呪われた犠牲者 5

 赤い傘が見えたような気がした方向に山道を進んでいく。雨雲が動いて今ここにいないのか、雨は小雨になっているようだった。時折雷鳴が、まだここにいるぞ、と、その存在を主張するようにごろごろと山に響いている。その音を身体で感じながらひたすらに山道を歩いた。足元が悪く、下を向いて気をつけていかないと、時々お大きな石が転がっている。


 ——はやく、リカさんと合流したい。


 そう思い、黙々と歩き続けていると、「ここ進むと、その山の家に行けるんですよね?」と、美穂ちゃんに聞かた。リカさんのことを話さなくては。リカさんと木下さんを連れて、山の家にみんなで逃げるのだから。リカさんのことを美穂ちゃんは知っているのだろうか。


「美穂ちゃん、あのね——」

「あ! あれ見てください! あそこ、行き止まりですよ……瑞希さん」


「え?」と美穂ちゃんの指す方向を見ると、今向かっている道の先はその先がないのか、古い木でできたような柵で覆われていた。所々ぼろぼろに崩れ落ち、緑の蔦が覆っている。その木の柵に近づき、向こうを見ると、獣道のような細い道があるような気がしなくもない。


「これ以上、ここは進めませんね」と言われ、「うん」と答えるも、確かにさっき赤い傘を見た、と思った。


 ——でも、もしかしたら見間違いかもしれない……。


「これ以上はダメってことだよね……。ごめん、美穂ちゃん、戻ろう」


 歩いてきた道を戻り、さっき建物から出た裏口まできたところで、建物の中の様子が何かわからないかと、非常階段に続くドアをそっと開けた。


 ——なんの音も聞こえない……。


「木下さん……大丈夫でしたかね……?」

「うん……。もしもまだ大丈夫なら、置いていけないよね……」

「でも、中にまた入るのは——」


 美穂ちゃんの気持ちは分からなくもない。私だって木下さんをなんとか助けたいと思いつつ、その方法が思いつかない。


 ——それに……


 建物の中には木下さんだけではない。狂気に満ちて気が狂った博之さんと、武山さんもいるはずだ。


「荷物、どうしようか……」

「そうでしたね……」


 物音が何も聞こえないと言うことは、さっきまでの状態ではないと言うこと。博之さんが落ち着きを取り戻したのだろうか。


 ——それとも、目的を果たしたか。


「私、階段を登って、少し中を見てくる」

「え……。やですよ。だって、そんなの危険——」

「でも、木下さんが無事なら置いていけないよ」

「そうですけど……」

「美穂ちゃんはここで待ってて」

「一人になるのなんて、もっと嫌ですよ」

「じゃあ、一緒に行く?」

「それも嫌……、でも一人はもっと嫌です……」


 どうしたものかと悩み、「一緒に行く」と言う美穂ちゃんを連れて、非常階段を音を出さないように登る。耳をすましながら登っているけれど、自分たちの息気遣いと足音以外は聞こえなかった。


「本当に静かですよね……」

「うん……」


 声を潜めて話し、一階の非常階段をそっと開ける。隙間に耳をつけ、物音を探るけれど、雨の音と川の流れる音以外は聞こえなかった。そっと顔を出し、様子を伺う。


「誰もいないし、特に何もないかも……」


 静かにドアを閉め、二階に登る。二階はシアタールームがあった場所だ。またあの裸の遺体を見るのは正直嫌だけれど、木下さんを見つけるためには向かうしかない。


 二階につき、非常階段のドアを開けると、博之さんが蹴っ飛ばした衝撃でどこか歪みができたのか、ギィーっと嫌な音が出てドアが開いた。物音はしないようだ。


「私……見れないです……」


「うん……私も嫌だけど……でも——」とドアの隙間から覗くと、シアタールームの前にべったりと真っ赤な血が見えた。もう少し顔を出して見ていくと、裸の男性の遺体も見える。もう少しだけ顔を出す——


 グレーのスーツ姿に、髪の毛がぼさぼさになった木下さんが倒れているのが見える。絶望感が一気に胸に広がるけれど、顔が向こうを向いていて、無事なのかどうなのかまでは分からない。


 ——物音はしない、誰もいなさそうだし……。


「美穂ちゃん、私、ちょっと行ってくるから」

「本当にですか?」

「うん……、もしも木下さんがまだ生きていたら、ほかっておけないよ。もしも木下さんがダメなら——」


 ——そのまま置いて、美穂ちゃんと二人、山の家までにげる。


 ここまできたら、リカさんはきっと、大丈夫だと信じてそうするしかない。そう思い、深く深呼吸をしてから一歩ドアから外に出た。心配そうにドアの隙間から私を見る美穂ちゃんに半分身体を向けて、できるだけ低い姿勢でそろそろと近づくと、遠くからでは見えなかった肉の塊や、生々しい血の匂いに思わず「うっ」と声が漏れる。


 木下さんは動いていない。そっと木下さんの身体に手を触れると、ごろんと木下さんの身体がこちらに転がり、その顔が見えた。


「ひぃっ……」思わず声が漏れ、尻餅をつく。レイさんのように真っ黒に焼け焦げたような醜い顔になった木下さんが、もう息をしていないことは明白だ。「ひどい……」と、後退り、美穂ちゃんのところへ戻ろうとした私の目に、木下さんの手から何かが落ちるのが見えた。


 ——車の鍵だ……。


 急いで手に取ると、赤いビニールのキーホルダーには、自動車整備工場の名前が書いてある。住所が郡上市となっているから、きっと良雄さんの軽トラックの鍵だ。木下さんはこれを取り返してから、私たちと合流しようとしていたのだろうか。


 ——木下さん……


 鼻の奥がひきつり、ぎゅっと目を閉じるけれど涙が溢れてくる。木下さんはこんな姿になって、それでも私たちを助けようとしてくれたのだ。


「瑞希さん……」と、美穂ちゃんの呼ぶ声が聞こえ、私は木下さんに手を合わせてから非常階段に戻ることにした。尻餅をついていたお尻を持ちげると、さっきまでは聞こえなかったけれど、シアタールームの中ではまだ何か上映しているのか、微かな音が聞こえる。


 視線をシアタールームに向けると、開け放たれた扉の間から、スクリーンに映るロードムービーのようなものが見えた。山道を歩いてゆく若者たち、その中に、真っ赤なワンピースを着た女性がいたような気がした。


「はやく、瑞希さん、はやく戻って……」


 美穂ちゃんの泣き出しそうな声ではっと我に帰り、木下さんに手を合わせてから非常階段に戻る。もう、木下さんはダメだった。そのことを美穂ちゃんに伝える。


「ダメだった……。今すぐ、山の家に行こう美穂ちゃん。木下さんが軽トラの鍵を取ってきてくれたよ」


「ほら」と、赤いキーホルダーのついた鍵を美穂ちゃんにみせ、「木下さんの思いが無駄にならないように、絶対私たちは逃げ切るよ」と、私は言った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る