【話をしようか ②】

 「ちょっと話が逸れてきたね、申し訳ない。僕の癖でね。話の流れで思い出した引き出しをついつい引っ張り出してきてしまう。こうなると僕の話は長いんだ。まあ君、持ちかけてきたのは君の方だろう、ちょっと我慢して聞いてくれないか。大丈夫、はぐらかすつもりはないさ。聞かれたら何でも答えるつもりでいるよ。飽きたなら素直に言ってくれたまえ、単純かつ明快に普遍的で模範的な結論を教えてあげるよ。もっとも、君が求めているのはそういうことではないんだろう?君が求めているのは結論ではなく、そこに至るまでのプロセスだとみた。ならば好き勝手に話させて貰うよ。そこから何を得るかは君次第さ。」


 話の長い男だ、と思った。しかし聞きにくいとは思わないのが不思議なところだった。彼の言葉はするすると鼓膜に流れ込んでいき、海馬にこびりついていくよう。滔々と語り続けていた彼が閑話休題、とばかりに珈琲を啜るのをじっと眺めていた。


 「何の話をしていたんだったか…ああ、そうだ『自分らしさ』だね。そうなんだよ、そもそもこの言葉、おかしいとは思わないかい?『自分』は当然、今ここに居る存在そのものだ。デカルトのいう『コギト・エルゴ・スム=我思う故に我あり』というやつだね。何かを考えるとき、そのことを考えている『自分』は確かに存在している…全くその通りだ。そして『らしさ』とは『らしい』の名詞化、『~風である』『それに似ている』ってところか。何のひねりもなく訳すなら『自分に似ている』『自分のようである』と。それなら、『自分が自分らしく生きる』とは『自分が自分のように生きる』となるわけだ。これだけではわかりにくいかもしれないな。ただ、考えてみてくれたまえ。『らしく振る舞うことが出来る』とは、『そのものではない』ということだ。殺人犯を演じる俳優が、どれだけの怪演をもって世間を恐怖に陥れたとしても、その俳優を殺人罪で提訴する人間はいないだろう。『らしい』というのは、『実際にそうではないが』という条件を暗に含んでいるのだよ。つまり、『自分らしい』は、言葉面通りに捉えるなら、『実際にそうではないが自分のように振る舞う自分』となるのだよ。矛盾が生じているだろう?」


 確かに、と頷きかけてふと疑問が浮かぶ。素直に彼に伝えてみる。


 「―うん、その通りだね。普段に過ごす日々の中で『自分らしい』という単語を、仮にことさら強調して用いたとしても、そこに矛盾や不快を感じる人間はそう多くないだろう。つまり、一般に用いられている『自分らしい』という言葉は、そのまま字面通りの意味ではないか、もしくはその矛盾に違和感を持たないで使われているのか。僕は後者だと思うんだ。さっき、一般的な『自分らしさ』というものは、しばしば『自分の思うように生きる、やりたいことをして生きる』というふうにして用いられるという話をしたよね。そう、だれもが自分というものに二面性を見いだしているのだ、という風にいえるんだよ。現状の自分と、やりたいことをしている自分、のようにね。殆どの人がそう考えているんじゃないかな。実際にはどちらの状態であっても…好きなことをしていても、業務や家事に追われていても…そのどちらも紛れもない自分なのだけれど。みんな自分のことをプリテンダー(pretender)のように感じているのだろうね。『自分ではない誰かを演じている』そんな風に。


 過去の自分を言い当てられたようで厭な心地がした。思わず顔をしかめる。

目の前のコーヒーカップが持ち上げられ、また元の位置に戻るのを確認してから、また彼は話し始めた。

 「ただし、だ。大切なのは、その先だよ。確かに『自分には二面性がある』そう思うのは自我の成長として適切な過程なんだ。みんな通る道なんだ。大切なのは、『その二面性すらも自分なのだ』という覚醒だよ。やりたくないことをする自分、思い通りにならない自分、目を背けたくなる自分への否定から生まれる二面性。その苦しみに向き合い、呑み込んで、再び己を肯定する。そうして、たしかなアイデンティティが形成されていくんだ。

 『自分らしさ』とはそういうことなんだ。『自分らしく生きる』というのは願望でも目標でもなく、大いなる決意と覚悟なんだ。あらゆる欠点、屈辱、喪失、痛みも苦しみも、自分という大きな杯に注いで一滴残らず飲み干してしまうことなんだ。

『自分らしさ』とはそういうことなんだ。『自分らしく生きる』というのは願望でも目標でもなく、大いなる決意と覚悟なんだ。あらゆる欠点、屈辱、喪失、痛みも苦しみも、自分という大きな杯に注いで一滴残らず飲み干してしまうことなんだ。」

「だから、『自分らしく生きなさい』というのはやっぱりおかしいんだよ。あたかもそれが人生の指標のように、仮想の『自分らしい自分』を目指すことが正しいように言ってしまうのは、それはもちろん人の求める理想なんだけれども、そんなことは出来やしないんだ。みんなそんなことはわかっているんだ。あらゆる失敗の果てに自分が存在していて、それは純然たる事実なんだ。それなのに、まるで自分のなりたい自分を求めて、なりたくなかった自分は恥ずべきことなのだ、と。己の二面性を否定するかのように偽の『自分らしさ』を押しつけるのは、どうしようもないルサンチマン(怨恨感情)なんだと思うんだ。」

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