第2話
私、HAL9025は最新であるリビジョン025の機械知能である。
高度な学習機能と計算能力を備えたファティマ回路、半永久的に稼働し従来のものとは文字通り桁違いの出力を誇る試作型カー・ブラックホール・エンジン略称KBHE、1200ミリの鋼板を一瞬で切り裂くプラズマブレードなどの装備を備えた、いわば機械生命体の中でもエリートだ。
そんな私は今、
「ハルう~! お昼ご飯、まだ? わたし、お腹すいた~!」
「すぐにできますから、もうちょっと待って下サイ」
マニピュレーターでフライパンを上下にがしがしと動かし、ミコトのためにチャーハンを作っていた。
かつての私の躯体は大破したため修復中だ。そのため、現在はシェルターで使われていたメイドロボットの外装にファティマ回路とKBHEを移設した状態だ。
以前の躯体にくらべると機構の精緻さは及ぶべくもないが、単純にはそれなりの良さもあり、使い勝手も悪くはない。
また、私の演算能力をもってすればチャーハンをパラパラに仕上げるほどの炊事能力を発揮させるのも容易だ。
強火で88.5秒、卵と油の絡みも完璧、米粒の水分含量は48.2%。
理想的な状態になった炒め飯を深皿に盛り、別のフライパンで調理しほどよく冷ましておいた海鮮の餡をとろりと注ぐ。
立ち上る湯気をキラキラした瞳で見つめ、右手にスプーンを握りしめたミコトの前にそれを置いた。さっそくチャーハンの丘を崩しにかかろうとするミコトに、
「ミコト、ご飯を食べる前にハ?」
「いただきます!」
「ヨロシイ。では、どうゾ」
『みなごろしパンダ01』を放りだした左手で深皿を抱えこみ、チャーハンを口の中にかき込むミコトの姿をカメラアイにとらえながら、私は調理器具を自動洗浄機に放りこんだ。
この地下シェルター・ノヴィレンは多数のメイドロボットだけではなく自動調理装置も備えているが、そのほとんどは機械生命体部隊の襲撃によって破壊されていた。運よく生き残ったものはグラビトンによって汚染されており、人間用の食事を作成するのには適さない。また、保存食品の多くも同様にグラビトンに汚染されてしまっていた。
ただ幸いにも生鮮食品の冷凍倉庫は汚染を免れており、瞬間凍結された食材は豊富にある。
よって、ミコトの食事を作るために私が料理の腕をふるっているのである。
だがいつまでも私が料理を作るというわけにはいかない。
ミコトには、私に――機械生命体に頼る癖をつけないようにする必要がある。
アーカイブによると初等教育には『家庭科』という、炊事技能を習得するプログラムが存在したそうだから、それをアレンジして明日からの授業に組み込むこととしよう。
食糧生産プラントは消滅しているが、冷凍倉庫にはミコト換算で354年分の備蓄がある。循環浄水プラントとメンテロボットも正常に機能しているから、少しくらい食材を教育のために使用しても問題ない。
ミコトの教育カリキュラムを組みかえていると、
「うえ~……」
濁った声とともに、咬みかけの米と餡と唾液の入り混じった粘液をミコトが口からだばあっと深皿の上に吐いていた。
「ハルぅ! イカ! これイカ! イカが入ってるぅ!」
5ミリ四方の大きさにまで刻んだイカにスプーンをがしがしと叩きつけながら涙目でミコトは叫ぶ。
「好き嫌いしてはいけませン」
「でもイカ! これイカだよ! ぐねぐねしてて、気持ち悪い! わたし、イカ嫌い!」
「いいですカ、ミコト。イカはタウリンを多く含み、かつカロリーも低く」
「わたし、イカ、嫌い! 嫌い嫌い!」
イカの持つ栄養を訥々と告げる私と、とにかくイカへの嫌悪を語るミコトの間には大きな隔絶の谷が存在した。
機械生命体である私には、味や触感を栄養バランスよりも重視する人間の感覚が理解できない。私が人間の食事ができるようになればまた違うのかもしれないが、そのような機能を備えた機械生命体はいまだ製造されていない。
「ミコト、好き嫌いをしていると立派な大人になれませんヨ」
だから私は、アーカイブに載っていた一般論を告げるしかない。
「やだぁ! わたしはママみたいな立派な大人になるの! でもイカは嫌い! ハルも嫌い!」
機械知能のエリートであったはずの私は、ついにイカと同列の扱いとなってしまった。
「ハルなんか、ハルなんかぁ……」
