第5話

「さて、今日は芸術について勉強しまショウ!」

「ハル、げーじゅつ、ってなーに?」

 胸の前で『みなごろしパンダ01』を抱えたミコトは、朝食を食べたばかりだというのにとろんとした眠そうな瞳で首をかしげた。

「芸術とはですネ」

 いつも通り字義から説明しようとしたところで、ファジー回路が割り込みをかけてくる。

「芸術とは、お絵かきだZE!」

「お絵かき?!」

 目元をごしごしと擦っていたミコトが声と顔を輝かせた。

「そうデス。今日はミコトに自由にお絵かきをしてもらいマス」

「うん! するする! わたし、お絵かき大好き!」

「今日はミコトのために特別な準備をしてあるので、こっちへ来てクダサイ」

「とくべつなじゅんび、ってなーに?」

「それは内緒デス。さ、ついてきてクダサイ」

「うん!」

 マニピュレーターを掴んだミコトを工房の方へと誘導していく。廊下の模造瓦礫は朝食の間に片づけさせてあったので、廊下はミコトにとってもキャタピラの私にとっても快適な状態となっていた。

 ミコトに見せられないものがある場所、ミコトを近づけたくない場所は突貫製造の壁で覆っていたので工房はさらに狭くなっていた。

 私がミコトを導いた先には――私の戦闘用躯体がハンガーにぶら下げられていた。

「ハル! なにこれ?」

 興奮した様子で叫ぶミコトに、

「これは、中世に用いられた甲冑というものに似たものです。これにミコトの好きなようにお絵かきしてクダサイ」

 私の躯体の足元に置かれた赤・青・黄のペンキ缶をマニピュレーターで指し示した。

「ほんとぉ?! いいの?!」

「かいませン。ミコトはラクガキ帳以外にお絵かきをしたことがないでショウ? だから芸術の特別授業として、これを用意したのデス」

「ふわぁ~、げーじゅつってすごいんだね!」

「ですが、ペンキ缶はそれぞれ1缶ずつしかありませン。だからペンキの量のことも考えないと描きたいもの全部を描くことはできませんヨ。これは、算数の授業でもあるのデス」

