3章 学校は染まり始める

 私達は汚いオレンジ色に染まる帰り道を私達は歩いていた。

 話を聞く限り、この後輩だと思っていた女は私のクラスメイトだったらしい。今日私を虐めてた奴——白雪さんと呼ばれていた——に強引に誘われて初めて体育館裏に来たそうだ。

 じゃぁ、今日から増えた奴か。

「普通自分が虐めた奴に会いに来るかね」

 隣を見てみても、あの綺麗な笑顔の人と隣で項垂れてるこいつが同一人物とは思えない。

「うー、ごめんなさい。でも、知っての通り私も虐められた経験あるから午時さんの気持ちとかも少しは分かるかなって思って」

 知っての通りって言われても知らないけどな。クラスの中では有名なんだろう。

「はぁー。そうかい。じゃぁ、アンタは大々的に助けようとは思えないのか?」

 その場の重力が急激に重くなったかのように錯覚させる低い声が出た。

 チラリと視線を飛ばすとクラスメイトちゃんは生まれたばかりのシマウマのようになっている。

 バチッ

 視線が重なる。

 私は逸らすことなく真っ直ぐ、目を見つめていた。そこまで綺麗じゃない、でも決して汚くもない目だ。五秒ぐらいだろうか。何も言わずに見つめ合ってから、少女が口を開いた。

「私だって、助けたいとは思ってる」

 ぎゅっとバックを握りしめた。

「でも、……でも。いざ、動こうとすると吐きそうになる。足も……震えちゃうし……。今日だって、私のせいで……」

 しかし、一緒に力の入れた目は耐えきらなかったようだ。

 頬を伝って一点に集まった涙が一滴ずつ落ちている。

「そうかい。ありがとうな」

 私はそれ以上なにも言わなかった。その感情が本物であることが分かってしまったから。ゆっくりと右手で頭をさすってやる。張ってもらった絆創膏と綺麗に纏められた髪がぶつかった。

 歪んだオレンジ色の景色の中で、一滴ずつ落ちる水の音だけが響く。

周りから漂う晩御飯の匂いが、自分たちのいる空間を世界から隔離する。目の前の少女が出す弱弱しい音だけが世界に広がっていた。


***


「大丈夫か?」

 むせるような声も収まった少女にそうやって声をかけると、コクリと首を落としてくれた。彼女の目だけがこちらを向く。

「失望した?」

「なんで?」

「なんでって、私が虐められた経験があるのに止めてないから?」

「あんたがこれで何もやらずに虐める側に回ってたらな」

 私がそう言うとニコリと笑ってくれた。まだ頬には涙が残っていたので、拭ってやろうと手を伸ばす。

「キャ」

「あ、驚かしたか。ごめんな。生憎ハンカチとか持って来れないもんでな」

 この前持ってきたら破かれた。それ以降は持ってきてない。

「さ。速く帰ろうぜ。誰が来るか分かったもんじゃない」

 私がそれだけ言って歩きはじめると、少し急ぎ足で付いてくる。

「午時さん。イメージと違った」

「そうなのか? 私はずっと私だが」

「もっと、怖い人かなっと思ってた」

「まぁ、女子らしくない自覚はあるよ」

 声も低いし、言葉遣いだってそうだろう。でもクラスメイトのあの、猫なで声は好きじゃない。

「変えようとか思わないの?」

「自分をか? 思わないな」

「なんで? 周りと違うんだよ?」

「私は私だろ。変わる必要なんてない」

「そっ……か」

 それっきり隣を歩く奴から声は聞こえなくなってしまった。

 不規則で、疎らな足音がコンクリの固い床を叩く。

 人がいるのに、声が聞こえない。そんな静寂は、控えめな声色で終わった。

「午時さんは強いんだね。あんなことされて自分を変えずにいられるなんて」

「少し、違うな。私は、変わりたくない訳じゃない、私は変えさせられたくないだけよ」

「え?」

「私を人形か何かと勘違いしてるような奴に変えさせられるのも、私のことを知ってんのに助けようとしない普通な奴らみたいになるのも嫌なだけだ」

「それは……、なんで?」

「感情的に人を虐めるような奴になりたくない。人が虐められてんのを見て自分を守るだけの護身的な奴にもなりたくない。空気に流される自分が無いような奴にもなりたくない」

