少女と嘘つき機械と世界の終わり

@kazen

第1話

 目を覚ましたことを確認したのちに、まず私はバイタルのチェックを行う。

 体温、心拍、呼吸数をモニターし、直近のデータと比較して大きな変動はないか、アーカイブから引き出してきた同年代の平均値との乖離はないかを徹底的に確認する。

 どうやら問題ないようだ。今日も健康、結構なことだ。明日もそうであってくれればいい。

 ぷしゅっ。聞きなれた圧縮空気の炸裂音とともにモニター室のドアが横にスライドした。

「ハル……おあよー」

 右手にパンダのぬいぐるみをぶら下げ、左手で半分閉じた瞼を擦りながらミコトが気の抜けた声を発した。

 胴体下部のキャタピラを駆動させ、ぐるりと体を回転させてミコトに向き直った私は、

「おはよう、ミコト。今日は起こされる前に起床できましたネ。それはとてもいいことデス」

 発声デバイスを用いて寝ぼけ眼のミコトを褒める。アーカイブから引きだしてきた情報によると、子供は褒めて育てるべきものらしいから、私はそれに従うことにしている。

 大きめのシャツを着ているせいで右肩を完全に露出させたミコトはきょとんとした表情で小首を傾げた。

「いいことって、どういうこと?」

 子供は質問が多い。これもアーカイブから得た情報だ。しかも子供に対しては簡潔に、直感的にわかるように説明しなければならないそうだ。字義から説明しようとしていた回路を遮断し、単純なものに収束させる。

「自分で朝起きることができたミコトはとても偉い、ということデス」

「ほんと? わたし、偉い?」

「ええ、とても偉いデス」

 私が合成音声を発するとミコトはにぱっと口をひらいて笑顔を浮かべた。

 その前歯は1本欠けていた。つい最近抜けてしまったのだ。

「偉いということは、私、王様なんだね!」

「そのとおりデス! 王様のミコトは、朝起きてしなければいけないことを分かっていますネ?」

「う~んと……歯磨き?」

 左手の人差し指を顎にあてたミコトは5ミリ秒ほど考えて、応えた。

「正解デス!」

 私は左右のマニピュレーターを大げさに左右に動かした。

 しかし、ミコトはなぜか不満げだった。ふむ? これまでは褒めるときにこの動作をするとミコトは一層喜んでいたのだが、心中に何か変化があったのだろうか。

 そういえば人間は同じことを続けると退屈を覚えるものらしい。私のリアクションはミコトに飽きられてしまったのかもしれない。

 しようがない。これはとっておきだったのだが。

「大正解デス!」

 胴体部に収納されたKBHE――カー・ブラックホール・エンジンの出力を上げ、上半身のみをぐるぐると高速で回転させる。

 だが、ミコトの表情は冴えないままだった。

 何ということだ。これでも足りないというのか。これ以上となると上半身射出くらいしかないのだが、それをしてしまうと私は独力では合体できない。接合部の摩耗も無視できない問題である。

「……わたし、歯磨き、嫌い」

 パンダのぬいぐるみを抱きしめ、ミコトは唇をとがらせながら上目使いに私を見た。

 そういうことだったのか。早とちりをしてしまった。

 子供とは概して我儘なものだ。しかしきちんと躾けてあげなければ社会のためにも、子供のためにもならない。そうアーカイブには書いてあった。

「ミコト、歯磨きはとっても大事なことなのデス。きちんと歯磨きをしないと口の中でバイキンが大暴れして、ミコトの歯が痛い痛いになってしまうのデス」

 怖がりなミコトは『痛い』という言葉に反応して、ぴくりと体を震わせた。

「……イタイイタイになるの?」

「なるのデス」

「う~……」

 ぎゅっと胸の前で握りしめられたせいでパンダのぬいぐるみの首が大変なことになっており、私はそれを哀れに思うがミコトの将来のための犠牲になってもらうほかない。

「……イタイイタイになっても、ハルが『とんでいけ』してくれるんでしょ?」

「歯が痛いのは私にも無理デス」

 そもそも『痛いの痛いのとんでいけ』という、機械生命体である私にとっては不思議というか、無駄にしか思えない人間の風習は、自己暗示の類に過ぎないとアーカイブにはあった。

