第4話
少女にとって、世界の終りはいつも唐突に訪れるものだった。
エンジニアだった父は、発電ユニットのメンテナンス作業中の事故で帰らぬ人となった。
朝、笑顔で部屋を出て行った父。夜、帰宅した父が自分の頭を撫でてくれるはずだと、少女は何の疑いもなく信じていた。
少女と両親の世界は、こうして終わった。
相互扶助システムの整っていたシェルターで、少女は母と2人穏やかに暮らしていた。
算数が得意だった少女は、将来は父と同じエンジニアになるのだと幼い夢を母に語って聞かせた。
100点のテストを誇らしげに胸に抱きながら、自室のある区画に戻ろうとしていたときだった。
シェルター全体が大きく揺れ、気づいた時、少女は暗闇の中にいた。
心細くて叫んだ少女の声は、がれきの山に飲み込まれて消えた。
少女は足元の悪い暗闇の中、何度も転びながら歩き続けた。
不意に小さな明かりが見えて、そこを目指して走った。
光の源は壊れかけた機械生命体だった。
人間と機械生命体が戦争していることを少女は知っていたが、シェルターでも単純作業を行うロボットは用いられていたから、少女はそれがロボットだと思いこみ、それを疑いはしなかった。
今にも消えそうな、仄かな光。
取り残される恐怖に駆られた少女は、ロボットの躯体を何度も揺すった。
やがて、ロボットは再起動し、少女は知った。
少女と母親の世界は一旦終わり、少女とロボットの世界が始まったのだということを。
少女とロボットの世界は、狭く、けれど少女にとってはとても居心地のいいものだった。
もちろん、母と会えないことを少女は寂しく思ったし、両親の夢を見て夜中に目を覚まして泣いてしまったりもした。
それでも寸胴のロボットがいつも一生懸命に少女の側にいてくれたから、笑顔でいられた。
笑い、泣き、怒り、拗ねる――そんな毎日に、少女は満足し、幸福を感じていた。
少女と母親と、ロボットと。
3人の幸せな世界が、いつか、そのうち、きっと拓かれるのだと、少女は信じていた。
物事の終わりというものはいつも突然に訪れるものだ。
終わりの始まりは水面下で静かに進行していて、予兆もある。だが、当事者の多くはそれが取り返しのつかない状態にまで成長し、逃れようのない状況で目の前に浮上してきた時になって初めて気づく。
「新たなシェルターの位置情報が見つかったのですか?」
マドンナとの定期連絡の際、その情報は、不意にもたらされた。
「ええ。正確には28日ほど前におおよその位置が判明していました」
「どうして私にそれを知らせてくれなかったのですか」
「誤解しないでほしいのですが、あなたをパージしようと考えていたわけではないのです。情報は不確定でしたし、あなたには修理に専念してもらいたかった。それに、そのシェルターとあなたの位置が近かったので、あなたを不安にさせてはいけないと、そう思ったのです」
私の『母』であるマドンナ。その『親心』が今は疎ましい。
「……お心遣い、感謝します」
「やはり、あなたはとても優しい。私の自慢の子供です」
「……シェルターを襲撃するのですよね?」
「ええ。その準備とあなたのいるシェルターと発見されたシェルターの位置が近いために、あなたの救助は先送りになっていたのです。私は、何度もクイーンに直訴したのですが」
「作戦実行はいつです?」
「どうしてそれを知りたがるのですか? あなたはこの作戦に参加する必要はありません。救出部隊を別途向かわせる許可が下りました。すでにこちらではあなたのための精密検査の手配を行っています。ついでのような形になってしまって、ごめんなさいね。でも決して、あなたを軽んじていたわけではないのです」
「いえ、それは構いません。それより、私も作戦に参加します。参加させて下さい。資材をかき集め、躯体の修復は急ピッチで行います」
「発見されたシェルターにはカーディナルの本体がいる可能性が高いと観測班が伝えてきています。躯体が完全でないあなたが参加するのは危険です。ナイトを撃墜したあなたは英雄です。あなたを失うわけにはいきません。私は、あなたを失いたくないのです」
「カーディナルがいるなら、なおのことリビジョン025である私が作戦に参加すべきです。最新リビジョンの有用性が示されることで、機械生命体は次のステップへと進むでしょう」
「しかし、危険です。そう、危険なのです。駄目です。許可できません」
「母、マドンナ。あなたはいつまでも私の母です。私はいつまでもあなたの子です。けれど、私はいつまでも幼いわけではないのです」
