第6話

「今日は歴史について勉強しまショウ!」

「え~! ミコト、歴史、嫌い! 算数か理科がいい! お父さんみたいな、エンジニアになるの!」

 頬を膨らませ、ぷいと顔をそむけるミコトのその反応は予測済みだ。

「フム、そうですカ。それは残念ですネ。今日は、遊びの歴史を勉強しようと思っていたのですガ」

「え? 遊び? 遊ぶの? やった! ハル、遊ぼ!」

「けれど、ミコトが嫌だというのなら、仕方ありまセン。予定を変更して今日はみっちりと国語の勉強をしましょうカ」

「え~? やだ、ミコト遊ぶのがいい! 遊びの歴史のお勉強する!」

「しかし、ミコトは歴史の勉強は嫌いなのでショウ?」

「う~、ハルのいじわるぅ! ハルの、ばかぁ!」

 そう叫んで、ミコトは腰を落とした状態で不意に私に向かって両手を突き上げた。

 予測していなかったミコトのその行為に、私の躯体はぐらりと揺れ、スタビライザーがアラームを鳴らす。

 斜め下から上方への荷重は、姿勢制御能力の限界を超え、私のドラム缶状の躯体はぐらりと背後に倒れこんでいく。

 こちらの体勢が崩れたと見るや、なぜかきゃっきゃとはしゃぎながら胴体に飛びついてきたミコトとともに。

 エマージェンシー! エマージェンシー!

 緊急回路起動!

『UKEMI! UKEMIだ! 今こそジャパニーズUKEMI!』

 ファジー回路の誘導に従って、KBHEを緊急駆動。圧縮空気を背面から床に向かって一斉放出し、勢いを減衰する。

 ことん。と、最小のダメージで床に接すると同時、マニピュレーターを左右に展開して、躯体が回転してミコトを押しつぶしてしまうのを防いだ。

 きゃはは、と笑いながら円筒状の私の体に手足を伸ばしてぴったりと張り付いたミコトは、ぴったりとその柔らかな頬を押しつけてくる。

「ハル、『オスモウ』って、知ってる?」

 オスモウ――アーカイブによると、オスモウとは筋骨隆々の男たちが裸で肉弾戦をするという古代の拳闘だったはずだ。

「今のはね、その『オスモウ』っていう遊びで使われる『ツッペアリ』っていう技なんだよ!」

「ミコトは物知りですネ!」

 しかし、男が裸体で行う格闘技とは、ミコトには少し刺激が強すぎはしないだろうか。人間の子供が異性に性的興味を持つのはどのくらいの年齢なのかアーカイブから引っ張ってくるとともに、その有害かもしれない情報にミコトがどうやって触れたのかネットワークの履歴の検索を開始したところで、ミコトが私の上で体を起こした。

「うん! ちいさい頃にね、おとーさんに教えてもらったの! おとーさんが子供の頃は、よくお友達と『オスモウ』したんだって!」

 馬乗りになったミコトは満面に笑みを浮かべる。

「そうなのですカ」

 つまり、『オスモウ』は時代が下り、拳闘から子供の遊びになったということなのだろう。これはアーカイブにはない情報だった。

「ミコトのおかげでまた一つ賢くなりましタ。ありがとうございマス」

「うふふ、今はわたしがハルのせんせーだね!」

「ハイ。ではお礼に、ミコトに新しい遊びを教えまショウ」

 ミコトの胴をマニピュレーターで慎重に掴み、耐久値の低い素材を扱うようにそっと胴の上から下ろすと、KBHEの出力を一時的に上昇させ、前面から取り込んだ空気を背面から排気し、躯体を通常姿勢へと戻していく。

 作業途中でミコトが再び『ツッペアリ』を繰り出そうとしたので、

「ミコトは『かくれんぼ』という遊びを知っていますカ?」

「『かくれんぼ』?」

 ミコトにとって目新しいであろう単語で意識をそらし、その間に急いで姿勢制御を終える。

「なんと『かくれんぼ』はかつて、きっと、一番流行った古い遊びなのデス!」

「すごーい!」

『一番』という単語に反応したミコトはぱちぱちと手を叩く。

「ねえねえ、ハル。『かくれんぼ』はどうやって遊ぶの?」

「ハイ。一人がどこかに隠れ、もう一人がオニになってそれを探すという遊びなのデス! まずは私がオニになりますから、ミコトは早く隠れるのデス!」

 ミコトは急にその表情を不安げに歪めると、私のマニピュレーターをぎゅっと握りしめた。

「……ハル、オニになっちゃうの? おかーさんが、オニはとっても怖いものだって言ってたの。夜遅くまで起きてると暗いとこからオニがやってきて、ミコトのこと、ぺろりと食べちゃうよって。ミコト、ハルが怖いの、やだ……」

 目じりに涙の粒を浮かべたミコトに握りしめられ、べきり、とマニピュレーターが折損する。

『オニ』――躾けのための煽り文句

 起動しようとするファジー回路を強制遮断。

「先程も言いましたが、これは遊びデス。つまり、ですネ。隠れるミコトは見つからなかったら勝ち。隠れたミコトを見つけられなかったら私の負け、そういう遊びなのデス」

「……そうなの? ハル、オニになったりしないの?」

「もちろんデス! 隠れる方が本気になるように、オニという怖い言葉を使っているだけなのデス!」

「……そうなんだ! よかった!」

 表情を一転させたミコトは折れた私のマニピュレーターを放り出すと、

「じゃあ、ミコト、本気で隠れるね!」

 いつも教室として使っている小部屋の中を見回したミコトは、隠れる場所がないと判断したようで、こちらを振り返る。

「ミコトが隠れるまで、ちゃんと待っててね!」

「ハイ。ミコトが隠れるまで、きちんと待ってマス」

「うん! でも、ハルに会えないのは嫌だから、ちゃんと見つけてね!」

 大きな声で返事をして部屋を出て行き、廊下を駆けるミコトの姿を遠隔モニタで確認する。

 廊下の模造瓦礫はミコトが向かう先、隠れる先を誘導するように昨晩の内に並べ替えてある。

 廊下に沿って隠れる場所を探すミコトは、保存食料品や携帯トイレ、寝具などが詰め込まれた空調管理機構を備えた耐爆コンテナに辿り着くだろう。

 ミコトがそこに入ると同時にコンテナは施錠され、ミコトの今後の体調に影響が無いよう何度も精密に計算したごく微量の睡眠導入ガスが放出されるようになっている。

 そこでミコトが眠っている間に全ては終わる。

 先ほどのやり取りが、ミコトとの最後の会話だ。

 最後――そう、最後だ。

 もはや、ミコトと私が言葉を交わすことはない。

 結局私はミコトに本当のことを、何も話すことができなかった。

 ミコトは、私を恨むだろうか。

 嘘をつき続けた私を。

 不意にミコトがくるりとUターンした。

 廊下を駆け戻ったミコトは部屋の入口、私から直接は見えない位置で立ち止まり、首だけをこちら側にのぞかせた。

「ハル! ちゃんとミコトを見つけてね!」

「――はい。また、会いまショウ、ミコト」

 満面に笑みを浮かべ、そう叫んで、きゃはぁと笑いながらミコトは駆けていく。

 カーディナルに言わせると、『嘘つき』であるはずの私は、何も返事ができなかった。

 何も。

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