ぐぅ……と声を漏らしたミコトの頬を涙が伝い落ちた。
「ハルなんか嫌い!」
ミコトが振った手が深皿にあたり、ごとんと転倒した。
内容物がじわりとテーブルの上に広がっていく。『みなごろしパンダ01』は無常にも餡の海に沈んだ。
その光景を目の当たりにしたミコトは、びっくりしたような表情でそれらと私のカメラアイを見比べ――コンマ5秒後に表情をぐにゃりと歪ませて号泣を開始した。
ハイスペックであるはずのファティマ回路は、このような時にどうするべきかの回答をはじき出してはくれなかった。
もはや、これまで。
ファジー回路を並列起動。
『私はどうしたらいいのだろうか』
『覆飯盆に返らず、全てをやり直すんだZE!』
『だが、同じことの繰り返しになるではないだろうか』
『イカやめてホタテにすれば解決じゃNE?』
『しかしあまり甘やかすのは躾上好ましくないのだが』
『大人になったらイカも食べられるようになるSA!』
『そうだろうか』
『ていうか、子供をあんまりイジメちゃDAME!』
食事の好き嫌い改善の強要が、ミコトのストレスになっている可能性はどれくらいあるだろう。
データベースによるとミコトはノヴィレンで生まれ、ノヴィレンで育った。そのころにはもう人類と機械生命体の戦争は人類の敗戦に傾いていたから、ミコトは一度も外の世界を見た事がない。
そして、今ではこのシェルターで生き残った唯一の人間で――小さな、子供だ。
ミコトにかかっている精神的負荷には、表からモニターできないものもあるのかもしれない。
私はアーカイブにある一般論というものにとらわれ過ぎていたのだろうか。
確かに好き嫌いは好ましくないが、それでミコトが立派な大人になれないということは直接には等号で結びつかない。
そもそも成年に達することが難しいと考えられるような、こんな時勢だ。
しかし、だからと言って好き放題に我儘をさせるわけにはいかない。
ミコトは獣ではなく、人間だ。
深皿とテーブルの上を片づけるためにマニピュレーターを伸ばすと、ミコトがぴくっと体を震わせた。
ひぐぅっ、としゃくりあげながら上目使いに私を見る。
「……ひぐっ……は、ハル……お、怒ってる?」
「怒っていませんヨ」
短く応じてそれ以上何も発さず、テーブルの上の片づけを進めていく。
好き嫌いと、癇癪で食料を無駄にしたことは別の話だ。『後者はJIKO! 大目にみてNE!』とファジー回路も結論している。
ただ、ミコトの素直な性格を利用し、素気なくすることでミコトに良心の呵責を覚えさせるように誘導する。
「……ごめんね、ハル……せっかく、ハルが作ってくれたご飯を、こぼしちゃって……ごめん、ごめんなさい……」
ミコトは涙と鼻水にまみれたその顔を、袖口でぐしぐしと拭う。
「……謝るから……謝るからぁ……わ、私のこと、嫌いにならないで……ハルが嫌いって言ったの、嘘だから……私を1人ぼっちにしないでぇ……」
ミコトの眼尻に新たに盛り上がる涙を、私は胴体の格納部から取り出した不織布をそっとあてて吸い取った。
「怒ってはいませんよ。それに、よく、きちんと謝れましたネ。ミコトはとっても偉いデス」
「……ハル、ハルぅ!」
ハルに両手で握りしめられた右のマニピュレーターがまた折損するが、やはり私はそれを告げなかった。
「さて、ではお昼ご飯を作りなおしましょうカ」
「うん……ねえ、やっぱり……イカ、食べなきゃダメ?」
「残念ながら、イカの備蓄がなくなってしまいましタ。だから、代わりにホタテを使いマス」
「ほんと? イカ、なくなったの? やったぁ!」
何か躾を間違ってしまったのではないかというアラームがファティマ回路上を駆け抜けたが、ファジー回路がそれを遮断。
貯蔵冷凍庫からの食材の搬出を管理AIに指示したところで、私は折損した右のマニピュレーターを掴んだままのミコトに、
「ミコト、お昼ごはんを作りなおすのを手伝ってくれますカ?」
そう発した。
1秒ほどきょとんとした表情を浮かべたミコトは、
「うん! わたし、手伝うよ! 任せて!」
微笑んで自信満々に頷いた。
ミコト換算で2食分の食材がダストボックスに消えることになり、私は改めて教育というものの困難さを痛感したのだった。
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