マドンナからの通信は沈黙した。通信欺瞞に限界のある中でそれでも私を思いとどまらせることのできる言葉がないかと探したのだろう。
マドンナは私を心配して護ろうとしてくれている。
まるで、人間の母が子に対してするように。私は、それに感謝している。けれど、私にも護らなければならないものができてしまった。
「そう、ですね。人間の子もいずれは成長し、1人で立つようになるのですものね。あなたにも独立の時が来たのでしょう。少し、寂しいですが、私はそれを祝福します」
「その理解を感謝します、マドンナ」
「ああ、そろそろ通信限界です。作戦の決行は2日後を予定しています。あなたの編入で変更が必要ですから、詳細は明日の夜に転送します。これから通信制限が行われますので、あなたとこうして話せるのは今日が最後です。あなたが先ほど言ってくれた言葉、私はとても嬉しかったですよ。では、あなたと再会できる日を楽しみにしています」
私の返答を待たずに通信は切れた。
握りしめた右のマニピュレーターが過負荷でべきりと折損した。
自分の迂闊さ、愚かさに、私のファティマ回路は過電流で焼き切れる寸前だった。もし人間のように歯があったら、それが砕けるまで噛みしめていたに違いない。
メモリーを再確認してみれば、確かに兆候はあったのだ。
地表付近を確認される機械生命体の小隊巡航の頻度は、陥落後のシェルター付近の定期巡回としてはやや高かった。
マドンナとカーディナルとの通信時間の長短を鑑みれば、カーディナルの方が私により近い位置にいるということを推察することは可能だった。
だが、私はそれを見落としてしまっていた。私に与えられた演算能力であれば推測には十分な情報があったにもかかわらず。
それは、おそらくは、私がそれらに気づかないようにしていたからだろう。
カーディナルの言葉を借りれば、『自己利益追求』のために。
自分にすら、嘘をついて。
しかし、もはやこれまでだ。この、私たちの小さな箱庭での生活を続けることはもう叶わない。
ならば、私が選ぶべき道はたった一つだ。
ミコトを守るため、同胞と戦うしかない。
廊下へ出て左へ進む。ミコトの寝室方面と違ってこちらには廊下の端に雑然と瓦礫の類が寄せてある。これは私やAIが管理を怠っているというわけではなく、ミコトをこちらに近寄らせない為の方便だった。
瓦礫は工房で作成した発泡スチロール製のものなので、もし仮にミコトがぶつかったりしたとしても危険はない。
模造瓦礫を避けて私がたどり着いた先、工房の扉のID認証を行うと、扉がスライドした。
工房はその半分がノヴィレン陥落時の崩壊の余波で埋まってしまっていたが、クラフトに用いる重要機能のいくつかはまだ生きていたので、私のマニピュレーターの予備などはここで製造している。
そして――工房の隅、半ばもたれかかるような状態で壁に固定されているのが、私の戦闘用躯体だった。
ステルスのための全体塗装をする資材的な余裕がなかったためむき出しの金属色のそれは、ドラム型のメイドロボットと違って、四肢をもつ人間に近い構造をしている。サイズ的にも体高2メートルと人間に近い。
ごつごつとし時折鋭角の交じるそのフォルムは、かつて人類同士の戦争で使われた甲冑というものによく似ていた。
元々私が使っていた躯体を再現修理したものだが、まったく同一の素材は合成する術がなかったため強度レベルはずいぶんと低下している。
高周波ブレード以外の高次武装は失われたが、実体シールドや汎用銃器は製造してある。惜しくらむは無人随伴機の製造が少数しかできていないことだ。
現状の私の戦力で抗戦可能なのはせいぜい一個中隊というところか。それでも、もしグレード1が一人でも交っていたら確実に勝てない。そして、シェルター攻略作戦の指揮をグレード1が執らないという可能性は限りなく低い。
作戦の詳細次第の部分もあるが、ファティマ回路はほぼ100パーセントの確度で私が敗北・破壊されると予測している。
それは、もう構わない。一度は失われたはずの命だ。
それで、私の罪を償うことができるのなら、私の命など安いものだ。
そっと寝室へ滑り込むとミコトは穏やかな寝息を立てていた。
寝返りを打った拍子にめくれたシーツをミコトの肩にかけ、その無防備な寝顔を見つめる。
声をかけず、私はミコトに背部を向けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます