第7話
ミカエルは一頭のキョンを倒すと二頭、三頭と流れ作業の様にキョンの骸を重ねていく。
突進してくるキョンには翼で防ぎ、そして翼で跳ね飛ばした。
ミカエルの翼は盾の様にその身を守り、腕の様に敵を投げ飛ばす。
何十頭のキョンがミカエルの前に倒れる頃にはミカエルが着ている白いTシャツも白い翼も、返り血で真っ赤に染まっていた。
キョンの数が減りその力も弱まってくると、それは戦いというよりミカエルの一方的な殺戮の様相となっていた。
そして最後の一匹になるとそのキョンは戦意を喪失したのか、下の階を逃げ出した。
ふとそれを見たミカエルは咄嗟に剣をキョンに向かって投げた。
回転しながら飛んできたその剣は俺の真横を掠め、キョンの後頭部を貫いた。
そして俺は後ろを振り返るとキョンがうめき声を上げゆっくりと倒れる光景を見ていた。
「ただ見ているだけでいい」と、ここへ乗り込むときにミカエルは俺にそう言った。
本当にそれで済むのか?…と疑念を抱いていたが、まさかここまで俺が見ているだけの存在になろうとは思いもしなかった。
最後の一頭を倒すとミカエルは翼を羽ばたかせて着いた返り血を払い、キョンに刺さった剣を引き抜いた。
「こいつら数が多いだけでまともな力も持っていない、はやりこの程度か」
「お前、こういう事は初めてじゃないんだな」
「当たり前だ、私は天使なのだ。前世では数え切れないほど悪魔を屠ってきた。それに比べたらこれくらい」
朝飯前とでも言いたいかの様な顔をしていた。
俺は今、非常に危険な状態の中に立たされている。
その上ではこの男ミカエルに頼らざるを得ない、という状況を身に染みて思い知った。
「この分では親玉も大した事はないかも知れん。行くぞ、上の階へ」
それにしてもこの男はよく急かす。
俺の心の整理は全くついてないが、そんな事はお構いなしに次の状況へ足を踏み入れていった。
三階。
そこに到着すると二階とは違う多くの生物の視線を感じた。
人間だ。
老若男女、五〜六十人ほどはいるだろうか。
しかし人々の顔には疲れ切った様子が写り、数日間監禁されている為か衣服は萎びていた。
そんな人々が俺達を目にして表した感情は怯えだった。
無理もない、一人は血まみれでしかも翼を生やした男が剣を持っているのだ。
「あー…俺達は敵じゃない。というかあなた達をキョンから解放しに来た。隣の男に着いている血は下の階のキョンのものだ」
俺のその言葉に監禁されていた人々は目の色を変えた。
「なんだって…?」
「おい、見てみろ。下のキョン、みんな死んでいるぞ」
一人、二人と下の階の様子を見に行ったかと思えばその数はどんどん膨らみ、そして皆殺到して下へ逃げていった。
「あ、ちょっと。どんな状況だったか説明して欲しいんだけど」
命が助かると分かれば最早俺の言葉など耳には届かない。
皆血相を変えて我先と逃げていった。
一分するかしないか、という時間だろうか。
その間で三階の人間は俺とミカエルの二人だけになった。
「助け甲斐があったな、天使様」
「…上の階に行くぞ」
四階。
そこにも人面のキョンがいた。
しかし一頭である。
その人面キョンは俺達の姿を見るなりすぐさま上の階へと逃げていった。
そのあとを追おうとするが…
「まて、この階にはまだ何かいるぞ」
と、ミカエルは頭上の光輪で辺りを照らした。
このフロアの隅の方に数人、人影があった。
若い女だ。
制服を着た女子高生であろう年頃の女の子八人が一つにまとまってうずくまっていた。
そして微かに泣き声の様な声を漏らしながら小さく震えていた。
「大丈夫か?」
どう見ても大丈夫そうではないその女の子達に俺は話しかけた。
「…」
返事がない。
「ミカエル、その物騒なものを元の大きさには出来ないのか」
「あぁ、これか」
ミカエルは手に持っていた剣を元のナイフの大きさまで戻し、懐に仕舞った。
「俺達はキョンの仲間じゃない、君たちを助けに来たんだ」
「えっ…?」
一人の女の子が反応し俺達の方を見た。
それでもその女の子の顔には警戒の色が滲んでていた。
「俺達はキョンの親玉を倒しに来た。何か知っていたら教えて欲しいが、無理なら帰っていい。もう下の階にキョンはいない」
「え⁉︎」
女の子達は皆顔を上げざわついた。
「本当にもう安全なんですか?」
「あぁ、二階の人面キョンは全部隣にいるこの男が倒した。他に囚われていた人達も逃げたよ」
「本当に?本当に…⁉︎」
さぞ恐ろしかった事だろう彼女達の表情から徐々に安堵の様子が見えてきた。
しかし、一人の女の子が何かを心配するかの様に、
「あの、私の友達が少し前に上の階に連れて行かれたんです」
と言ってきた。
「友達がキョンに?」
「はい、そうです」
実に嫌悪感を感じる話だ。
そういえば街で聞いた話によるとキョンの化け物は人間を奴隷にするとか言っていた。
どういうつもりで奴隷にするのか。
そして何故下の階の人々とこの子達は分けられているのか、それが無性に気になった。
「どうして君達は下の階の人達と分けられたの?」
「分かりません…。私達、街でキョンに攫われて他の人達と一緒に下の階に閉じ込められていたんですけど、その中で女子高生だけこの階に連れてこられたんです…」
その子が話すその声は震えていた。
もういい、もう十分だ。
長い時間恐怖に捉えられていたはずの彼女達はもうこんな場所にはいなくていい。
早く帰って安心して欲しい。
そう強く思った。
「もう心配しなくていい、君の友達は俺達が助ける。だから君達はもう行って」
「…はい」
そう言うと彼女達はゆっくりと、恐る恐る階段を下っていった。
お互いの手と手を強く握りながら。
「俺達が助ける、か」
と、ミカエルが俺を見た。
「助けになる事があるなら俺もやってやるよ」
そう言いながら俺は心が怯んでいた。
俺は人間の力を凌ぐ化け物や、その化け物を血まみれになって殺すミカエルの様な存在とは縁遠い、ごく平凡な男だ。
何も出来る訳ない。
心の奥底では俺も逃げたかった。
しかし、
「ならば早く行くぞ、この上から強力な魔力を感じる」
そう言うミカエルとすぐさま上の階へと上っていった。
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