 知らぬ間に触れ合いそうなほど近づいた顔から、逃げるようにしていたずらっぽく笑ってみる。

「ただそれだけだよ」

 コンクリを打つ音が聞こえる。暖かい音だった。太陽は低くなって、住宅街を自身と同じ色に染めていく。

「ありがとう」

 彼女はそう言って泣くように笑った。

 やっぱり、彼女はあの時の笑顔の素敵な奴だった。


***


 次の日の四時間目。授業を遮るようチャイムが鳴った。

 それを合図に板書したルーズリーフを持って教室を出る。そのまま廊下のロッカーから軽いバックを取り出して購買に向かう。

 購買のおばちゃんも私がワイシャツの胸ポケットから五百円玉を取り出すのに慣れたらしくスムーズにパンが買えた。

 財布を持って来ると中身が無くなるんだもん、仕方ない。

 その足で教室に戻るのではなく、少し遠回りをしてから校舎を出る。

 余りにも早いと目立つので、昼休みに校庭を使う男子に紛れて行くのが大切だ。

 途中で男子たちと離れて、校舎の間の細い道を奥に進んでいくと急にひらけた場所に出る。そこは周りを建物に囲まれて誰にも見られない小さな裏庭で、私の秘密の場所だ。

 一応、園芸部が使っているようで、花壇が一つだけ綺麗に整えられている。

 荒れた花壇の一つに適当に腰を下ろした。手に持っていたルーズリーフをバックの底板の下に隠しておく。これで破られることも無い。

 ここまでして、やっと私の昼休みは始まる。


ゆっくりと息を付いた。



 建物に囲まれて太陽光は入ってこないここは、空気が涼しくて美味しい。案外隙間があって、さっぱりしているのも評価ポイントだ。

 買ってきたパンを開けて、口に運ぶ。今日は焼きそばパンと蒸しパンにした。

「お、育ってるなぁ」

 花壇にはゴールデンウィークの前ぐらいに植えられたらしい苗が元気に育っている。『キスツス・アルデドゥス』と書かれた看板からはどんな花を咲かすのか分からないが楽しみだ。

 私は、ここで過ごす昼休みが好きだと思う。

 静かで、人がいないこの空間はゆっくり過ごせる気がするし、ご飯が美味しい。

 体育館裏や校舎裏は殴られた記憶がちらつくし、教室なんてもってのほかだ。一度でも虐められると、そこは危険な所だと判断するようで味がしなくなる。

 人間の記憶能力は結構偉大なもんだ。勿論、この裏庭にもデメリットはある。

 でも今は、今だけは私しかいない。そう思えば自然と力抜けてくる。

「あ、居たぁ!」

 急に聞こえた声に体が強張る。嫌な予感を感じながらも振りむくと、昨日会った女子生徒がビニール袋を持っていた。

「なんだ、アンタは昨日の」

「職員室に行ってたら、校舎から出る午時ちゃんが見えたから、付いてきちゃった」

 そう言って、あははと笑っている。私はほっと息を吐いた。

「あぁ、なるほど。アンタで良かったよ。あいつ等にバレたかと思った」

 ここは来る途中に職員室の中から見える道を通る。それが唯一のデメリットだ。

 一回、先生の手伝いをする振りをして確認したから間違いない。

 そいつは、私が手に持ってるパンを見る。

「ここで、ご飯食べてるの?」

「あぁ、ここなら誰も居ないしな。教室じゃ食べづらい」

「あぁ、そうなんだ。こんな場所があったんだなぁ」

「良い場所だろ?」

「ねえ、私もここでご飯食べて良い?」

「ん? あ、あぁ」

 ちょっとずれて座れる場所を作る。ビニール袋の中は私と同じく購買のパンだったようだ。

「気を付けろよ。あいつ等テストが近いからか、最近機嫌悪いからな」

 食べ終わった後に言えば良かったと思ったが、気にしていないようで話を続けてくれた。

「あ、テスト! つい最近中間だったのに、もう一か月切ってるもんねぇ。私ヤバいやぁ。午時ちゃんは?」

「んまぁ、いつも通りじゃないか? 中間もそんなもんだったし」

 昨日は午時さんだった気がするが、いつの間にか午時に変わったらしい。

「それじゃなんも分かんないじゃーん 何位ぐらいなの? 因みに私は二百位ぐらい」

 そう言って、ふんすと息を吐いた。学年が三百人とかなので、残念ながら自慢は出来ない気がする。

「私は三十位とかだ」

「え、たっか! 良く取れるね」

「虐めのせいで点が取れませんでしたとか言い訳したくないからな」

「凄いなぁ、私に勉強教えてよぉ~」

「別にいいぞ」

「やったぁー! 先生に目付けられて、席替えの時も固定されてるから大変だったんだよぉ。あそこの席、出口まで遠いしさぁ」

 先生が席固定するって相当だろ。

 なにやったんだよ、こいつ。

 因みに私は先生を手伝ったせいで真面目な生徒だと思われて面倒な目にあってる。

 なにしてんだよ、私。

「それはまぁ、仕方ない」

「ほんとに出席番号って良くないよね。私、三十四番だからあそこから動いたことないんだよ? 酷くない?」

「自業自得では?」

「ひっどッ! 仕方ないじゃん。勉強しないとなぁと思ったら寝てるんだもん」

「それは本当に自業自得だろ。もっと頑張れよ」

 さっきと同じように「ひっどッ!」と喚いている。それを横目に見ながら、食べ終わったパンのごみを丸める。

「「ごちそうさまでした」」

 意識せずに揃ったようで、隣からも同じ声が聞こえた。

「あ、同じタイミングじゃん! じゃぁ、帰る? もう少しいる?」

「いや、先帰ってくれ。一緒に帰るとなんかあると面倒だ」

 私がそう言うと、少しの間渋っていたが納得してくれた。

「ん、じゃぁな」

「またねっ!」

 そう彼女は、咲くように笑って、帰っていく。

 彼女がいなくなった裏庭はいつもより静かな気がした。

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