Nature’s villa KEIRYU 3

 テラスは木下さんが言ったようにレセプションホールに戻るとすぐわかる位置にあった。四人席のお洒落なテーブルと椅子がいくつか並び、そのひとつには男性の姿もある。


 ——そりゃそうだよね。私たちだけってことはないか。それにあの格好。


 自分たち以外にも今日宿泊する人がいるとわかり、さらにはその男性がティーシャツに短パンというラフな格好だったのをみて、私はほっと胸を撫で下ろした。別にラフな格好で滞在しても良いのだ。二泊三日、美穂ちゃんの服を着なくてはいけない呪縛、それは自分のコンプレックスである背の高さを痛感することからの解放にも思えた。


 テラス席で用意された簡単な食事は、私たちにしてみればとってもリッチなサンドイッチだった。大黒百貨店のデパ地下の高級なお惣菜よりも高級に見えるサーモンやエビのマリネ、アボガドが挟んであるバケットサンドにキリッと冷えた白ワイン。


「もう、最高すぎません?」

「本当に。これ、本当にただでいいのかな」

「ねぇ。本当そうですよね。怖すぎるくらいのリッチ感。あ、写真撮るの忘れてました。ああ、もう一口かじった後なのに。瑞希さん写真撮りました?」

「え? ごめん。撮るという意識、どっかに置いてきちゃってたかも」

「あはは。確かにぃ。もう、何もかも手放してただここにいたいって感じですよね。デジタル類は全部放棄しても良い気がしてきちゃう」


 美穂ちゃんのいうとおり、美しい渓流の流れやエメラルドグリーンの淵を眺めながら爽やかな風を感じていると、下界のことなんて全部忘れてしまって良いような気がしてくる。デジタルを、放棄。まさにそんな表現はぴったりな気がした。ただ、この空間に癒されていたい。そう思えることが本当のリトリートなのかもしれない。


 日常生活から離れてリフレッシュする時間をもち、心身ともにリセットする、リトリート。なるほど、確かに。日常から離れ、デジタルから離れ、手に入れることのできる時間。ある意味、とても贅沢なことだと思った。


「でもあれですね、ここはセンターハウスなんですね。ゲストハウスでもあるし。あそこに見えるあの小さな建物が言っていた別荘のサブスクなんでしょうね」


 美穂ちゃんが指を差す方を見ると、渓流の上流にある高台にいくつかバンガローのような建物が見える。


「本当だ。きっとあそこなんだよ。でも、今日はここに案内されたし、ゲストハウスに宿泊ってことになってるんだよね。きっと」

「めっちゃラッキーですよね。でも、あのバンガローみたいなのも、このゲストハウスのテイストに合わせたデザインに外側がリノベされてるから、きっと内装もお洒落なんでしょうね」


 美しい緑と渓流に溶け込むようにデザインされたいくつかの建物は、自然と調和して見える。武山さんの話では毎月五万円程度のサブスク料金にプラス室内清掃費用と、別途食事代だと言っていたけれど、一体どんな人がこんな素敵な場所を使うのか。きっと私たちみたいな一般人ではないはずだ。だって、使っても使わなくても毎月五万円は、私には逆立ちしても払えない。


 ——でも駐車場には車は少ししかなかった。今日利用している人は少ないってこと?


「やあ、霧野さん、遠かったでしょ」


 背後から声をかけられ振り向くと、武山さんがいかにもお金持ちの雰囲気を醸し出しながらこちらに歩いてくるのが見えた。くるぶし丈の白いパンツルックに仕立ての良い爽やかなシャツ。もちろん革靴からは靴下なんて見えていない。そこにきて長いくせに清潔感のある髪型と整った顔。テレビCMに出てきてもおかしくないほどに完璧だ。


「武山さん、すごいですね。お話聞いてた感じよりも実物の方が凄すぎて、私びっくりしました」

「でしょ? ここ、すぐに会員数オーバーで、今ね、確か200人以上が順番待ちなんだよね」

「順番?」

「そう。空きがあったら会員になりたいって人が誰か会員をやめてくれないかって待ってるんだけど。なかなかやめないよね。だって月五万だもん。そりゃ入っておいて損はない金額だしね」

「そう、なんですね。私にはとても払える金額じゃないですけど」

「あはは。まあ、払える人は日本中幾らかの割合でいるってことだよ」

「でも、会員さんがいっぱいなのに、駐車場に車はそんなに停まっていませんでしたよ?」

「ああ。今日から三日間、設備の点検とかがあるから閉館にしてあるんだよね。まあ、でもあれだよ。会員になってる人だって、そうそうこんな山奥まで何回も来ないよ。サブスク会員になるステータス、いつでも利用できるという安心感。大体一ヶ月五万円、十二ヶ月でえっと六十万か。それくらいの金額一泊で使っちゃうようなメンバーもざらにいるし。ここが気に入って一番利用してる変人があそこにいる孝哉たかやくらいだよ」


 武山さんはそういうと、「孝哉」とテラスに座っている男性に声をかけた。


「おう! 聞こえてるから。お前いま変人って言っただろ」

「変人だろ。だってお前ここ何泊目だよ」

「使いたいだけ予約を入れて使ってる。サブスクだし問題ない。それにここは仕事が捗る。閉館中でも俺は気にしない。だって一番最初に会員になったの俺だから」


 二人が話しているのを聞きながら、すごい世界観だなと思った。今時ネット環境があればどこでも仕事ができるというけれど、まさにそれをしているお金持ちな人がここにいる。短く切りそろえた髪と焼けた肌。一見すると華奢に見える身体つきだけど、短パンから出ている脹脛ふくらはぎはたくましく見える。それに閉館中でも気にしないだなんて、よっぽど武山さんと親交が深い人なんだろう。


「あの、閉館中なのに、私たち今日来て良かったんですか?」


 つい聞いてしまった私に、武山さんは「設備点検はもうほとんど終わったから今日の夜は友人も呼んでパーティーをするんだ」と言った。


「だから霧野さん達も一緒にどうかなと思って」

「え? いいんですか? そんなお仲間の会に合流しても」

「もちろんだよ。その為にお誘いしたようなものだし」

「へぇ……。じゃあ、お言葉に甘えて」


 なんだか武山さんの言った言葉がひっかかるような気がしたけれど、武山さんと美穂ちゃんは二人で会話が弾んでいるようだしと、その感触を胸の奥に引っ込めた。別に、何か悪いことが起きるわけじゃない。でもなぜだろうか。雲行きが悪くなってきたのか、キラキラと水面に反射していた渓流に差し込む陽の光が弱まった気がする。


 そんなことを思いながらひぐらしの鳴き声がカナカナ聞こえるテラス席で、私はまた白ワインをひとくち口に含んだ。

 


 


 

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