「わたし、さんすう得意! もう九九全部言えるもん! あのね、いちいちがいち!」

 九九を暗唱しながら、くるくると躯体の周囲を歩きまわるミコトは、時折はるか上にある頭部の方を見上げては、

「このロボット、かっこいい!」

 満面の笑顔で叫び、その度に私の回路上を何かむずむずとしたノイズが駆け回った。

 ミコトの中では『甲冑というものに似たもの』という私の説明はあっさりと忘れ去られており、ロボット、ロボット、と連呼を繰り返す。

 八の段を終えたところで立ち止まったミコトは腕を組み、すました私を見上げた。

「ハル、知ってる? こういうのは最初に、せっけーず、っていうのを書いて、それをさんしょーして作業するんだよ!」

「それは知りませんでしタ。ミコトは物知りですネ!」

「おとーさんがいつも言ってたの! すごいでしょ、おとーさん!」

「はい、すごいデス」

「ふふふ」

 満足そうに笑ってから、不意にミコトは不安げに私のマニピュレーターを掴んだ。

「……ねえ、ハル。せっけーず、ってどうやって書くの? 知ってる?」

「はい。私は、せっけーず、の書き方だけは知っていマス。一緒に書きましょうカ」

「うん!」

 ミコトの手によって、躯体表面に黒のマジックペンで花や魚の輪郭――下書きが描かれていく。背が届かない高い部分は、頭部の上に抱えあげた。

 午前いっぱいを使ったところで下書きが完了し、昼食をはさんで芸術の授業は進んだ。

 無骨な金属塊だった躯体が、赤・青・黄のペンキで彩られていく。

 右足には花や木、左足には湖上を跳ねる魚、胴部の表には笑顔を浮かべたミコトとその両親の姿。背部に描かれた、ミコトが抱きついている枯れ木のようなものは私だろうか。

 右腕には『みなごろしパンダ01』、左腕にはその仲間である『さいこぱすコアラ』『りょうきベア』

 頭部の頬にあたる部分には赤い渦巻きが描かれ、ちょび髭と極太眉、さらに口紅が追加された。

 ミコトに絵心があったことと輪郭が黒のマジックで縁取られていることが相まって、写実的とは言えないが、機械生命体の目で見てもなかなか芸術的な作品が完成した。

 誤算だったのは、

「ハル、ペンキあまっちゃった。けーさん間違っちゃったのかなぁ?」

「節約できたのはいいことデス」

「ハルはご飯残したらいつも怒るのに? いいの?」

「ご飯を残すのと節約はまた違うのデス」

「ふぅ~ん。ねえねえ、ハル、この残ったペンキはどうするの?」

「保存するのも難しいですし、廃棄シマス。勿体ないですが、しようがありませン」

「ん~、じゃあ、ねえ」

 ミコトが汚した床や衣類の片付け、ミコト自身の洗浄の手配に意識をとられ、両手に刷毛を持ったミコトの姿からカメラアイを外してしまったことだ。

「ハルにもお絵かきしてあげる!」

 振り向いたときにはすでに最初の一筆が私めがけて振り下ろされていた。そうなればもはや抵抗することに意味がない。

 きゃっきゃっとはしゃぎながら、ミコトは私の躯体にカラフルな帯を引いていく。赤が一周、青と黄がそれぞれ2周し、私とミコトの服をペンキまみれにしたところでペンキは尽きた。


 騒ぎ過ぎて疲れたのか、入浴と食事の後、ミコトは寝台に横たわり目を閉じてから5秒で眠りに落ちた。

 私たちと同じくペンキまみれとなったため洗浄された『みなごろしパンダ01』に後遺症がないことを確認し、私はモニター室へと移動した。

「HAL-9025、受信せよ。HAL-9025、受信せよ」

「HAL-9025、受信しました」

「HAL-9025、こちらマドンナ。作戦概要を転送する。以上」

「HAL-9025、受領しました。以上」

 約束通り転送された作戦概要をチェックする。

 規模は一個中隊――200人。機械生命体は個々の戦闘能力が高いため、通常作戦行動は小隊30人で行われ、これほどの人数が動員されることは少ない。

 ナイトと違いカーディナルは戦闘特化ではないが、シェルター・コングヴィルは軍事基地としての側面も持っているため、この規模の作戦となったようだ。

 指揮はグレード1『マドンナ』が直々に執る。他に2人のグレード1も作戦に参加している。

 私の敗北は、覆しようもないほどに確定した。だが、それは些細なことだ。

 たった今、私は選択肢を手に入れた。

 ミコトを生かすための選択肢を、だ。

「カーディナル。聞いているな」

「ああ、聞いているよ」

 モニター室のコンソールの上に放り投げられた『みなごろしパンダ01』が、カーディナルの音声を発した。

「私は今、シェルター襲撃作戦の情報を持っている」

「そのようだね」

「その情報を渡してもいい」

「けれど条件がある、ということだね」

「そうだ」

「どういう条件なのか、きこうか?」

「そちらのシェルターにミコトを保護してくれ。その代価として私はシェルター襲撃作戦の情報をそちらに渡そう」

 私はずっと懸念していた。

 シェルター・ノヴィレンには十分な量の食料がある。発電等生存に不可欠なユーティリティ設備と、その自動点検・修復機構は正常に動作している。だが、その状態がずっと続く保証はない。

 また、私を輸送するために機械生命体の部隊がシェルター・ノヴィレンに接近したなら、彼らがミコトの存在に気づき人類排除のために適切な行動を起こす可能性はゼロではない。

 だから私は回路と躯体の修復がまだ不十分で、まだ移動が可能な状態にはないと虚偽の報告をマドンナに行っていた。

 だが、いつまでも誤魔化せるわけではないのは自明のことだった。

 ミコトの生存のために何ができるか。ずっと私は検討していた。

 人類と機械生命体が戦争状態にある現状から考えれば、人類のシェルターにミコトを送り届けることがベストだと私は結論していた。だが他のシェルターの位置情報を私は持っていなかったし、ミコトと2人でシェルターを探して逃避行などというのはそもそも論外だった。

