第4話
ある夜。澪はとっくに眠りについていて、わたしは一人眠れずに天井を見つめていた。
「そうだ」
確か、澪が部屋の窓から屋根に上がれるって言ってたっけ。行ってみようかな。
物音を立てないように起き上がり、窓を開ける。
「よい、しょっと…
わぁ…!」
家の前は崖になっていて、下の方には小さな砂浜が見えた。水平線と空は暗闇で繋がっていて、満月が上にも下にも輝いている。夜の寒い風が髪を攫って、私は知らないうちに歌を口ずさんでいた。
「———♪」
歌詞なんてない。誰が作ったのかもわからない。そんなの気にしない。だけど何故か不思議と口にしてしまう、心の奥底に根付いている歌。
「っくしゅ」
「わっ!?」
突然の音にびっくりして足を滑らせかける。すぐ下から聞こえてきたから、たぶん澪だと思う。もしかしたら窓を開けっぱなしで来ちゃったかもしれない。閉めようと思って立ち上がったとき、窓のところから頭が出てきた。
「あ、水月。そこにいたんだ」
そう言って澪は寝ぼけた目を擦り、慣れた感じでわたしのところまでやってきた。
「眠れないの?」
「うん」
「そっかぁ…ちょっと待ってて」
そう言うと澪は一回部屋に戻って、掛け布団を手にして戻ってきた。
「眠くなるまで話そう」
わたしたちは肩を寄せ合って一つの布団にくるまって色々なことを話した。好きなもの、苦手なもの、学校のこと…
「そうだ。水月はどこから来たの?」
「海だよ。私のお母さんは海だから」
わたしにとっては当たり前のことだった。だけど、澪はその瞬間顔色を変えた。
「ごめんね。辛いこと聞いちゃったよね」
「辛いこと…?でも、信じてくれるんだ」
「それはもちろん。嘘だなんて思わないよ。それに…」
澪は少し声を暗くした。
「私のお父さんも海にいるから」
「お父さん?」
「うん、健二さんと藍さんは本当の親じゃなくて叔父さんとその奥さんなんだ。私は居候させてもらってるんだ」
そう言うと、澪は一瞬海の遠くを見て話しだした。
「私のお父さんは漁師だった。いつも美味しい魚をたくさん獲って、いつも元気に笑ってた。たぶん、私が一人だったからっていうのもあるんだと思う。私は生まれてすぐにお母さんが死んじゃって、家族はお父さんしかいなかったから。私は別にそれが不幸だとは思ってなかった。お父さんはいつも優しかったし、友達もいたから。でも、きっとお父さんはそう思ってなかったんだろうね。お母さんの分もって張り切って頑張って、なるべく私と一緒にいるようにしてくれてた。いつからか私は時々漁にも連れて行ってもらうようになってた」
「そんなある日のことだった」
そこで澪は一度深く息を吸った。
「私はいつも通り私、お父さん、健二さん、藍さんの四人でお父さんの船に乗ってた。その日は異常なくらい大漁で、いくらか魚を海に返したほどだった。変だねとは言っていたんだけど、お父さんたちが異変に気付いたときにはもう遅かった。
急に波が大きくなって、船が揺れた。大人たちは大急ぎで荷物を片付け船の中に避難したけど、私は甲板で動けなくなってたんだ。今思えば私は小さかったから揺れる船の上を移動するのは難しかったんだね。お父さんが私のことに気づいたときには船の揺れは大人でも立っていられないくらいになっていて、私はしゃがんで柱にしがみつくだけで精一杯だった。中々揺れは収まらなくて、私の腕はもう限界だった。お父さんはそれに気付いてたんだと思う。私の手が離れそうになったとき、お父さんが飛び出して、私を抱えて船の中に投げ込んだんだ。そうしたら突然大きな揺れがきて、そのまま…」
澪は目の前にその光景を浮かべているようだった。
「今でも夢に見るんだ。私が受け取られたのを見て安心した顔。船から投げ出される直前のしまったという顔。私たちはその後なんとか陸に戻ることができたけど、お父さんは二度と帰ってこなかった。それ以来、私たちはここのお店を継いで海には出なくなったんだ」
澪の声には海への隠しきれないほど暗い悲しみが滲んでいた。
「あ、ごめんね。こんな暗い話しちゃって。こんな話聞かせるつもりじゃなかったんだけどな…」
「ああもうそんな顔しないで。あれからもう何年も経ってるから、心配しなくても大丈夫。健二さんと藍さんも本当の家族みたいに思えてるしね。だから、気にしないで」
嘘だ、と思った。あの暗い感情はきっと今もまだ澪の中に息づいている。だって、そうじゃなければ、
「なんで、そんなに寂しそうな目を、」
「うん?どうかした?」
「ううん、ちょっと寒くなってきちゃったなと思って」
それじゃあそろそろ戻ろうか、なんて手を差し出す澪はさっきまでの雰囲気なんてどこにも残していない。
「澪…」
澪の力になりたい。少しでも早く大きくなって、澪を支えて、もっとずっと一緒にいたい。澪が寂しさを感じることがないように。澪がちゃんと今と未来を見られるように。
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