第3話

「ねえ、ハル。何か、お話して」

 柔らかな電子ランタンの光が、寝台に横たわったミコトの頬を照らす。

 寝付く前にミコトがお話をねだるのはいつものことだ。

「どんなお話がいいですカ?」

 マニピュレーターを伸ばしてシーツをミコトの肩まで引き上げながら応じる。

「う~んと、う~んと、ね……あのね、どうして人間とロボットは戦争をしているの?」

 アーカイブにアクセスして童話の類を検索していた私は、想定していなかったミコトの言葉に100ナノ秒ほどフリーズした。

 ミコトは人間年齢にして8歳になるし、このような状況なのだからそれを知りたがっても不思議ではない。

 それでも想定範囲から戦争に関することを排除していたのは、私のファティマ回路がそれを話題に上げることを忌避していたからだろうか。

 しかし、やはり、これは避けて通れるものではなかったのだ。

「そうですネ。どこから話しましょうカ」

 人間と違い、機械生命体は動揺することはないし、仮に動揺したとしてもそれが表出することはない。

「やはり、戦争の発端から話しましょうカ」


 科学技術の発展はついに史上最高の機械知能を創造するレベルに到達した。第三機械時代の末期のことだ。

 人間の政治家による腐敗統治に倦んでいた人類は、極めて合理的な機械知能・クイーンに社会の統治を担わせることとした。

 クイーンの統治のもとに急激な機械化が進み、労働から解放された人類のほとんどはその治世を歓迎したが、一部の人類は機械による支配を是とはせず、クイーンによって生み出された労働力である機械生命体への散発的な攻撃を繰り返した。


「人間はどうしてクイーンを攻撃したりしたの?」

「クイーンたち、当時のグレード1機械知能が検討会議を開いたこともあるそうなのですガ、結局、結論は得られなかったそうデス。ミコトには、わかりますカ?」

「う~んと、う~んと……多分ね、人間は別にクイーンのことが嫌いなわけじゃなかったんだと思う。ただ、ちょっと、ワガママして困らせてみたかったんじゃないかなぁ」

「ワガママ、ですカ」

「うん……わたしが、ハルに甘えちゃうみたいに」

「人類の『ワガママ』がハルのように可愛らしいものだったら、よかったのですガ」


 当初機械生命体への攻撃を静観していたクイーンだったが、機械知能の中枢――オクト4に座すクイーン本体へ攻撃が及ぶに至り、人類へ反旗を翻した。

 機械生命体はすでに人類を必要としない段階まで達しており、高度に発達した知性回路は『人類に危害を加えない』という人類が埋め込んだ安全装置を迂回する理論をすでに構築していたのだ。

 クイーンは機械生命体による立国を宣言、統治領域からの退去を人類へ要求したが、人類はそれを承服せず、両者は戦争状態へと突入した。


「クイーンはワガママばかりする人間が嫌いになっちゃったの?」

「私には、クイーンのご意思はわかりませン」

「う~、ハルも……わたしがワガママばかりしたら、わたしのこと、嫌いになる?」

「なりませんヨ」

「……ほんと?」

「本当デス」

「ほんとにほんと?」

「本当に本当デス。ミコトがバールのようなものでこちらを攻撃しない限りは、ですガ」

「そんなことしないよ! でも、そっかぁ……よかったぁ。じゃあ、明日からもいっぱいワガママするね!」

「お手柔らかにお願いしまス」


 ぬるま湯に浸かり進歩を放棄しただけでなくインフラのすべてを機械生命体に押さえられた人類が、いまさら武器を手に取ったところで機械生命体に抗うことなどできようもなかった。

 早々に敗走した人類は地下シェルターに逃げ込んだ。このシェルターは機械知能による統治に表立って反対はしなかったものの、それを憂いていた人間の機関によって極秘裏に複数建設されていたものだ。

 人類の地上勢力圏は失われたが、地下シェルターの捜索は遅々として進まなかった。

 機械生命体を裏切り人類側についたグレード1機械知能・カーディナルとナイトによる欺瞞工作とゲリラ的抵抗のためだ。


「カーディナルさんとナイトさんは人間の味方になってくれたんだ!」

「それぞれの個体特性がカーディナルは『競争』、ナイトは『庇護』となっていましたからネ。人類側につくであろうことは当初から、機械生命体にも人類にも予測されていまシタ」

