第一章

きっかけ

「先週のことなんだけどね、妹が結婚することになったんだけど、その家族同士の顔合わせに、ちょっと敷居の高い日本料理のお店に行ったの。結構有名でウェディングとかもやる、そうそう、そこ。料亭吉野。あそこ、古い日本の豪邸を改築したフレンチのお店もあるんだけど、そっちじゃなくって、そうそう、一番最初からある方の、料亭吉野の方。行ったことあるの? すごい。だって美穂ちゃんみたいな若い子が行けるようなお店じゃなくない? そういう私も三十二年間生きてきて初めて行ったんだけどさ。ああ、そうなんだ。昔付き合ってた彼氏が超金持ちだったって言ってたもんね。その彼と行ったのか。納得。


 でもさ知ってる? あそこって昔からやってる料亭じゃなくってさ、今は別の会社が買い取って運営してるんだって。だから多分、お料理の質は落ちたんじゃないのかなぁってうちのお父さんが言ってた。というお父さんも、名古屋のちょっと敷居が高い料亭でご飯なんてそうそう行ったことないんだけどね。え? なんでそこで顔合わせにって? まああれだよ。妹の結婚する相手がさ、開業している歯医者さんなわけ。そう、まさに玉の輿ってことだよね。


 へ? べっつに羨ましいとかはあんま思わないかな。なんか向こうのご両親二人とも歯医者で、なんかちょっと気難しそうだし、うちは普通の家庭だから。でも妹はうまくやるんじゃないかな。歯科助手だしね。そうそう、そういうこと。働いていた歯医者の息子さんで、そこで出会ったってわけ。ありがちでしょ?


 で、ご飯を食べ終わってそろそろお開きにしますかってなってお店の外に出たんだけど、私はなんだかその顔合わせの雰囲気に疲れちゃって、親とは一緒に家に帰らずにひとりで帰ることにしたんだ。そうそう、うち、実家住まいだから。え? 言ってなかったけ? 名古屋市じゃ無いけど、名鉄の電車ですぐだから。だってさ、アパレルの収入で一人暮らしって無理くない? 美穂ちゃんみたいに彼氏と同棲中ならまだしも、一人で家賃払ってシーズンの度に社割はあるにせよ毎回新作を買わなきゃだし。同棲するようなそんな人もいないしさ、いつまでもぬくぬく実家暮らしさせてもらってる。そうじゃなきゃ、転職だって考えちゃうよ。でも好きなブランドだし、この歳までお店にいるから結構いいお客さんがついてるしね。そう、インポートのブランドばっかり買うような奥様方とか、結構いいお客さん多いんだ。そういう人って閑散期とか関係なく同じくらいの金額使ってくれるからありがたいんだよね。


 あ、話がそれちゃった。ごめんごめん。それで、本題。


 それで親と店の前で別れて、料亭吉野の前の一通の道を反対に歩いてね、一番最初にやってきた角を曲がったの。え? 目的地なんてないよ。ただ、一方通行ってみんなおんなじ方向に進むから、それに逆流して歩いてみたくなっただけ。なんとなく、そういう気分だったの。で、その角を曲がったところで少女漫画のお決まりのように向こうから歩いてくる人にぶつかっちゃってさ。慌てた慌てた。だって相手は誰だと思う? あの『優遊舎』の社長、武山さんだったんだよね。美穂ちゃんのお店にもくるでしょ?


