないけれど、今、この山奥で残っている人のことなら私は知っている。


 ——レイさんは雷に打たれ、顔が焼け爛れて死んでいた。そして、木下さんの顔もレイさんと同じような焼け爛れた顔だった……。武山さんは……どうなのだろうか……


 美穂ちゃんの「だとしたら私も、その雷の人や、木下さんのように顔が焼け爛れて死んじゃう……ってことですか……?」という言葉に、「どう言うこと?」と榎田さんが聞き返す。


「雷に打たれたその人は、顔が焼け爛れて死んでたんです。その後、首を切られて頭だけ見た時も、本当にそんな真っ黒で皮膚が焼け爛れたみたいな、そんな顔でした。それに……。遠くからしか見えませんでしたが、木下さんもそんな真っ黒な顔をしていたように見えたんです……。瑞希さん、木下さんはどんな顔をしていたんですか?」


 美穂ちゃんが泣きながら私に問いかけてくる。私は正直に「そうだよ」と小さく答えた。美穂ちゃんは涙をぼろぼろ溢しながら妙な笑顔をして、榎田さんに尋ねる。


「ははは……。私、呪われちゃったんですかね……? ねぇ、榎田さん、どう、思いますか? ねぇ……瑞希さん、皆さんも、私の背中……どんな風になってたんですか? 教えてくださいよぉ……ねぇ……どうしたらいいんですか? 焼け爛れた顔で呪われて死ぬなんてぇ……いやだぁ、嫌だよ」


 膝に顔を埋め泣く美穂ちゃんにかける言葉がない。私がこんなところに連れてきたせいで、もしも美穂ちゃんがあんな風に死んでしまったらと思うだけで、身体がガタガタ震えてくる。


 誰も何も喋らない、美穂ちゃんの押し殺すような泣き声と雨の音だけの世界。窓の外の月の明かりのない真っ暗闇の山奥で、不吉なことが起きる前兆のように激しく空が光った。






 

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