呪われた犠牲者 6
建物の裏口から出た私と美穂ちゃんは、さっき進んだ山道の反対へと進むことにした。雨はまた強くなり始め、雷鳴の音も心なしか近くなってきている。時折空が白っぽく光り、その後の雷鳴を聞く限りでは、雷がここにくるまでもう少し時間がかかりそうだった。
「瑞希さん、こっちに行けばいいんですよね?」
「うん。多分……だけど。でも建物はあそこまでみたいだし、きっとそこへ行けばわかるよ」
「木下さん、鍵を取ってきてくれたんですね……」
「うん……。そうだね……」
木下さんが持ってきてくれた鍵を無駄にしてはいけない。身を屈めながら美穂ちゃんと二人で建物沿いに進んでいくと、ガラス張りのエントランスから明かりが漏れているのが見えた。一旦足を止め、人影がないか確認する。
——誰も、いないみたい。
「大丈夫な気がする……。あの坂を降りれば駐車場まではすぐだから、そしたら——」
——軽トラックで山の家に向かう。
坂道を歩いて降りなければ駐車場へは行けない。その坂道はエントランスホールから漏れる光や、足元を照らすライトがついていて、人目につきやすそうだった。
「よし……。いくよ、美穂ちゃん」
「はい……」
坂道にそろりと出て、建物のエントランスを見ると、誰もいない。その奥にも人影は見えなかった。
——博之さんも、武山さんもいない。
「誰もいなさそうですね」と、美穂ちゃんも建物を見ていたのか、私に声をかけてきた。暗くて静かな中で改めて見ると、Nature’s villa KEIRYUは四角い箱を重ねた近代的なデザインで、大きなガラス部分から漏れ出る光までもがスタイリッシュに見える。まるで美術館のようなそんな建物。その美しさと無機質さが冷たい雨に打たれ、余計不気味に見える。
——はやく逃げ出さなくちゃ。
「行くよ」と美穂ちゃんに声をかけて、駐車場の方に向かおうとすると、立ち止まったまま動こうとしない美穂ちゃんに「瑞希さん」と、声をかけられた。
「あれ……、なんだと思いますか?」
「あれ?」
美穂ちゃんが「あれ」と言っている方を見ると、駐車場に向かう道をこっちに向かって走ってくる、真っ黒な人影のようなものが見えた。走りながら何かと闘っているのか、身体をめちゃくちゃに振り乱して動いているそれは、まるで蜂の大群に襲われているようで、手を振ったり足をあげたりしている。
「博之さんかもしれない……」と声に出すと、恐ろしさが蘇ってきた。「いったん戻ろう」と建物の影に戻り、黒い人影が何か叫びながら建物の近くにやってくるのを見ていることにした。
「あんなとこにいたら通れないですよ」
「でもさっきはいなかった……」
「駐車場の方から走ってきたんですよ、きっと」
そうであれば、あのまま急いで進まなくて良かったと思った。あのまま急いで進んでいたら、こうして建物の影に隠れることはできない。黒い人影は何かを叫びながら大きく身体動かせて走ってくる。が、もう少しでエントランスに着く辺りで、足が何かに引っ掛かったのか、どさっと前のめりに倒れた。
——博之さんだ。でも、何かに怯えているようなあの顔……さっきまでとは様子が違う……
「や……やめろ……。離せ、は……離してくれ……」と言いながら、博之さんはずりずりと身体を後ろに戻してゆく。それはまるで、足首を誰かに掴まれて坂道を引き摺り落とされていくような動きに見えた。手で必死に地面を掴もうとして抵抗している。そんな風に見える。
「やぁ……めぇ……ろ……離してく……れ……助けて……助けてぇ! 四人死んで……呪いは終わったんじゃなかったのかよぉ! 俺は……俺は何にもしてない……俺は誰も殺してない!」
誰かに襲われているような言葉を発し、必死に何かに抵抗している。博之さんの身体以外、そこには何もないのに……。
「瑞希さん……怖いです……」と、美穂ちゃんが私の背中に顔をぎゅうと押し付けた。博之さんの顔は、割れた眼鏡が落っこちそうに片耳から垂れていて、それが「やめろぉ」という度に、ぶらぶらと揺れる。
「ひぃ……ぃ……」声にならない呻き声を上げ、博之さんがくるりと身体をひっくり返す。お尻をつき、腕を伸ばして必死に後ろに下がり何かから逃げようとしている。私にはそう見えた。
「もう四人死んだじゃないか……。御面様のお怒りは鎮まったんじゃないのか……俺じゃない……俺じゃないだろ! 離せ! 離せ! 離せぇ〜!」
誰に言ってるのだろうか。私には博之さん以外、誰も見えない。でも、よく見ると博之さんの顔は明らかに誰かの顔を見ているような表情をしている。目が見開き、一点を見つめ懇願するような顔——
「いやだぁ……やめてぇくれぇ……」と言いながら博之さんはどさっと背中から地面に崩れ落ち、懇願するように「やめてぇくれぇ……」と叫びながら自分の首に手を当てる。
「くっ……くるし…い……やめてぇ……くれぇ……」
私も美穂ちゃんと同じように怖いのに、誰かに手で頭を後ろから押さえつけられているように、顔を背けることができない。
「や……やめぇ……て……」
博之さんは、誰かに首を絞められているような、それから必死にもがいて逃げようとしているような、そんな動きを繰り返している。それでもだんだん息が苦しくなってきたのか、目がさらに見開き、今にも目玉が飛び出てしまいそうなほどだ。突き出した舌は自分の歯で噛んでいるのか、口元から血がたらりたらりと漏れている。「うぐっ……く……ぅ……」と声を漏らしながら、博之さんは自分の手で首を絞め、ガクッと動かなくなった。力をなくした腕がパタリと重力に従って地面に落ち、その反動で顔がゆっくりとこちらを向くように傾くと、私の目には、はっきりと博之さんの顔が見えた。
「もう……やめて……」
——あれは狂気に満ちた顔じゃない。恐怖に恐れ慄いた先にある顔だ……。まるで呪い殺された、そんな表現が似合う顔……。
「四人死んで、呪いは終わった」という博之さんの言葉が脳裏に蘇り、何度も何度も再生される。呪い……。祟りじゃなくて、呪い——
「瑞希さん……」と、美穂ちゃんが私の背中に顔を沈めながら名前を呼び、「はやく……」と言った。
「そうだね……。もう、行こう……。でも——」
駐車場に行くには博之さんの横を通り過ぎなくてはいけない。背中には美穂ちゃんの涙の熱を感じている。よっぽど怖いのだ。こんな状態の美穂ちゃんでは、あの博之さんを見たら気絶してしまうかもしれない。
——美穂ちゃんを抱えて歩ける気がしない。
美穂ちゃんに、「目を瞑って私に捕まって」と言い、私はできるだけ博之さんを見ないように横を通り過ぎた。
——次はお前の番だ
頭の中で、そんな恐ろしい声が聞こえた気がした。
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