【背中が地面についた日】

 幼少について言ってしまえば、正直特別に取り立てて言うことはなかった。

 ごく普通の家庭に生まれた。高校教師の父親、専業主婦の母、姉と妹が1人ずつ。好奇心が強い子だった。暇さえあれば昆虫図鑑を読み、近くの野原へ駆け出していった。カマキリを育てるためにいつもバッタを捕まえていた。雌のカマキリだった。産卵させるために捕まえた雄のカマキリが、夜中の内に頭から貪られて死んでいた。酷いとは思わなかった。幼いながらも、自然の摂理についてはなんとなく理解できていた。弱者が何の躊躇もなく虐げられる世界。そこには確かな命のやりとりがあった。

 何年かして、父親の転勤で引っ越すことになった。近くの野原は、コンクリート塀に囲まれて、ずいぶんと狭くて貧相だった。少年の知る巨大で伸びやかなショウリョウバッタたちはどこにも居なかった。小さい土色のエゾバッタばかりだった。そのうちに野原には行かなくなっていった。あの頃の喜びはすっかり失われてしまった。その代わりに友達とよく遊ぶようになって、学校が終われば毎日のように出かけていった。バスケもサッカーも楽しかった。ふざけて投げた石ころが知らない家の窓ガラスを突き破った時はさあっと血の気が引いていった。幸いにも空き家だった。ガラスの弁償だけですんだ。親にはこっぴどく叱られたが、しかし次の日には綺麗さっぱり忘れてまた遊びに行った。


「三つ子の魂百までも、とはよく言ったものだ。それだけ幼少期の体験は重要であるということだね。純粋でまっさらな子供の頭には、あらゆるものが吸い込まれていき、重なり合って基盤が作られていく。その人の人格が作られていくというふうにも言えるだろうね。」


 転機は小学4年生の頃だった。いじめにあっていた。何でもないことが要因でクラスで遠まきにされていた。隣の人の机は露骨に離された。買ったばかりの筆箱がゴミ箱に捨てられていた。けれども、そう辛くは無かった。その年から野球部に入っていた。なんでも一生懸命にやる性分が幸いして、ベンチに入るのも早かった。クラスでどれだけ蔑まれても、部活の中に居場所があった。毎日が楽しかった。5年生に上がる頃にはいじめは無くなっていた。しかし、その頃から、ある自覚が芽生え始めていた。

『自分は誰かに否定される存在なのかもしれない。』

 はっきりとした意識ではなかった。ただし潜在して心の奥底に根づいていった。男はいじめを解決するとき、それを「認めてしまう」ことを対処としてしまった。反抗すればするほど火に油を注いでしまうことをわかっていた。確かにそれは効果覿面であり、男は満足してしまった。知らず知らずの間に傷は増えていた。劣等感とも呼ぶべき汚濁だった。

自分を自分で貶めることに慣れ始めていた。そのほうが楽だった。特に間違いだとも思わなかった。自我の変革が訪れていた。


 「厨二病、という言葉があるけどね。これは単にゲームの登場人物になりきったり、魔法が使えるように振る舞ったりすることではないんだ。厨二病というのは、行動ではなくて心の状態なんだよ。ある一種の自己否定なんだ。何の能力もない自分、個性のない自分。そうした劣等感から、創作物のヒーローなんかに自分を重ね合わせるんだ。「自分には他の人には分からない力があるんだ」ってね。悪いことではないと思うんだ。そうすることで肯定が生まれて自己が保てるのなら、幻想に自身を委ねてしまうことも、一つの自己防衛だと言えるのかもね。」


 そうして、また一つ年を重ねて、何事もなく時間が流れていく、そんな日常の中で。

恋を、した。6年生の夏だった。

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