第4話 偉才と不良の邂逅 その3

・ボーイズリーグ

シニアリーグと同様、中学生を対象とした少年硬式野球リーグ

日本最大級の少年硬式野球団体であり、これもまた同様にトップ選手は名門校に進学することがほとんどである。




 四月三日、今日は私立清龍高校の入学式であった。そのため球はお昼手前頃、凛と帰路に就いていた。わくわくどきどきが止まらない、そんな帰り道になるはずだった。家に到着後のシュミレーションを入学式中に何度もした。昨晩、放送開始したアニメの原作を再読破するため、一分一秒たりとも無駄にできないのである。しかし球にとって凛との下校は大好きな趣味の時間に匹敵するほど大切な時間であった。


――凛ちゃんと二人で下校。私にとって至福の時間。可愛い、違う。ただ可愛いだけではじゃない。私にないものをたくさん持っている。そう。だから、凛ちゃんはこんなにも魅力的! なのに、なのに何でこうなってるのよ!!


「ねえねえ何で? 何で? 何で? ねえねえねえ、やろうよ野球。楽しいんだぜ! 面白いんだぜ!」


――知ってる。


「それだけじゃねえ、野球ってのは奥が深けえんだぜ。もちろんただ単純に能力だけじゃあ勝てねえし、一人だけ強くても勝てねえし」


――知ってる。


「そんで何よりも、最後の一球まで勝負がつかねえ。たとえ十点差、二十点差つけられて九回裏ツーアウト、ツーストライクまで追い込まれたとしてもだ。後、ストライク一つさえ取られなければ負けねーんだ。こんな面白いスポーツねえだろ!」


――知ってる。


「だから知ってるっ……あれ? あのバカどこに?」

 球の横を鬱陶しく付きまとわりながら、あろうことか野球の面白さについて熱弁し始めたのであったが、その当の本人は一瞬で球の横から音もなく姿を消していたのである。

「球ちゃん、あそこ」

「な⁉」

 凛が指さした方向には信じられない光景、龍一が腕を組み仁王立ちを決めている足元には腰の曲がったお婆さんがトラに睨まれたネズミのように怯え固まっていた。

 球と凛は何事かと、ついに不良らしいことをしたかと思い二人のもとへと駆け寄る。

「あんちゃん、こないだはどうもありがとね。本当に助かったよ」

「あぁ? あんなもん助けたうちに入んねーって。そんなことよりなんだその荷物、ほれ貸してみな。なんだよこれ随分と重てーな、これから家か?」

「え、ええ……」

「おっしゃ! じゃあ行くぞ!」

 龍一とお婆さんのそんなやり取りを、球と凛は呆気にとられながら眺めることしかできなかった。

「ね? 面白いでしょ?」

 凛は龍一とお婆さんを追うために一歩踏み出し、満面の笑みに少しドヤ顔を混ぜ合わせた表情を球に向ける。

「絶対に面白くない」

 龍一のギャンプがある行動に対して球が抱いた感情は凜のそれとはまったく異なる。初めて彼を見た時の嫌悪感とはまた違う何かだった。

 その感情が何なのか、何故こんな気持ちになるのか分からず、非常に虫の居所が悪かった。

 そんな球の気持ちなど知る由もない龍一は、困っている人がいれば助け、泣いている子供がいれば寄り添い。そんなことを何度も何度も繰り返しているうちにわずか二十分の帰路が二時間半になってしまう。お昼の時間もとうに過ぎており、今度は腹の虫が暴走し始めると球のイライラ指数も段々と上がっていった。

 それから球はやっとの思いで自宅に到着するも、龍一の勧誘は止まらず家の中まで入ってこようとしたため、さすがにやり過ぎだと思い警察に通報すると脅すと、親の仇のように球を見つめながら渋々と帰っていったのだった。




 翌朝、入学式の日同様、ふらふらしながらもなんとか教室に辿り着く球。龍一の異常にしつこい勧誘を乗り切った球はイライラの反動からかトイレ以外の時間はほぼゲームとアニメ、マンガに使い、結局床に就いたのが朝の四時であったのだ。


――あぁ、また凜ちゃんに怒られるなぁ。


 と、一番端である窓際の席に座り、少し眩しく、それでいて清々しい窓の外を眺めながら頬杖をつく。寝不足でなくても思わず寝てしまいそうなくらいに気持ちがいいだろう。そんな居眠りベストプレイスの真ん中に圧倒的に睡眠不足が一人。徐々に意識の中に濃霧が発生、回路がショートしたかのように思考が停止。微かに残った意識は虚ろな中に消え去ろうとしていた。

