第3話 偉才と不良の邂逅 その2
・私立清龍高校
県内有数の私立進学校である中高一貫校。
莫大な生徒数を抱えるマンモス校であり、生徒はそれぞれ特進科、普通科、スポーツ科のいずれかに所属している。
授業はそれぞれの科で別れているも、ホームルームは三科混合になっている。
龍一は球のことをどれだけ知っているのだろうか、彼女は無意識のうちにそう考える。
野球関係者であるならほぼ確実に彼女のことを知っている。にも関わらず彼は無邪気にも野球をしようと誘ってきたのである。
しかしそんな彼の誘いに球の返答は決まっていた。
「いや」
球は少し強い口調で返す。彼女にとっては断固拒否するという姿勢の表れだった。
物心ついた頃からボールを握っていた球であるが、あの日、もう二度と野球はやらないと決意したのである。
「え?」
球の返答が俄かに信じ難かったのだろう。龍一は先程の自信満々な態度から一変、嘘でしょ、といった具合に口を半開きにして固まっていた。
「やきゆーやらない?」
何故か首を傾げ片言の日本語で聞き返す龍一。
「何度も言わせないで、やらないって言ってるでしょ」
相変わらずのその目で自分より二十センチほど高い龍一を見る。初対面の相手に少しだけ悪いと思いながらも、気怠げに厄介払いをする。
「りありぃ?」
「だからそうだって……」
「まじかよ! あー! 今の誘い方完璧だと思ったのに! 女心ぜっんぜんわかんねー!」
両手で頭を抱えると急に大声を上げる龍一。
そんな彼の姿に球は少し引いていた。
「ねぇ、凜ちゃん。こいつ頭大丈夫?」
「ふふ、ね? 面白いでしょ?」
「いや、全然面白くないんだけど……」
龍一のおかげで新学期早々にクラス内で悪目立ちしてしまっている。静かに趣味と勉強に専念したい球にとっては最悪のスタートであった。
「なあ! ほんとにやんないの⁉ やってくれないとまじで困るんだけど!」
「あなたの事情なんて知らないわよ」
球は随分と身勝手な物言いに少しだけむっとする。何であなたのためにやらなきゃならないのよ、とでも言いたげだ。
それに球には一つ引っかかっていることがあった。彼女は特に自分の二つ上下の学年における有力な選手の情報は、ほとんど完璧に網羅しているのである。
龍一は凜曰く、ここ清龍高校野球部に所属しているとのことだった。清龍野球部は甲子園常連の名門校であり、毎年全国から有望株をスポーツ推薦で獲得している。それらの選手はみなスポーツ科に所属しているため、目の前のヤンキーも清龍から推薦を貰ったことになるのだ。
しかし戸ヶ崎という野球関係者にとってあまりにも有名な苗字は一旦おいて、戸ヶ崎龍一なんていう選手のデータは球の頭に入っておらず、名前すら聞いたことがなかったのである。
――チェック漏れなんて有り得ない。
そう絶対的確信を持つ球にとって、龍一の存在は謎であり未知であった。
「あなた本当に野球部なの?」
球はそんな未知を相手に確認せざるを得なかった。もう辞めたとはいえ、過去の自分が死にものぐるいで掻き集めた情報に穴があったとは思いたくなかったのだ。
「あ? あったりめえよ!」
「そ、そう‥‥‥」
「そんなことより、なあ頼むよ! よく分かんねぇけどお前を連れてかないと練習に参加させてもらえねぇんだ !」
胸の前で手を合わせてから、頭を下げる龍一。
するとまだ名も知らぬクラスメイトたちがザワザワ。
「ねー見て見てあれ。なんかすごくない?」
「わ、ほんとだ。あのメガネの綺麗な子、実はやばい人なんじゃない?」
などと、要らん噂話が立ち込め始める。
会話の内容を聞いていなければ、ガラの悪い大男を屈服させている女子。周りの目にはそんな風に球が見えているのだろう。
そんな状況にかつて偉才と呼ばれた球は焦っていた。
「ちょ! やめなさいって!」
「いや、やめない! お前が練習に来てくれるまでやめない!」
「なっ‥‥‥」
「あははは! やばい、面白い! ねぇ、球ちゃん。こんなに頼み込んでいるんだから一回だけ行ってみたら? 私も一緒に行くからさ」
凜にそう言われると思わずオーケーサインを出してしまいそうになる。球は昔から凜に滅法弱く、今回の件も野球関係ではなかったら間違いなく了解していた。
「頼む! 俺には時間がねぇんだ‥‥‥一日も、一秒も無駄にできねぇ!」
龍一はさらに頭を深く下げる。その彼の姿勢は球の感情を動かす。彼女自身、一生懸命な人の懇願、気持ちを踏みにじることはしたくないのだ。
それ故に球の心境はより複雑なものになっていった。
・ 清龍高校野球部
春夏通算59回甲子園出場
優勝2回
準優勝1回
ベスト4 7回
ベスト8 25回
スポーツ推薦で全国から集められた少数精鋭チーム
合計72名のプロ選手を輩出している全国屈指の名門校
一般入学の生徒でも入部することは可能だが三年間雑用係にされるという噂
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます