第3話
「駄目だ、使えやしねえ」
ボートに乗ってから、俺はスマホをいじり倒しているがネットはどこにも繋がらない。
ツイッターにも、ネットニュースにも。
どうやら大規模な通信障害が起こっているらしい。
「なあミカエル、お前はいつ自分が天使だと自覚したんだ」
「二週間ほど前だな」
「日本語を話せるようになったのも?」
「ああ、世界中の言語を扱える」
「翼が生えたのも?」
「それは半年前からだ。初めは小さな出来物かと思っていたがやがて羽の形になり半年でこの大きさまで成長した」
「それ天使というより突然変異じゃ…」
「先程も言ったはずだ。私は前世の記憶を取り戻した。翼があるなしに関わらず俺は天使としての自覚がある」
「強情な奴。余程信心深いのか、頭のネジが外れているのか」
「私はアーミッシュの生まれでな、幼少の頃から神と信仰の事ばかり考えてきた。それ故神の使命を果たす覚悟は出来ていた。まさか自分の背中から翼が生えるとは思いもしなかったが」
「アーミッシュ…たしか文明社会から離れて昔の暮らしをしている人の事か」
「アーミッシュ社会は十分文明的だと思うが、まあそんなところだ」
「道理で価値観が合わない訳だ」
「私から言わせれば価値観が狂っているのはアキトの方だ。魔術など使って」
それを言われたら何も言い返せない。
しかし魔術が実際に発現するなど信じていなかった。
だからこそ魔術を使おうと考えたのかも知れない。
それくらいしかあいつの為に出来る事など俺にはなかったのだから。
「陸地が見えてきたな、あそこで降りよう」
ミカエルは翼を羽ばたくのを止め、そしてボートは静かに進み、静かに陸に触れた。
「ここは何という土地だ?」
「この辺りは我孫子だな。穏やかで閑静な住宅街…というイメージだったが今は澱んだ空気に満ちている気がする」
「ふむ…俺にも感じる。微かだが魔力の残り香を」
「へ、魔力ねぇ」
「アキトは感じないか、魔力を」
俺だって数年魔術に傾向してた身だ。
はっきりと魔力かどうかは言えないが並々ならぬ気配をそのとき感じていた。
「魔力はともかくまるで人気を感じないな、とりあえず駅前まで行こう」
そして俺たちはボートを降り、我孫子駅前の方向へ歩いた。
「駅前も誰一人いない、この洪水じゃ当然電車も動いてないだろうな」
「ならば歩いてでも東京ドームに行くまでだ」
「勘弁してくれよ、何時間かかると思っているんだ」
「ならばどうする」
「ここから柏までなら歩いていける距離だ。あそこなら人がいるだろうし交通手段も何か見つかるはずだ」
「ではその柏とやらに向かおう」
それにしても人がいない。
みんな何処へ避難したのか。
人気の無い街中で、今にも死にそうな顔をした俺と背中から翼を生やした白人男が並んで歩いている。
側から見ればさぞ奇妙な光景だろう。
「おいアキト、何か聞こえないか」
「何って、何も…」
「いや聴こえる。何かが近づいてくる音、自動車か…いや足音だ」
「誰かこっちに向かって来ていると?」
「これは『誰か』ではない、動物の…獣の足音だ」
ミカエルがそう言った頃には俺にもはっきりその足音が聴こえた。
それはどんどんと大きく、鈍い音で俺たちに近づいてきた。
そしてその音の方向に振り向くとそこには…
「鹿…?鹿か⁉︎」
「それも数十頭はいる、これは一体⁉︎」
「いや、これはただの鹿じゃない…これはキョンだ!」
キョン。
中国南東や台湾に自然分布する小型の鹿だ。
日本では房総半島などに数多く生息する。
しかし…
「何故房総のキョンが千葉北部の我孫子にいるんだ、いくらなんでもこんな所まではやってこない筈だろ」
「そんな事は後回しだ、こちらを襲ってくるやもしれん!」
そういうとミカエルは翼を広げ、向かってくるキョンの大群に対し威嚇した。
そしてキョンの群れは俺たち目がけて突進…してくるかと思いきや…
「あれ、通り過ぎてく」
キョンの大群は俺たちの事など目もくれず走り去っていく。
「ギャー!ギャー‼︎」
けたたましい鳴き声をあげながらもキョンは通り過ぎていった。
人がいない我孫子はいつからキョンの街になったのだろうか。
「全て行ってしまったな、一体何なんだ」
「…キョンが向かった先は柏方面だ、もしかしたら柏もキョンだらけになっているかも」
まさかここは異世界なのではないか。
人気の無い街に大量のキョン、そして隣には翼を生やしたアメリカ人がいる。
こんなの俺が知っている現実世界ではない。
これも俺が使った魔術の影響とでもいうのか。
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