 そんな時だった何にも考えていなく、思考回路が元からショートしたような奴が現れたのは。

「よぉー! 球! おめえ随分と眠そうだな! さっさと起きろー!」

 球の席の真正面に堂々と、いや、偉そうに腕を組み仁王立ち。クラス中に響き渡るその大きな声は、落ちかけていた球の意識を覚醒するには十分だった。

「何よあんた、また来たの?」

 目をゆっくりと開き両手を頭上に伸ばすと、思わず大きな欠伸が出る。

「あぁ! 昨日の礼もしてなかったしな! それにお前を連れてかねえと練習できねえんだって」

「昨日の礼って? 私別に何もしていないのだけど」

「いや、最後まで付き合ってくれたろ? いやー誤解してたぜ。実はお前良いやつだったんだな!」

 龍一は爽やかかつ満面の笑みを球に向ける。

「別に、凜ちゃん一人を置いて帰れないから。それだけよ」

「そうだとしても良いやつだ! 最初はいけすかねえやつかと思ってたけど見直したぜ!」

「随分と上から来るのね」

「いやー高校入って初めて出来た友達が球と凜で良かったぜ! 正直不安だったんだよ〜」


――いつから私、こいつの友達になったのかしら?


 そう、口から出そうになったがなんとか心に留めたのであった。


――友達‥‥‥まあ悪くない響きね。


「んでよー。どうだ? 今日一回でもいいから練習見に来ないかぁぁぁああああ!!」

「え⁉」

 昨日とは打って変わって、少し丁寧に勧誘をしようとしていた龍一の姿は目の前にはなかった。何者かの飛び蹴りを食らい、割れんはがりの勢いで窓と熱い抱擁を交わすと、額に青筋を浮かべる。

「おい! 誰だこらぁ!」

「りゅーいち。私に向かって、おい、だと?」

「あ! 師匠! すいません!!」

 先程まで龍一が立っていた場所には百五十センチ後半ほどの小柄な女子学生が腕を組み仁王立ちしていた。金髪を肩の下まで伸ばし、とても活発で元気一杯な小学生のような顔も、今は龍一への怒りでムッとしている。その小学生とも思える相手に対して、龍一は深々と頭を下げる。

「昨日の練習も、今日の朝練も、何故サボった! 昨日の夜だって部屋に行ってもいないし。一日も無駄にできないんだろ?」

 かなり偉そうな口調、よくある軍の教官のような口調で龍一に問いかける。

「いや、それは師匠が球を連れて来るまで練習するなって」

「ばぁっかもん! 私はそんなこと言ってないぞ! それくらいの気概でやれって言ったんだ!」

「えぇ! そんなあ、完全にそう言ってたじゃないですか」

「ばぁっかもん! それくらい分からんと野球も上手くならないぞ!」

 そんなアホな二人のやり取りを笑いながら、球に近づいてきた女子生徒がいた。

「あははは、またやってる」

 龍一が師匠と仰ぐ女子と同じくらいの背丈、茶髪はうなじを隠しており、いわゆるセミショートである。そのボーイッシュな見た目と、とても可愛らしい童顔が見事に調和されている。とても高校生には見えない。

「初めまして、だね。私の名前は」

「一尺紬(いっしゃく つむぎ)先輩ですよね?」

「え? 私のことを知ってるの?」


――そんなこと当たり前。ボーイズリーグの強豪、桜木バルカンズの名物コンビ。『神速』こと一尺紬、『怪物』こと賀上玲(がじょう あきら)のことを知らないはずがない。一つ上の代でボーイズの関東予選を大いに沸かせた女子コンビだ。


「紬でいいよ。ってことは玲ちゃんのことも知ってるよね」

「紬先輩。一つ質問なんですけど」

「んー?」

「その、お二人はここの野球部に入ったのですか?」

「んーにゃ、違うよ」

「じゃあどうして」

「私たちは野球部じゃなくて、女子野球部だよ!」

 紬は高らかに、元気一杯に球の勘違いを訂正する。

 一方、球のはその一言で大体の事情は把握できたようだった。龍一、紬、玲は清龍野球部ではなく、女子野球部に所属しているということだろう。

 いくつかの疑問は残っていたのだが、あまり深く関わりたくなかったので詮索するのをやめた。

 紬と球がそんな会話をしていると、ボーズの少し小汚い男子生徒が割って入ってくる。

「おいおい! うるせえなあ! 昨日からいい加減にしろよ!」

「あぁ⁉ なんだとごらぁ!」

そんな汗臭いボーズにオラつく龍一。

「だからうるせえつってんだよ! それにそんなやついくら勧誘しても無駄なんだよ! 偉才だが呼ばれてたけどな所詮は女。シニアでは通用したかもしれねーけどよ、高校じゃ通用しねーんだよ!」