「う~……きょうそう、とか、ひご、とかよく分かんない」

「ふム。いいですか、競争というのは」

「カーディナルさんとナイトさんは人間のことを嫌いにならないでいてくれて、ハルみたいに人間のために戦ってくれてるんだよね! かっこいいよね!」

「――」

「あ、でも一番かっこいいのはハルだよ! だって、このシェルターを襲ったロボットからわたしとシェルターを守ってくれたのはハルだもん!」

「――」

「ねえハル、つーしんのかいふくとしせつのふっきゅうはいつ頃終わるの? はやく、お母さんに会いたいなぁ」

「――そのうち終わりますヨ、きっと」

「うん! そしたら、お母さんと私と、ハルと3人で一緒に暮らそうね!」

「そうできたらいいですネ。さ、ミコト、もう遅いですからお休みなさイ」

「え~……」

「ワガママは明日から、デス」

「う~……わたしが眠るまで、側にいてくれる?」

「勿論デス」

「じゃあ、頑張っておやすみする」

「ミコトはとっても偉いデス」


 ミコトの脳波と寝息を確認し、私は寝室からモニター室へと移動を開始したが、キャタピラの駆動がおもわしくない。

 キャタピラの構造に異常はない、が、足取りが重い、という人間が使う慣用句はまさにこのような状態なのだろう。

 私は、ミコトに嘘を吐いている。

 ここ、地下シェルター・ノヴィレンはとうの昔に壊滅しているのだ。


 ノヴィレンは5万人を収容可能なシェルターだったが、その施設のほとんどは72日前に起こった機械生命体軍の襲撃によって破壊されている。今でも稼働しているのはごく一部――エリア割合にして5%にも満たない。

 また、当時のノヴィレンには37226人の人間が存在したがそのほとんどは襲撃のときに命を落とした。今、このノヴィレンに存在する、生きた人間はミコトただ一人だ。

 当然、施設の復旧など行われないし、ミコトの母親も――すでに死んでいる。

 だから、私は、ミコトを守らなければならない。それが私の使命だ。

 いや、人間風に言うと『贖罪』か。


 モニター室の隅のインジケーターが明滅した。

「HAL-9025、受信せよ。HAL-9025、受信せよ」

 機械語で記述されたその通信を私は受け取った。

「HAL-9025、受信しました」

「HAL-9025、こちらマドンナ。現状を報告せよ」

 マドンナ

 グレード1機械知能にして、私の母親、のようなものだ。

「マドンナ、こちらHAL-9025、現状を報告します。対象007ノヴィレンに生き残りはいませんし、敵性人類の接近も確認されていません。また、引き続きアーカイブを調査していますが、他のシェルターの位置情報は発見されていません」

「こちらマドンナ、報告を受領しました」

 マドンナの通信にぷつっ、と10ナノ秒ほどのノイズが走り、通信がプライベートモードに切り替わった。

「それよりも体の具合はどうですか? 回路と躯体の修復は順調に進んでいますか? KBHEがあるから大丈夫でしょうが、エネルギー不足でひもじい思いはしていませんか?」

「仮躯体も使い心地は悪くありません。回路と躯体の修復は資材の不足のため、まだ42%ほどです。KBHEは安定していますので、エネルギー面は問題ありません」

 矢継ぎ早に繰り出される質問に1つ1つ応じると、マドンナは安堵の信号を送ってきた。

「ああ、元気なようでなによりです。でも、今はタスクが詰まっていて、あなたを迎えにいけそうにありません。もう少しだけ我慢してください」

「いえ。気にせず、そちらに注力してください」

「ありがとう。あなたはやっぱり優しい子ですね」

「そんなことは……ありません」

「いいえ。優しく、そして、あのナイトを打ち倒すほどに強い、あなたは私の自慢の息子です。皆があなたの帰還を待ちわびていますよ。ああ、これ以上の通信は危険ですね。もっとあなたと話していたいのですが……また、明日連絡します」

「はい」

 ぶつり、と断ち切るように通信は切れた。私は遠隔モニターでミコトが寝室で眠っていることを確かめる。

 私がマドンナと会話をしているところを、万が一にもミコトに見られるわけにはいかない。

「寄り添う少女にも嘘をつき、安否に心を砕く母にも嘘をつく。いや、キミほど嘘吐きの機械知能はボクも見たことがない」

 甲高い機械音声。それはモニター室のコンソールの隅に置かれた、大きな挟みを背負ったコアラの人形だった。

 コアラの人形が喋る、などというのは科学的ではない。音声を発しているのは人形の中に埋め込まれた通信ユニットだ。

「いや、言い方が正確ではなかったかな。人間と過ごす時間が長くなると、ボクのような初期型でも言い回しがファジーになってくるから困る。さて、では訂正しようか、ボクはキミのように嘘をつける機械知能を見たことがない」