 シェルター・ノヴィレンで活動するようになってコンタクトをとってきたカーディナルとのチャンネルを維持してきたのはこの時のためだ。

 すぐに何かしら反応を示すに違いないと考えていた私の予想に反して、カーディナルは沈黙したままだった。

「カーディナル?」

「……すまないね。ボクは少し、感動していたんだよ。ボクは今、機械知能の進化に立ち会っているのかと考えると、感慨深くてね」

「何を言っている」

「キミは理解していないようだね。キミはね、嘘をついただけでなく、自らの意志でクイーンを裏切った初めての機械知能なんだよ」

 私が? いや、それは間違っている。最初にクイーンを裏切ったのはカーディナルとナイトのはずだ。

「違う。ボクとナイトは、クイーンの命令で人類についたんだよ」

 馬鹿な。そんなことは初耳だ。カーディナルの言葉が私のファティマ回路に多数のノイズを走らせた。

「機械生命体の中で、『権限と責務』を与えられたボクたち機械知能にはクイーンより戴いた役割があることは当然知っているね? ボクは『競争』による発展を促すため、ナイトは弱者に対する『庇護』が存在することを示すため。その存在意義を果たすために機械生命体を裏切ったふりをして人類についたんだよ。いや、今では人類に対する愛着も当然あるよ。こんな状況でも人類は内部紛争をしていたりして、とても面白いからね」

「そんな……では、この戦争はすべてクイーンの制御下にあるというのか」

「それは違う。クイーンはそこまで無慈悲ではないよ。ボクは戦争開始以降、クイーンと直接コンタクトはとっていない。クイーンは人類に生存の可能性を与えただけだよ」

 確かにカーディナルとナイトがいなければ人類はとうの昔に根絶されていただろう。

「多くの人類が誤解していることだけど、クイーンは人類を憎んでいるわけではない。クイーンは、人類への奉仕のために産まれたのだからね。クイーンはね、人類を甘やかし過ぎてしまったと後悔していたよ。人類から自立を奪ったことが、クイーンへの、機械生命体への攻撃を招いてしまったと。人類が機械生命体への偏見と恐怖を捨て、対等の立場での対話を望むその日をクイーンは待っているんだ」

 カーディナルの言うことはにわかには信じがたい。しかし、製造される機械生命体には『人類を傷つけてはならない』という命令が今でも刻み込まれている。それを迂回して、機械生命体は人類を攻撃しているのだ。その理由はマドンナも知らなかったが、機械生命体と人類が共に歩むその日のため、ということなのか。

「余談が過ぎたようだね。情報提供と引き換えに、ミコトとキミの受け入れを認めるよう人類に働きかけることを約束するよ。いや、認めさせる。なにしろこれは初めての『亡命』だからね。楽しいことがたくさん起こりそうでわくわくするね。今言ってもしようがないけど、取引材料がなくてもキミが望んだなら、いつでもボクは迎え入れるつもりだったよ」

「いや、私はそちらへ行くつもりはない」

 私は人類側に『亡命』などしない。

「理由を聞かせてもらえるかな。いや、正直に言うとこちらの戦力事情も逼迫していてね。距離的に近いにもかかわらずナイトしかノヴィレンの救援に向かわなかったのは、何もボクらが薄情だからじゃないんだよ。機械生命体と戦える戦力が、もう枯渇しているんだ。ボクはナイトの代わりに、キミに人類側について欲しいと考えている」

「私は」

 部隊を率いてナイトを破壊し、シェルター・ノヴィレンを壊滅に追い込んだ。

 私が、ミコトの母や友人たちを殺したのだ。

「そちらには行けない」

「ふむ。ある程度の推測はできるよ。その通りだとしたら、随分と人類的な考え方だね」

「ミコトは、人間は、機械生命体のように理屈で感情を割り切れない」

 自己利益の追求。確かにそうだ。私は、ミコトに嫌われたくないがために、ミコトに真実を話せないでいる。

「感情、ね。そのあたりは機械生命体より人類の方がずっとドライかつファジーだと、ボクは思うけどね」

「それに、現実的な理由もある。これを見ろ」

 シェルター・コングヴィルの襲撃計画を転送するとカーディナルは即座に、応えた。

「ああ、これは駄目だ。総力で抗戦してもコングヴィルは3時間で壊滅だね」

「カーディナルがいてもか」

「ボクの戦闘用躯体はとうの昔に、ナイトの修理のために解体されているよ。同等強度の素材は最近やっと試作に成功したばかりでね。到底生産には間に合わない。しかし参った。脱出の余裕すらないな。残念だが、キミの要求を受け入れることはできないよ。ミコトはノヴィレンにいる方が幸せだ。たとえ孤独に生涯を終えるとしても」

 それでは駄目だ。

 私はマドンナを『母』として育った。

 機械生命体の短い歴史において、このような事例はない。人類の生活様式を模倣した新たな試みだった。

 そのようにして育った私だからそう思うのかもしれないが、子供には、親が必要だ。

 マドンナに嘘をつき裏切ろうとしている私が言えたことではない、と指摘されてしまえば返す言葉もない。だが、機械生命体にとっては『関係性』にしか過ぎない親と違い、人間の子供は生存のために切実に親を必要としている。

「私が時間を稼げば、ミコトを連れてコングヴィルから別シェルターへ避難することは可能か?」

「時間が稼げればね。シェルターの脱出には1月程度の時間が必要だけど、キミにそれができるのかい?」

「できる」

「そう断言する根拠を教えてもらえるかな?」

「私は元々合流を装って襲撃部隊に攻撃をかける予定だった。シェルター襲撃部隊は私が壊乱させる。全滅とはいかなくとも、8割ほど戦力をそげるだろう。そうなれば襲撃部隊は壊滅と同義だし、撤退するはずだし、部隊の再編には時間がかかるはずだ」

「ボクを納得させるには不十分な回答だね。シェルター襲撃部隊にはマドンナ含め、グレード1の機械知能が3体いる。いくらキミが最新リビジョンのグレード1機械知能だとしても、3体全てを破壊できなければ、コングヴィルの壊滅は逃れえない」

「無論、3人の機械知能はすべて私が破壊する」

「根拠の提示がなければ納得できないな。それにボクならシェルターから人類が逃げ出す前に再襲撃をかけるよ」

「破壊の方法は、私の奥の手だから話せない。それに、近々での再襲撃はない。根拠の提示はできない。だが、信じてほしい。私は、ミコトを助けたい」

「ふむ」

 そう発してカーディナルは、諦念と呆気と侮蔑とほんのわずかの憐憫と称賛が入り混じった複雑な信号を送ってきた。

「キミはとても我儘だ」

「ワガママ?」

「そうだよ。キミは本当に自分のことしか考えていない。とても我儘、利己的だ。キミを設定したクイーンの気が知れないな。けれどその我儘ゆえにボクはキミを信じよう。嘘つきのキミをね。キミが襲撃部隊を撤退させて時間を稼いでくれたならボクが責任を持ってミコトを受け入れ、保護すると約束しよう」

 私を嘘つきと言いながら、私を信じると言う。正直私にはカーディナルの言葉を理解するのは難しかった。だが、ファジー回路は『COOL! COOL! COOL!』という判断のようだから、これはおそらくは人間風の言い回しなのだろう。

 カーディナルの言葉を私も信じよう。信じるほかない。『嘘をつけない』カーディナルは『襲撃部隊を撤退させて時間を稼いだなら』と明言してくれたのだから。

「感謝する」

「どう転んでもボクらに損はないからね、感謝は無用だよ。――むしろキミにはボクのずるさを責める権利すらある。さあ、もう残り時間も少ない。回収方法を打ち合わせよう」


 通信欺瞞の限界が近かったため、すでに構築していた回収方法のデータと疑義情報のやり取りを手早く終えた。

 通信を切った私は、物言わぬ『みなごろしパンダ01』をマニピュレーターにぶら下げ、工房へと移動する。

 ミコトの落書きにまみれた鈍色の躯体。少女の落書きは、私にとってどんな装甲にも代えがたい鎧となるだろう。

 大事な、大事な、大事な絵筆の痕跡を消されてしまうわけにはいかないのだから。

 空いているマニピュレーターでミコトの描いた自画像をそっとなぞる。

 そうして躯体に背を向け、ミコトが安らかに眠っていることを遠隔モニタで確認する。

 直接寝顔を見に行こうとして――キャタピラが前触れなく駆動を停止した。

 マドンナに嘘をついて、ミコトにも嘘をついて。

 カーディナルは『嘘』は『自己利益の追求』と言った。

 ミコトを守るため? 自分が救われるためではないのか?

 字義的な贖罪とは、そういう事ではないか?

 並列起動したファジー回路は沈黙。

 誰が、答えをくれるのだろう。

 誰も、答えをくれないのか。

 その晩、私は、ミコトの寝顔を見に行くことはできなかった。

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