 野球部と思しきクラスメイトの言葉に、球はギリッと歯を食いしばる。

「それにそこの小学生みたいなやつも女子野球部なんだろ? まったくおままごとだな! 女子野球部ってのは!」

「なんだとー! このボーズ! やんのかー!!」

「だ、ダメだよ玲ちゃん! 喧嘩しちゃ!」

 自分たちを侮辱され、再び飛び蹴りを繰り出そうとしている玲を紬が何とか羽交い絞めにし抑える。

「事実だろ。なあ二木よぉ!」

「……」

「おいおい無視かよ! 同じ星刻シニアの仲間だろなあ!」

「うるさい。話しかけないでもらえる?」

「はっ! 腑抜けたものだな二木よぉ! あの鬼みてぇーな偉才はどこにいったんだか、やっぱお前も女だったんだな!!」

 彼の名前は花形朝(はながた あさ)。かつて球が所属していた星刻シニアのレギュラーメンバーであり、現在は清龍高校野球部にスポーツ推薦で入部したのである。

「おい! いい加減にしろよてめぇ……さっきから女、女って。女だから野球やっちゃいけねーのかよ⁉」

「はあ? バカじゃねーのかお前。そういう話じゃねーんだよ。一人で勝手に踊ってろや」

 もう冷めたと吐き捨て、自分の席に戻る朝。そのみんなを小馬鹿にした態度に龍一は拳を握りしめ舌打ちをする。

 朝の言ったことがまったく分からなかったことへの苛立ち、そしてもう一つ、球の態度が非常に龍一の癇に障っていたのだ。

「てめぇもてめぇだ! あいつにあんなこと言われて何も感じねぇのかよ!」

「……何のことよ」

 何のこと、そんなことは分かっている。でも今、球はこれ以上触れてほしくなかったのだ。

「とぼけんじゃねぇ!」

「……」

「あぁ、そうか。だんまりか」

「だってしょうがないじゃない、私は女よ。花形の言う通り高校じゃ通用しないわ」

 何でもないような顔をしながら、そう返すも球の内心は穏やかではなかった。自分で自分を陥れるようなことを言っておきながら、その自らの言葉に腹が立っていたのだ。シニア時代の球なら絶対に言わない言葉だ。

「お前、それまじで言ってんのか?」

「当たり前でしょ。常識よ。あなたそんなことも知らないの?」

 女子選手は高校以上じゃ通用しない。それは現代野球において常識だった。

 そんな常識的発言も龍一には通用しない。それどころか彼の感情をさらに逆撫でるものにしかならなかった。

「てめぇはよ……ただ女ってことを言い訳してるだけじゃねーのか? なあ、ちげーか?」

 龍一のその発言は非常に良くなかった。何故ならば球の図星をついていたからだ。

「お、おい。りゅーいち……」

「なんすか師匠? だってそうでしょどう見たって」

「いや……そうじゃなくてだな」

「それに先輩たちに対してだって失礼ですよ」

「だからりゅーいち、その辺にしとけって……」

 玲が必死に龍一を静止するも全く収まる気配もない。完全に火がついてしまっていた。

「てめぇもなんとか言えよ!」

「……さい」

「あぁ?」

「うるさいって言ってんのよ!!」

 椅子を立ち上がり、いつもの怠そうな表情は見る影もない。感情むき出しのその表情にクラスメイトや玲、紬だけでなく龍一も肝を抜かれていた。

 教室で思わずそう怒鳴ってしまったことに気まずくなった球は、扉へ足を速める。

「おはよーって、どうしたの球ちゃん?」

 急いで教室を出ようとするとタイミングを見計らったかのように凛が扉を開け中に入ってきた。

「……トイレ」

「そっか……行っておいで。後は任せていいから」

「……ありがと」

 凛はまるで我が子を見守るかのような優し気な表情で球を見送る。

「……ちっ! 何なんだよ全く……」

 そう小さく呟いた龍一はどこかバツの悪そうな顔で窓の外を見ていたのだった。

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