 そうそう、一番いい素材でオーダースーツを作ってくれる、武山さん。私もメンズのヘルプに行った時にお話ししたことあるんだよね。ほら、オーダースーツって採寸するからさ、待ち時間とかもあるじゃん。だからその時に二、三回ハーブティー出したことがあって、その時に話したこともあったかな。でも、本当それくらいでね。だから、向こうはもちろん私のことなんて覚えてないと思ったんだけど、「霧野さんですよね?」って声をかけてもらっちゃって。もうびっくり! だって、路面店から大黒百貨店の中に入ってるお店に来たのは二年くらい前だし、それに同じショップ内とはいってもさ、いつもはレディースにいるからメンズの方にはたまにしか行かないでしょ? それなのに名前まで覚えてくれてたみたいで。


 あ、美穂ちゃん。そのニマニマした顔……。いやいや、その美穂ちゃんの今の話みたいなことはなかったよ、さすがに。でもさ、「僕の店近いからいっぱい奢るよ」なんて誘ってもらえて、なんとなく、お店の外だしいっかなって思って、「はい」って答えてついて行ったら、なんと料亭吉野のフレンチバージョンのお店で。そう、まさにさ、料亭吉野の運営を今してる会社が『優遊舎』だったんだよね。すごくない? で、フレンチのお店のラウンジにあるバーカウンターで一緒にお酒を終電ギリギリまで飲んで、いろんな話をしたんだけど。


 もう、その疑うような顔。本当に、それからはすぐに帰りました。だって次の日早番だし。それに、そういうことは気軽にすると後で痛い目を見ることくらい、三十二歳にもなればわかるって。私、本当に男運がないんだから。武山さんだって妻子持ちみたいだし。まぁ、別居中的なことは言ってたけど。ああ、そうそう、かっこいいよね、武山さん。大人の男性の魅力が前面に出てて、そういう色気みたいなフェロモン出てるしね。


 あ、もう休憩時間終わっちゃうじゃん。前置きが長くなっちゃった。でね、武山さんが新しく始めたサービスが今ものすごく人気が出てて、なんでも名古屋から車で二時間くらいの山奥に軽井にあるようなお洒落な別荘を作ったんだって。ただの別荘じゃないよ。今はやりのサブスク。月々五万円くらい払うとその別荘がいつでも利用できる的なやつ。なんか古いキャンプ場のある山を一個買っちゃったらしくてさ。そこに建築デザイナーを入れてものすごいおしゃれな感じにしたんだって。


 あるある。今スマホで画像見せるわ。

 これこれ。ね? 凄くない? でしょ! 

 めっちゃおしゃれだよね!


 で、よかったら一緒に行かないかって誘われたんだけど。


 もう、やだなぁ。だからそんなんじゃないってば。でも、せっかくだし、夏だし、平日休みでもいいって言ってたし、美穂ちゃん良かったら一緒に行かない? もちろん同棲中の彼氏さんがいいって言ったらだけど。でも確か彼って、公務員だったよね? だから平日だしどうかなって思って。


 え? 今喧嘩中だから気晴らしに行きたいって? やったぁ。じゃあ一緒に行こうよ。私たち同じ百貨店でも職場は違うからさ、お休みの日にち合わせやすいし。うん。じゃあ、今日の仕事終わったら日にちとか相談しようよ。あ、でも、今日は棚卸しがあるからちょっと遅くなっちゃうかも。


 うん、そうだね。LINEでいっか。じゃあまた連絡するね。ああよかった。私誰かと一緒じゃなかったら一人で行くなんてちょっと無理かもだったから。それに一緒に行くような友達近くにいないし。結婚してる友達が多いからさ。あ、ちなみに宿泊するお金とかそういうのは全部なしでいいんだって。


 だよね。超ラッキー!


 あ、だめだ。後五分しかない。もう本当に店に戻らなきゃ。うんしょ、靴をまたヒールに履き替えてっと。ほんと、立ちっぱなしだとヒールって足にくるよね。よし、後半戦、行ってきますわ。お互い頑張ろうね。じゃあ、今日の夜に。うん、空いてる日にちのLINEするね」

 

 

 なんて楽しい会話を大黒百貨店のフロア違いに入っている『アナザートゥモロー』私の働く店と似たり寄ったりのブランド、『トゥーデイズワン』の気の合うハウスマヌカン美穂ちゃんとして、その日の夜、私たちはその別荘に向かう日程の調整をした。



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