「……ハルはどうして歯磨きしないの?」

 ミコトの言葉に私は即座に応じる。

「私はロボットだから歯磨きは必要ないのデス」

 私、HAL-9025はドラム缶に熊手のようなマニピュレーターを二本つけた外観をした機械生命体だ。

 KBHEは一度安定状態に達してしまえば、半永久的に稼働を続けるから外部からエネルギーを供給する必要はない。そのため、私には『食事』に似た概念すら存在しない。

「う~……ずるい! ハルはずるいよ!」

 叫んでミコトはパンダのぬいぐるみを、びたんと床に叩きつけた。

「ああ、何ということヲ」

 ぐったりと横たわるパンダに私は反射的にキャタピラを動かして近づいた。私がマニピュレーターを伸ばすより先にミコトがパンダを抱えあげ、再び抱きしめた。

「ハルはずるいから『みなごろしパンダ』君には触っちゃダメ!」

 ミコトは体をひねってパンダのぬいぐるみを私から遠ざける。

 正直なところ、私にはミコトの行動が全く理解できない。

 人間に歯磨きは必要だが、機械生命体には必要ない。それをミコトはずるいといい、そして私がずるいからパンダのぬいぐるみに触れることは許さない。

 論理の飛躍というよりも、支離滅裂だ。

 このシェルターでミコトと暮らし始めてから何度もあったことだが、私は問題解決のためにファジー回路を起動することにした。人間は機械と違い、1か0かで行動制御ができない。その人間の思考回路を私なりに模したものがファジー回路だ。

 ファジー回路は1ナノ秒で解決のための手法を出力した。

「HEYミコト、どうして歯磨きが嫌いなんだYO?」

 それはとても単純なことだった。

 どこに問題があるか理解できないのなら、相手に訊けばよい。

「う~……」

 ミコトはパンダのぬいぐるみを抱えたまま、もじもじと体を左右に揺らした。

 時折こちらを見ては、ふいっと視線をそらし、またもじもじし始める。

 ミコトと出会う前だったなら、私はそれを精神的な病の兆候と判断しただろう。

 しかし私がミコトと暮らし初めてから65日が経っている。この仕草はミコトが『なんか恥ずかしいような気がしなくもない』という複雑な感情を抱いている時に行うものだということを、私は既に知っていた。

 最良の対応ももう学習していたので、じっと待つ。機械の私にとってそれはなんということもない。

 やがてミコトはパンダのぬいぐるみで口元を隠しながら上目遣いで私を見た。

「だって……だって、歯磨きしてるとき、ハルはわたしを一人ぼっちにするんだもん……」

 わずかに頬を朱に染めるミコトを見て、私は慌ててバイタルを確認したが、何かしらの病が急に発症したというわけではないようだ。

 そして、とりあえず原因は判明した。原因が判明すれば対処は容易だ。

「わかりましタ。私に歯磨きは必要ありませんが、ミコトと一緒に歯磨きをしまショウ。正確には歯磨きするミコトのそばにいるだけですガ」

「ほんと?! 今日だけじゃないよね?! これからわたしが歯磨きする時はずっと一緒だよね?!」

 ぱっと表情を明るくしたミコトに私は肯定の返事を返す。

「はい。ずっとデス」

「じゃあ、指きりしよ!」

 満面の笑顔で叫んだミコトは私の右のマニピュレーターの3本ある指の一番外側に自分の小指を絡めると、

「ゆびきりげんまん、うそついたらはりせんぼんの~ます! ゆびきった!」

 ぶんぶんと上下に振り回した。

 関節部分が損傷、というか一部が完全に折損したが、今ここでそれを告げないだけの『デリカシー』を私はすでに身につけていた。

「ふふふふ~」

 上機嫌にパンダのぬいぐるみを左右に振りまわすミコトに私は告げた。

「すぐに行きますから、ミコトは先に洗面所に行っていてクダサイ」

「うん、わかった~!」

 ゴネることも予測範囲に入っていたが、素直に応じてミコトはモニター室から出て行った。

 直後に入り口からパンダのぬいぐるみが顔だけをのぞかせ、

「ハル、すぐ来てね! 待ってるから!」

 甲高い声で叫んで、すぐに引っ込んだ。

 以前の私だったらパンダのぬいぐるみ――呼称『みなごろしパンダ01』を敵性機械生命体と判断して即座に排除行動を起こしたはずだが、今の私はそれがミコトの悪戯だと理解できていた。

「すぐに行きマス」

 そう応えて、私はミコトが予定よりも早く起きたため中断されていた仕事を再開した。

 この地下シェルター『ノヴィレン』のセキュリティチェックだ。とはいえ会話の間にチェック自体は終了しているから、そこに瑕疵がないかを改めて確認するだけだ。

 今日もシェルターに異常はなく、機械生命体が侵入してきた形跡もなかった。おおよそ1065分おきに地表付近を機械生命体の小隊が通過しているが、これは最近の定期巡回コースだ。過去のデータと比較すると、少し頻度が高くなったようだが問題ないだろう。

 いくつかのルーチンと、折損したマニピュレーターの再生産を管理AIに指示して、私はキャタピラをきゅらきゅらと動かして細い通路を進み、洗面所のある区画へと向かう。

「ミコト、きちんと歯磨きできていますカ?」

 区画のドアがスライドしたところで、私のカメラアイがこちらに飛来する赤い線状の飛来物をとらえた。すぐさまエマージェンシーモードを発令。戦闘機動でそれを回避しようとして――キャタピラ駆動のこの躯体ではそれは叶わず、塊は私の頭部に直撃した。

 即座に成分分析にかかろうとしたところで――

「ふふふふふ~! ねえハル、わたしがハルに歯磨きってどういうものか教えてあげる!」

 半分が赤く塞がれた私の視界に映る、いかにもしてやったりという表情のミコトが仁王立ちしていた。

「ねえ! ハルも歯磨きってどういうものか知りたいでしょ?」

 右手にぺしゃんこになったイチゴ味の歯磨き粉のチューブ、そして左手に刺々しい――タングステン製の亀の子だわし。

「ハルもきちんと磨かないと、イタイイタイになっちゃうよ!」

「ミコト、私の躯体は材質的に研磨を必要としまセン。そもそも歯磨き粉はメイドロボットの清掃に使うものでハありまセン」

「だ~め~! ハルも磨くの! 絶対磨くの!」

 私の反駁を考慮するつもりはないようで、まったくもって屈託のない笑みを浮かべたまま、無遠慮にたわしを近づけてくる。

 どうミコトを説得したものか、とファティマ回路を巡らせ、視界の隅に赤い泡まみれで洗面台の上に横たわる『みなごろしパンダ01』をとらえた私は、全てを諦めることにした。

 それから15分にわたって私の頭部はミコトによってがしがしと磨かれ――というよりも削られたのだった。


 同志『みなごろしパンダ01』を水洗し、乾燥機に投入した私の胴にミコトの温かい手が触れる。

「ハル、ハル! 見て見て! きちんと歯磨きできたよ!」

 にかっと笑うミコト。

「ミコト、よくできましタ」

 ぐるぐると上半身を回転させたあと、私はマニピュレーターを伸ばし、ミコトの口角の端に残った泡をタオルでぬぐい取った。

 くすぐったそうにミコトは笑い、

「お返し~」

 私から奪い取ったタイルで私の頭部を磨く。研磨は必要ない、ということを再度説明しようとするファティマ回路を遮断。

「さて、では朝ごはんにしまショウ」

「うん! じゃあ、食堂まで競争しよ!」

 タオルで私のカメラアイを覆い隠すという小細工の後、ミコトは駆け出した。

 視界はシェルター内の監視カメラを経由すれば確保できるし、KBHEをフル稼働させれば一瞬でミコトを抜き去ることも可能だったが、私はそうはしなかった。

「待ちなさイ、ミコト!」

 きゅらきゅらとキャタピラを動かし、きゃはあ、と笑顔で叫ぶミコトに追いつかない程度に追随する。

 誰もいないシェルターの廊下で行われる追いかけっこ。

 接戦の末に、私はミコトに敗れた。

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