【背中が地面についた日 ②】
彼女は、4年生からの転校生だった。ごく普通の女の子だ、と思った。実際はじめの1年はそういう風に思っていた。5年生の頃に、何かのきっかけで接点が生まれた。とりとめのない話を続ける内に、仲は深まっていったが、ただし友人としての仲だった。グループでよくつるむようになっていった。丁度いじめが消え去っていた頃、いじめを乗り越えた先の、自虐を含んだ新たな人格が形成されようとしていた。一種の全能感さえ生まれ始めていた。彼女には彼氏ができていた。親友とも呼ぶべき仲の男だった。
特に何も思わなかった。周りと一緒にはやし立てて冷やかして、それだけだった。
きっかけらしいきっかけは思い当たらないが、自覚した瞬間はあった。しょうもない男子小学生の会話だった。「お前の好きな子誰だよ」よくある茶化し合いのやりとり、それまではクラスの人気の女子を適当に答えてやり過ごしていたのに、ふと引っかかるものがあった。不思議な胸の疼きがあった。初めての恋が横恋慕とは、と思わず笑ってしまった。その場は適当に誤魔化した …それはそうだろう。いくら何でも空気が読めなさ過ぎる。ただでさえ小学生なんて、ちょっと距離感が近いだけですぐに付き合っただラブラブだと盛り上がるのだ。いかにもおあつらえ向きな三角関係だ、あっという間に広まるだろう。どちらも大切な友人だった。こんなことで失う訳にはいかなかった。
ただ一人、当人にだけは伝えておいた。部活終わりの帰り道で、彼はたいそう驚いたようだった。言わない方が賢明にも思えたが、そのときは隠し事をする罪悪感から解放されることを優先した。自分の気付かないうちに我が儘であった。あの時彼がどう思っていたかは分からないが、何ヶ月か経つ間にふたりは疎遠になっていった。自分のせいではない、と言う風に本気で思っていた。最後の最後に彼女と隣の席になった。前にもましてよく話すようになっていった。想いは増すばかりだった。卒業式の日に告白しようと思った。
当日の帰りに思いを伝えた。彼女は戸惑うばかりで、次第にいたたまれなくなった。逃げるように家に帰った。返事は貰わずじまいだった。
お互い私立に行く気はさらさら無かったので、学区のまま同じ中学校に進学した。気まずくなると思って居たが、彼女の態度は告白する前と何ら変わらないままだった。拍子抜けだったが、わざわざ己の羞恥の歴史を掘り起こす気はさらさらなかった。真実を明らかにする誠実さよりも、自尊心と、もしかしたら、という利己心を選んだ。今にして思えば彼女の優しさに過ぎなかった。またしても傲慢であった。二人の関係は変わらなかったが、周囲の反応は違っていた。いつの間にか彼女と付き合っているという噂がまことしやかに伝わっていた。部活の先輩には良くからかわれた。彼女のほうにまで飛び火してしまったのがさすがに申し訳無かったが、自分が言われる分には満更ではなかった。いつしか噂に唆されるように、彼女へのアプローチを始めていた。何だかんだと理由をつけて毎日のように二人で帰った。時にはストーカーまがいのことまでやっていた。だが、以前から生じていた万能感がこのときも私を支配していた。なんだって出来るような気がしていた。さながら勇者のような心地だった。端から見れば蛮勇であった。
「自信、とは自らを信じる、と書くけれども、果たして本当に自分から生ずるものなのか。僕は違うと思うんだ。もちろん自分を信じることを自信と呼ぶのだけれど、その自信の源は自分ではなく、相対評価なんだ。『他の人に比べて』頭が良い、あるいは運動能力が高い、顔のつくりが美しい(これについては単なる自己評価だが)、こういった優越感を客観的に味わうこと、要するに数字として表れる点数の高さだったり、50m走のタイムだったり、周りからの評判だったり、そういった自分以外の存在に認められること。そうして、自分のことを『安心して』信じることができるんだ。練習によって成長するのは技能だけでなく、『これだけの時間をかけたのだ』という自負…言い換えれば、『時間という相対評価による自信』も育てることが出来る、といえるね。『何でも出来る』というのは、『何においてもその能力が認められているように感じる』ということでもあるんだ。
まあ、若気の至りだね。」
2年のクラス替えでも結局同じにはならなかったが、仲は以前よりもさらに深まっていった。4月の地域のイベントの屋台を、二人で回る約束をした。今度はいけると思った。帰りにまた、告白をした。返事はまた貰えなかった。しかし以前とはまた様子が違っているようだった。学校で会うたびに、何か言いたそうにしては逃げていく彼女を見て、しめた、と思った。ここぞとばかりに攻め立てた。
そうして彼女と付き合うことになった。最後にどちらから告白をしたかは覚えていない。そこからの日々は幸せそのものだった。男女の仲は付き合った瞬間が最高潮だなんて話もあるが、月日が経つほど思いはむしろ増すばかりだった。そこから中学を卒業する迄の間、自分が無敵であると錯覚するほど充実していた。万能感はさらに力を増していた。
その驕りが正当だと感じるぐらいに何もかもが上手くいっていた。最後の半年は彼女に会いにいくために学校に行っていたようなものだった。まさしく恋は盲目であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます