5章 時は早まっていく

 テスト前の時間の進み方は異常だと思う。

 私はいつも通りパンを食べながらそんなことを思っていた。テストの三日目の四時間目が終わり、残すは今日の一科目と明日の二科目だ。

 鮮やかな緑が深くなった裏庭で一人分のスペースを開けるのに違和感がなくなったのはいつろからだろうか。

 今日はいつもより遅い気がする。

 だいぶ仲良くなった……と思う。

 流石に教室では話しかけてこないように言ったが、昼は毎日一緒に食べているし、時間がある時は登下校もするようになった。

 友人に勉強を教えたり、他愛もない話をしたりするのは久々かもしれない。

 たまにあいつが体を赤くして来て、薬を塗ってやるのもいつの間にか日常の一つだ。

 右腕とか腿裏を怪我することが多いみたいで、あれでどんくさい所があると思う。

 後、変わったことは……。

ちゃん~。遅くなってごめーん」

 こいつが私を下の名前で呼ぶようになったことだろうか。わざわざクラスの座席名簿から私の名前を探したらしく、少し恥ずかしいので意識しないようにしている。

「お、やっと来たか。見てみろ。花! 咲いたぞ」

 広場に入ってきたところを手招きする。

「え、ほんとだ! 綺麗~!」

 後は、『キスツス・アルデドゥス』が花を咲かせた。

 私の隣にバックを置いてから、園芸部の花壇に駆け寄ったので付いていく。私よりほんの少し低い高さまで育った茎から、綺麗な白色の花を太陽の方を向いて咲かせた。中心へ丸まった花びらは紫色の斑点を持っていて、恐ろしい印象を与えるかもしれない。

 どんなもんだと――私が育てたわけじゃないが――横を見るとこっちを見る綺麗な目が見えた。

「ん? そんな見て、なんか合ったか?」

 こっちじゃなくて、花を見ろよ。アンタも楽しみにしてただろ。

「いやぁ、葵ちゃんが学校で笑ったの初めて見たから?」

「うっさいな。それより、テストは?」

 私だって笑うことあるだろ。

「あ、ヤバい! ヤバいッ! これ以上低かったらまた先生に怒られる」

 そう言ってパタパタとバックを置いた花壇の方に走っていく。またって前科あるのかよ。私は、揺れるワイシャツを見てため息をついてから、後を追った。

「これとこれ、何処覚えとけばいいの?」

「先に腕見せろ。腫れてるぞ」

「え、ほんとっっ⁉」

「何をそんな驚いてんだよ。ボール当たったとかなんか心当たりあるだろ」

「ほら、早く」

 そうせかして、赤く腫れた皮膚に薬を塗っていく。これ、絶対痛いだろ。

なんで身に覚えがないみたいな顔してんだ。

「もういいぞ」

 塗り終わったのでそう声をかけてやると「ありがと~」と軽い調子の返答が来た。

「んで、何処だっけ?」

「あぁ! ここと、ここと……」

 めくられる政経の教科書を見ながら覚えておきたい単語を言っていく。

 私の声を聞いてから、一つずつマーカーを引いて言っているが、いつ覚えるんだろうか。もうテストまでそんな時間残ってない気がするが。

「んで、次は?」

「次って、ちょっとぐらい休ませてよ~」

 だからそんな時間何処にあるんだよ。もうテストこの後すぐだぞ。

「いや、アンタがそれが良いなら勿論いいんだけども」

「あたしさぁ」

 私の心の声は聞こえなかったようで、辺りを見回しながらそう切り出した。

「この場所のこと誰にも言ってないんだぁ」

「そうなのか? 仲良い奴とかには言ってるんだと思ってた」

「二人だけの秘密って考えるとなんかロマンチックじゃない?」

「まぁ、本当は私だけの秘密だったわけだが」

 私が少しおどけて見せるとアンタは大袈裟なまでに笑ってくれた。

「それにしても、本当に私のとこ来てよかったのか? あいつ等にバレたら面倒だぞ」

 ここ一か月で何度言ったか分からない質問をまた投げてしまった。

「またそれ~? 気にしないでいいのに。それにバレないように気を付けてるから大丈夫だよ~」

 そう言ってパクリと大きな口を開けていつの間にか持っていたパンに被りついた。

 案外元気だなこいつ。テストは本当に大丈夫なんだろうな。

「それに話してみてもう少し話したいなぁって思ったの私だし」

 バッと勢いよく隣の顔を見てしまった。でもやけに神妙なそいつの顔に思わず笑ってしまう。

「え、なんで笑うの!」

「いやぁー、すまんすまん。でも、気を付けろよ? あいつ等最近機嫌悪いぞ~」

「あ、そうなの?」

 こちらをポカンと見つめる顔にパンを一齧りしてから答える。

「なんか呼び出される時間が長いんだよなぁ。ゴールデンウィーク明けたぐらいからだと思うけど。テスト前ってのも関係してるんだろうが、ストレスが溜まってるらしい」

 同意を求めるように隣を向くと、思い出したようにバックを漁りだした。この姿よく見る気がする。

「あっ! そう言えば。これ、挙げる」

 差し出された薄緑色のケースを受け取る。

「あん? なんだこれ、ラムネか?」

こいつ、私に物結構くれるよな。いつか、私からもプレゼントした方が良いんだろうか。

「そっ! 私に勉強教えてくれたお礼~」

「いや、別に」

 そこまで言って、言葉を切る。


「……やっぱ、ありがたく受けっとくよ」

 受け取ったラムネを開ける。ぷわりと甘い匂いが広がった。カサカサとなるケースを傾けて幾つかを渡す。

「テストの前に食べてとけ。頭回るぞ」

「ありがと」

 そう言って笑ったアンタが、余りにも良い笑顔でついに目を逸らしていしまう。

「食べたら帰れよ。そろそろ昼休みも終わる」

 なんとかそう呟くと、「はーい」と拗ねたような子供っぽい声が返ってきた。

 返事したくせに変える素振りを全く見せずに、ほんの少しだけ唇を濡らしてから口を開いた。

「ねぇ、一緒に帰らない?」

「何言ってんだ。早く帰れ」

「あはは、そっか。……その、変なこといって、ごめんね。」

 そう言って、目をゆらしてから立ち上がった。

「じゃ! またあした!」

「あぁ、またな」

 それだけ言って手を振ると、大袈裟に手を振り返して歩いていった。

 夏祭りみたいな賑やかさが消えて、遠くから柔らかな土を踏む控えめな足音だけが残る。手に残った、まだ自分以外の体温が残ったラムネを開ける。

 ぷわりと広がった匂いは、私を包み込むような暖かい匂いだった。

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