7章 人形遊び

 はぁーあ、やっちまった。


 電気も付けずに入った風呂の中で私は一人、唇をかんでいた。

 浴槽で自分の弱い音だけが鼓膜を打つ。

 水面を揺らし、無口に私へ押し寄せる波が酷く痛い。


 あの後、家に帰った私は母親の心配の声すら無視してとにかく泣いた。

 自室のベッドは今日だけで相当重くなったかもしれない。

 泣き疲れて、枯れることなんて想像もできなかった涙が枯れて、いつの間にか寝てしまった私は、冷静になった頭で起きた。

 心配する母親に少し喧嘩しただけだと伝え、静かに風呂に入った。


 なにやってんだろうな、私。落ち着いた脳は記憶を鮮明に思い出す。


 ただ一方的にぶったアイツの赤い頬がちらつく。


 私がしたのは、気持ちをぶつけてぶん殴っただけだ。感情的に、その場の雰囲気に任せてあいつを傷付けて、我が身の可愛さに話も聞かずに走り去る。


 虐めそのもんじゃねーか。

 ほんと自分が嫌になる。


 何もせずに水に浸かる自分がバカらしくて出来る限り音を立てないように湯船から出た。浴室の鏡に映る自分は所々が赤く腫れていて痛ましい。


 腹や二の腕、腿と服を着てしまえばバレないところで胸を下ろした冷静な自分が嫌になる。


 こんな日でもしっかり髪も体も洗って、薬を塗って体のケアが出来る自分が嫌になる。


 しっかり寝間着に着替えて、家族の前で笑えてしまう自分の強さが嫌になる。



 そのくせ、部屋に入った瞬間に泣きだしそうになる自分の弱さが嫌になる。


 部屋に入るとあいつから貰った少し不思議なクマの人形が目に入った。何かの意味で渡されるらしい花がキラリ反射して私の目を写した。真っ黒で据わった、歪な目だ。


 勿論、冷静になってすぐに謝りたいとは思った。

 確かに裏切られたけど、だからと言って私が殴る理由にはならない。

 でも、私はあいつの家はおろか名前すら知らなかった。

 虐めの主犯の名前は覚えてんのに、謝りたい友人の名前は分からなかった。学校に    行けば担任を通して電話は出来るかもしれないが、変な奴だと思われそうでやめた。


 確かに、違和感はずっとあった。なんで虐めが過去一長引いた日に話しかけてくる奴がいるんだとか、なんで無理して加害者側に回ってんだとか。



 あぁ、そうだ。確か花の名前はブーゲンビリア。意味は盲目的な愛情だっけ?

 盲目的。今の私にピッタリじゃん。それとも、アイツはここまで見越してたのかね。

 それとも、自分の代わりに人形で我慢しろってか?

 新生児なんかは人形遊びで情緒を育むらしい。ある意味だと、人形遊びが人を作るんだろう。確かに私にもそれが必要かもな。


 なんて、適当なことを考えてみても脳裏の映像が離れない。

 さっき、灰色の世界であいつの頬だけが真っ赤に染まってた。

 それこそ、さっき見た私の肌とかあいつの部活の怪我みたいに。

 あーあ、二学期からは裏庭じゃ昼ご飯食べれねーな。


 『まぁ、実際は『盲目的にならずにいろんな視点を持て』って意味で使われるらしいんだけどね』

 緑色の裏庭でいつだかに話した声が聞こえる。

 確かテストの一週間前から部活は無いんだっけ? テスト中も無いだろうから、明日から再開するんだろう。あの真っ赤な腕とか足は誰が直すんだろうか。

柄にもなくそんなことを考える。


 昨日も私が……。


気付いた瞬間に部屋を飛び出していた。

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