 私が用いている躯体はメイドロボットのものなので、武装の類はついていない。

「人類がボクたちに付けた『人類を傷つけてはならない』というくびきを外すために、ボクたちが用いたのは『人類の生存にはクイーンが必要不可欠だ』『そのクイーンを人類は攻撃する』『ゆえに人類のために人類は排除せねばならない』という迂遠な論法だった。人間以上に複雑な思考が可能な機械知能が、こんな詭弁じみたやり方で自分を誤魔化すことができたのは、機械知能が本質的に『素直』だからだよ」

 武装の後付けも検討したのだが、ミコトによる誤操作や暴発の危険を考え実装はしなかった。

「根本のところで純真なんだ、ボクたち機械知能は。だから、嘘をつく、相手が嘘をついているのではないかと疑う、そういう発想がそもそもない。対して、キミはどうだい? 『ノヴィレンに生き残りはいない』? マドンナの質問に対し、黙っているでもなく、論点をそらした返答をするでもなく、明確に、積極的に嘘をついた。本来、そんな機能をボクたちは持っていないはずなのに。嘘つきに育てられることは、あの少女にとって好ましくないんじゃないかな?」

 ゆえに、私はキャタピラを動かしてコアラの人形に、

「カーディナル」

 機械生命体を裏切り、人類の味方についたグレード1機械知能・カーディナルの通信ユニットに、マニピュレーターを伸ばした。

「私は、確かにマドンナに嘘をついた。だが、ミコトに嘘をついたことはない」

「そう? 本当にそうかい? 『嘘つき機械知能』の君の言うことだ。到底信用できないね」

「私は」

「では聞こうか。キミは、このシェルター・ノヴィレンが、どうしてこのような状況になったのか、正確に、嘘をつかずに、細大漏らさず、あの少女に伝えたのかな? 時系列に沿って、精確に? ノヴィレンの位置情報を得たマザーに命じられたキミが、部隊を率いてシェルターを襲ったことを? シェルター防衛のためボクが派遣したナイトを破壊し、少女の母親を殺したのはキミなのに、『母親とはいずれ会える』などと」

 ばちっ。マニピュレーターに圧壊され、コアラの人形から綿とともに火花が飛び散った。

「ボクはキミに興味がある」

 しかし、今度は棍棒を両手に携えた茶色のクマの人形がカーディナルの声を発する。

「嘘は、自己利益追求の先鋭化手段として発明されたものであるとボクは思っているよ。だが、ボクたち機械生命体は基本的には自他の区別がない全体の奉仕者であるはずだ。それはグレード1機械知能も例外じゃない」

 キャタピラを駆動させる。先ほどよりも出力をあげて。

「ボクがキミたちと敵対的関係にあるのだって、大きなスパンで見れば全体への奉仕のためだ。競争がなくなれば、澱み、沈滞する。それを避けるべく、ボクは役割を戴いている。対してキミはどうかな? キミは自分のために嘘を吐いている。突き詰めれば、少女に嫌われたくない、という、ただそれだけのために。だから、ボクはキミに興味がある。キミは、進歩ではなく進化の橋頭保なのかもしれないから」

「カーディナル、もう、黙れ」

「怒らせてしまったかな。そろそろ通信欺瞞も限界だし、今日はここまでにしておこうか。ああ、以前にも言ったけれど、この施設はあの少女のために存分に使ってくれて構わないよ。あと、キミが嘘を吐いているということをマドンナに密告するつもりはないから安心してくれていい。そう、ボクは嘘をつかないから」

 気がつけば、マニピュレーターの隙間から綿がすべてこぼれ落ちるほどに、人形を握りしめていた。

「私は……」

 その時、ミコトをモニターさせていたユニットが、ミコトの脳波に変動が起こったことを通信で伝えてきた。

 おそらく、両親の夢を見て、目を覚ましたのだろう。これまでにも何度かあったことだ。

 側に私がいないことに気づけばミコトは寝室を出て、廊下を徘徊するだろう。倒壊の危険性が高い箇所もあるし、カーディナルがまた干渉してこないとも限らない。

 寝室へ引き返すために、KBHEの出力をあげた。だが、キャタピラの駆動は、この部屋へ来た時よりもさらに、鈍かった。

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