第36話、大きな壁


 純白が部屋から出ていった後、俺は教科書などを片付けて日課の筋トレを始めていた。


 勉強で固まってしまった身体を伸ばしたり、腕立て伏せや腹筋などの回数をこなしながら今日のトレーニングも欠かさない。


 一通りメニューを終えてから汗を流しに風呂場に向かおうと思った時だった。


 ――コンコン。


 部屋のドアをノックする音が聞こえて顔を上げる。純白がまた部屋に来たのだろうかと首を傾げるのだが、聞こえてきた声は全く別人のものだ。


『蒼太、ちょっと話があるんだが』

「父さん? 分かった、今行くよ」


 ドア越しに聞こえてくるのは父さんの声。普段あまり聞かないトーンだったので、何か重要な用件でもあるのかと思いつつ俺は返事をして立ち上がる。


 自室を出てリビングに向かうとそこにはソファーに座っている父さんの姿があった。さっき仕事から帰ってきたばかりなのでまだスーツ姿のまま、どこか神妙な面持ちをしている。


「どうしたの、父さん。何かあった?」

「ああ。何かあったと聞かれたら……まぁ、そうなんだろうな……」


 煮え切らない様子の父さん。一体何事かと不安になりつつも、俺もソファーに腰をかけた。


 父さんは一度俺の顔をジッと見つめてから口を開く。


「最近、実はお前と純白の事が気になっていてな……。小さい頃から本当に仲の良かったお前達だが、高校生になったあたりから仲が良すぎる気がするんだ」

「仲が良すぎる……って。変わらないだろ、今も昔も」


 俺は思わず父さんから目を逸らす。


 俺と純白の関係は変わった。互いの気持ちを知っている。でもそれは父さんにだって言えない事だ。兄妹だけど恋人のような関係、俺と純白が互いを異性として認識して、好きになっている事は父さんにだって言えるはずがない。


 俺と純白に血の繋がりがない事を父さんが告げるのは今から10年も先の事だ。

 

 俺はそれをタイムリープしてこの時代に戻ってきたからこそ知っているけど、父さんにとって俺が時間を遡った話は夢物語のように聞こえるだろう。話したところで信じてもらえるはずもない。


 だから俺達が立派な大人になって自立して、俺と純白が支え合って生きていける事を証明出来るまで、父さんにも、周りの人間にも、俺達の関係は秘密にしておきたかった。でも――。


「父さんの目を誤魔化せると思ってるのか。あまり一緒に居てやれないが……お前達の事は誰よりも分かっているつもりだ。なあ、蒼太。お前と純白は今、兄妹以上の関係になってるんじゃないか?」

「父さん、どうしてそう思うんだ。俺達はいつも通りだよ、ただ仲が良いだけだ」

「いいや違う。あのな、おれも最初はそう思っていたんだよ。だがな……」


 父さんの声に力がこもり始めていくのを感じる。そして父さんはゆっくりと俺の顔を見据えるように視線を上げた。


「この前、首に赤い痣つけてたろ、蒼太。あれは、キスマークじゃないのか?」

「……っ」


 俺は首筋に手を当てる。もう時間が経って消えているが、確かにそこにはキスマークがあった。甘えた純白がつけてくれたもので、学校では周りの人に見られないようにコンシーラーで上手に隠していた。


 けれどお風呂に入れば落ちてしまう、家にいた事もあって油断しきっていた。それをきっと父さんに見られていたのだ。


「蒼太、それともちゃんとお付き合いしてる子が学校にいるのか? その子につけられたものなのか? それならまだ分かる、高校生の時なら羽目を外して、つい好奇心で……という事もあるだろう。しかしな、もし妹の純白からされたものだとしたら……それは家族として許されない事だ」


