2章 学校は冷たい香りがする
「んん」
背中に走る薄情な感触で目が覚めた。ほんの少しの暗さを内包した夕暮れは体を震わせる。自分の胃液が染み込んだ土に降れて体が強張った。でも周りにはあいつらはいないようで息を吐く。
「私は玩具かなんかっての」
体中がズキズキと痛んだ。
あいつらは私を心の無い作り物だと思っている節があると思う。
ほんと、ばかみたい。
肘や足を捻って、目立った外傷が無いかを確認する。
制服で隠せない場所に傷があると親に心配されるし、学校に説明するのも面倒だ。
体の中心に近い所から順番に指先へと視線を伸ばしていく。
「なんだろ。これ」
右手の人差し指に見覚えのない絆創膏がある。
私には似合わないピンク色で、可愛らしくリボンの柄が書いてある。
他の学年の生徒が偶然見つけて貼ってくれたのかもしれない。
もう少し別のことをして欲しいとも思ったが、先生とか呼ばれても面倒だな。
素直に感謝すべきか。
大怪我の無いみたいで良かった。
さ、帰ろ。
スカートについた泥を払い落して立ち上がった。
それにしても今日はいつもより長かったな。
殴られるようになって最長記録を更新したかもしれない。
三年生になって少し経った時、クラスで虐めの標的になった。
殴られるようになったのはその少し後だ。
理由は良く分からないし、興味もない。
どうせ普通じゃないとか、空気が読めないとかだろう。
昔からそうだ。
まぁ、私のことを人間とすら思ってない奴にどう思われても良い。
ただ、あいつらの事を肯定するわけじゃないが、心情が分からない訳でも無い。
大学受験の控える三年生はこの時期にピリピリする。私みたいに適当な大学に行けば良いという人は少数派らしく、テストが近づくにつれて教室の中がギスギスしだすのだ。
あいつらの親は自分の娘がクラスメイトを虐める子供に育っていることを知っているんだろうか。
「そんなに勉強が大切かね」
良い大学にどうしても行きたい。そんな感情は私にはよくわからない。
自分を変えてまで頑張ろうなんて、とてもじゃないが思えないんだよな。
その意味だと私は、ただ目の前の嫌なことから逃げてるだけなのかもしれない。
校舎に入った私は、自分のロッカーから軽いバックを取り出して近くのトイレに入った。バックから櫛を取り出して鏡に映る自分を見る。
「おいおい。あいつ等相当強く引っ張ったな」
崩れまくった髪を見てつい声が出た。
鏡の中の私はいたる所に土がついて、皮膚が赤く腫れている。
顔には涙の流れた跡があった。ペロッと舐めた涙の跡は、汗みたいな味がした。
顔をざぶざぶと洗って、しっかりと土を落としていく。
赤い肌に薬を塗っていくと鏡の中の自分はいつも通りに化けていく。
小柄で、不愛想で、目だけやたら澄み渡っている。
声を出してみると、声変わりした低い声がした。
いつからだろうか。こんな生活が自分の一部になったのは。
今年から?
でも、それまでにも虐められたことはあった。
そんなことを思ってから鏡の中に自分に一瞥を送って、軽すぎるかばんを持ち上げた。
***
人目が多いところを選びながら裏門を目指す。虐められるようになってから正門はあいつらと鉢合わせる可能性があるので使わなくなった。
癖みたいなもんだ。
後、独り言も増えたかもしれない。
独り言は自分の思考との会話だ。それ以上でも、それ以下でもない。
寂しくないと言えばウソになる。
でも、もう慣れてしまった。
後癖と言えば、あれだ。クラスの事が良くわからない。
クラスメイトの名前は勿論、顔を見ても同じクラスなのかすら分からない。
去年からずっとそうだ。
じゃぁ、多分虐めと関係なく私のせいだな。だって、去年は虐められてないし。
裏門に近づくにつれて人数が減って、冷たい匂いを漂わす足音だけが廊下に響いていく。
最近、学校は灰色に支配されているなって思う。
そう、思うようになった。
学校から活気が消え、その独特の色がモノクロに染まっていく。
そんな気がするのだ。
校庭で大きな声を上げるサッカー部も、おしゃべりをする女子生徒も少しずつ灰色に飲まれていく。学校を色づける高校生は時間と共に消えていく。
勿論私も、裏門でやっと来た、なんて言って笑っている女子生徒も例外じゃない。
私が人のストレスの吐き口にされて、後処理をしてる間、部活にいそしむ奴も、他愛のない話に使う奴も、仲の良い友人を待っている奴もいる。
そう思うと途端に血液が沸き立つような気もしたが、直ぐに静まった。
そいつ等が私のために何もしないように。私もそいつ等に何もしないだけだ。
お互いに本質は変わらない。
「ちょ、待ってよ」
青春を楽しんでいる声を無視して歩みを進める。
「ちょっとッ!」
余りにも迫真に迫った言葉に思わず振り向いた。
そこには、一人の女子生徒がいた。
ん? なんで一人なんだ。友達は?
「あ、やっと止まった」
私の前に人なんていただろうかと思って、もう一度前を向きなおった。
「ちょ、なんで」
いや、いないな。私は意識的に舌を濡らす。
「えー、と。もしかして。私に話かけてるのか?」
「ずっと、そうだよ?」
そう首を傾げる少女の方見ると視線を逸らされた。
何なんだこいつは。
「それで? 私に何の用だ?」
問いかけると少し困ったように左の頬を掻く。
「その、大丈夫だったかなって思って」
「大丈夫? 何が?」
「いや、えーと。その」
私が聞くと相手は詰まってしまった。どうにも話が見えてこない。
どうしたら良いんだろうか。私が待っていると、そいつは言いにくそうに私の腰のあたりに目線を揺らした。
「その、体育館裏で……」
「あぁ。私がぶっ倒れてる時に絆創膏貼ってくれた後輩がアンタか? さんきゅーな、嬉しかったぜ」
「え。いや、その」
私のことを心配してくれて待っていたらしいそいつは戸惑った声を出すが、わざと無視して続ける。
「じゃぁ、またな」
私はそれだけ言ってヒラヒラと手を振った。まだあいつらが学校内に居たらこいつにも迷惑がかかるだろう。後輩に被害を出すのは気が進まない。
「いや、待って」
肩が掴まれた。私がわざと荒々しく手を弾いて口を開いたのと、後輩が言葉を紡ぎ始めたのは同時だった。
「あのなぁ。私なら大丈夫だから、速く――」
「私も! あの場所に居たの」
私が途中で言葉を切ったのに対し、後輩は止めることなく続けた。
「助けてあげられなくてごめんなさい」
ん? あー。もしかして体育館の影とかから見てたのか?
それで、助けに入れなくて負い目を感じてる?
それは悪いことをした。
「それは嫌なもん見せたな。でも気にすんな。先輩同士のとこに入るのは難しいことぐらい私だって――」
「違くてッ!」
またしても私の言葉は遮られる。今度は先ほどよりも強く。
違う? じゃぁ、なんだってんだ? 首を傾げていると、一息ついてから口を開いた。
「私も、その……、午時さんが……やられてる時に……周りにいたから」
「は? どういうこと?」
そいつは意味が分からず聞き返した私に申し訳なそうに答えを口にした。
「だから、私も。午時さんを……虐めてる人の一人だったから……」
「はぁっ⁉」
その答えは、高校に入って一番の音量を私に出させた。
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