 厳しい表情で俺を睨みつける父さん。俺が何を言おうと聞き入れてくれない雰囲気が漂っている。


 ——そして、父さんは決定的な一言を口にする。


「蒼太。お前、一人暮らしするか?」


 その言葉に心臓がバクバクと鳴り響き、緊張で喉がからからになる。俺は唾を飲み込んで父さんに問い返す。


「一人暮らしって……どうして?」


「父さんはな、不安なんだ。お前達は仲が良すぎる、同じ屋根の下で暮らす兄妹なのにな。それ以上の関係のようにしか父さんには思えない。だからはっきり言おう、このままじゃお前達は駄目になる。蒼太は純白から離れるんだ。二人の将来の為にもな」


 はっきりとした口調。俺の意思なんて関係ない、これは命令だと言わんばかりの圧力を感じた。


 父さんが言っている事は正論だ。俺だってそうだった、一度目の人生で父さんが言っている事と同じ選択を取った。


 このまま純白と一緒にいてはいけないと兄として身を引いた。距離を置いて妹の純白と関わらないようにした。


 寂しい顔を見せる純白に心を痛ませながら、俺は妹の隣から離れていったんだ。


「お前達には普通に恋愛して、普通に結婚して、幸せな家庭を築いて欲しいと思っている。その為にも、兄妹の間でこれ以上の間違いが起こったら大変だ。だから蒼太、お前は純白から離れて一人で暮らした方がいい。それがお前達の将来の為にもなる」


「父さんは俺と純白が一緒にいたら、不幸になるって……そう言いたいのか?」


「そうだ、不幸になる。お前達は兄妹だ、兄妹の間で恋愛感情を抱くなんて普通じゃない。そんなお前達がこのまま一緒にいれば苦労するのは目に見えている。だからお前が純白から距離を置け」


 淡々と話す父さんは本気だ。本気で俺と純白を引き離そうとしている。それが二人の将来の為だと、俺達の幸せの為だとそう思っている。


 でも違うだろう、父さん。だって俺と純白の間に血の繋がりはない。兄妹という精神的な繋がりがあっても、俺達がそれを乗り越えて結ばれる事は何の間違いでもないんだ。


(父さんは、俺が純白を一生支えられる存在だって、どんな困難でも俺達二人で手を取り合えば越えられる関係だって、認めていないんだ……)


 父さんが全てを話すきっかけになったのは純白の結婚だ。


 新しい家庭を築き、その人となら一生を支え合い、手を取り合えばどんなに辛い事があっても大丈夫だと、そう認めたから全てを純白に告げたのだ。


 つまり俺達はまだ父さんに認められていない。そして何よりも兄妹として育ててきた俺達が結ばれる事を良しとしていない。


 俺は純白と離れたら幸せになれない。純白と添い遂げられなかった後悔を一生引きずり、生きる意味すら見失ってしまう。あの時の後悔が心に刻まれているからこそ父さんの言う通りにするわけにはいかなかった。


 離れる事は絶対に出来ない。決して離れたくなんてない。


 でも父さんは俺に有無を言わさず話を続けた。


「蒼太、借りる部屋はおれが探しておく。純白にもおれからそう伝えておくから、お前は何もしなくていい。大人しくしていろ」


「父さん……っ!」

「話は以上だ」


 父さんはそう言ってリビングから出ていった。 そして階段を登っていく音が聞こえる……きっと今の話を今度は純白にするつもりだ。


「純白……」


 俺は無意識の内に妹の名前を口にしていた。


 俺達の関係を父さんに否定された事、これから起こるであろう出来事、一度目の人生では決して経験することの無かった未知の事態。


 真っ暗な不安が心の中で渦巻いている。


 だが、それでも俺は諦められない。例え父さんに何を言われようと、俺は純白の隣にいる事を譲れない。


 純白と添い遂げる為に俺はタイムリープしてきた、あの時の後悔を二度と繰り返さない為に、今度こそ純白と幸せになると誓った。


 どんなに辛い事があっても、この気持ちだけは揺らぐ事はない。


 この先どれだけ辛くて苦しい事が起きても俺は純白と一緒なら乗り越える事が出来る。


「俺はもう、間違えない――」


 その想いと共に俺は拳をぎゅっと握った。

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