第五話 「深山幽谷の龍神、済鐸」

 望天は山の麓まで後少しの所まで来た。


「……ボウちゃん。来ますよ」


 途端に山全体に尋常ならざる霊力が浸透し、大地が鳴動して強大な存在の到来を謳う。

 望天の目の前を流れる大きな川に異変が起きる。

 上流から鉄砲水がやってきて、龍の怒りの如く荒れ狂う水は形を持って首を上げる。

 やがてして、川は龍となり――深山幽谷の龍神、済鐸さいたくが出現する。


「――天に見放された邪仙嫦娥。その傀儡ごと、貴様のたくらみみ事を砕いてやろう」


「こいつが龍神……」


「やばい霊力だな、と……」


「恐」


 鬼の三侠は済鐸さいたくの威容に怖気づいていた。

 嫦娥の念話札が飛び出す。


「年の割に剛毅じゃないですか、済鐸さいたくちゃん。降龍して三百年ぐらいですか? たかがその程度で上士じょうしを計れると思い上がるもんじゃない」


「ほざくな、堕落した盗人が。貴様は下士げしよりも下劣な大罪人なのだ」


「――あいッ」


 済鐸さいたくの侮辱に反抗の態度を示し、望天が戦闘態勢をとる。

 望天の眼差しに、彼女を見下す済鐸さいたくは侮蔑の視線を向けていた。


「……汚らしい死体風情が。誰の許しを得て、我の山でこの済鐸さいたくを見上げている」


 念話札が淡く光る。

 霊力で紡ぎあげられた嫦娥の幻影が逆さまの状態で望天の頭上に現れる。 

 長い髪、血色の悪い肌、くすんだ眼と邪な笑み。

 嫦娥は愛おしそうに真下に居る望天の頬を撫でる。


「もちろん、この嫦娥ちゃんですよぉ。この娘は嫦娥ちゃん最高傑作ですから。降龍如き、滅せれるに決まってるじゃないですかぁ」


「死体が我が守り人を屠ったからと調子づきよる。ならば、その傑作ごと微塵みじんとしてやろう」


「――フヘ。ズッコケ幽霊共」


「な、何だよッ。てか、誰がズッコケだ!」


「ボウちゃんの手助けをしなさい。龍神を滅ぼしてやりましょう、今のボウちゃんとお前たちが居れば可能です」


「――ッ。当然、望天だけ置いて逃げられるかよッ。元々あたしらはコイツから龍玉を頂くつもりだったんだ。かんちょう。付き合いな!」


「ま、きゅう姉御あねごがそういうなら、ね。龍玉も預けたままですし」


「応」


                ―――


 龍の鱗は固い。あの鱗人よりも強固だ。

 鱗を貫けないきゅうは牽制や済鐸さいたくの攻撃を打ち消すことに徹する。かんが弱点を探る間に、望天とちょうが吸魂で集めた魂を使って辛くも戦線を維持する。

 

 ――だが、霊山は済鐸さいたくであり、済鐸さいたくは霊山である。


 霊山の領域は済鐸さいたくにとって『最も力が浸透している場』。 

 そこで戦うということは、済鐸が最も有利だということ。

 霊山全体の霊力が済鐸さいたくに集約する。受けていたダメージを回復し、消費した霊力を充填する。


「邪仙、幽霊、キョンシー。死人共が。下らない逃亡劇は幕引きだ」


 龍の口から凝縮された霊力の息が吐き出される。 

 地面を抉る衝撃が望天たちを襲う。



               ――――


「ぐぅッ……。無事かい、あんたたち。――望天!?」


 幽霊は零体ゆえに傷を負わない。霊力がこもった攻撃で深刻なダメージを受けているが致命傷ではなかった。

 しかし、死体とはいえ、肉体を持つ望天は先刻さっきの龍の息吹で下半身が吹き飛んでいた。


「あい。損傷が深刻。……ピンチ」


「望天。しっかりしな!」 


 望天に駆け寄ったきゅう。幽霊では望天を掴む事も出来ない。


「おい、陰湿邪仙。何とかならないのかい!?」


 きゅうが念話札に呼びかけるが嫦娥の返答はない。


「畜生、あの女。少しはこの娘を大事にしてると思ってたのに。状況が悪くなったら放り出すのか!」


「……ぁぃ。弓姉きゅうねえ、違う」


「あたしは絶対置いてかないからね。幽霊になってまで後悔なんかするもんか」


 望天は手を伸ばし、念話札を握る。


「あい。嫦娥はみじめで小さいものを見捨てない。零れ落ちたものが大好きだから」


「望天、どういう意味?」


きゅう姉御あねご! すんませんが、手を貸してくんないと持ちませんよ、と!」


「苦戦中!」


「……ッ。望天、あたしらが時間稼ぐから。嫦娥に何か策があるなら、さっさとするように文句言っといて」


「あい」


              ――――



 鬼の三侠が済鐸さいたくと戦う最中、望天にだけ嫦娥の声が聞こえた。


「随分酷くやられましたね、ボウちゃん」


「あい」


「諦めますか? 自爆させてあげますよ」


「いや。天に負けたくない」


「……フヘへ、嫦娥ちゃんもですよ。ボウちゃんには天を滅ぼしてほしいんです。龍如きに負けないでくださいね、のキョンシー」


「あい」


「ボウちゃん、その札を地面に突っ込んでください」


 言われるがまま、望天は腕ごと札を地面に埋めた。 

 望天の掴む札を中心に、木が根を伸ばすように術式が山全体に広がる。



              ――――


「……力が抜ける。山が侵されている?」


「――フヘへ」


 山から嫦娥の声が響く。


「山が済鐸さいたくちゃんそのものだから、山の力は済鐸さいたくちゃんのもの。なら、そこに割り込めばいいんですよ」


「嫦娥、貴様何をした!」


「降龍――天に昇り龍玉を賜ることで龍となった龍。変化の由来は龍玉にある。なら、龍玉を媒介すれば龍の支配に介入できそうですよねぇ?」


 邪仙は邪悪な企みを紐解く。


「龍玉のおかげで支配に介入する回路は出来た。けど、それだけじゃ土地が嫦娥ちゃんを拒みます。だから、必要な条件がありましたぁ。龍玉の霊力に耐える器、鱗人の魂、霊場が乱れること」


 嫦娥わざとらしく三つの例を挙げた。

 下山する間に、望天の身体は龍玉の霊力を完全に取り込んだ。

 鱗人の魂は済鐸の影響、龍に近しいものに変質しかかっている。

 逃走劇の中で集めた鱗人の魂が、土地に望天を済鐸さいたくだと誤認させた。

 龍玉の喪失で霊山に妖怪が入り込み、霊場が乱れに乱れて魔境と化した。  


「あららぁ~? 全部、揃ってましたねぇ~」


 今、霊山の支配者は望天だと誤認されていた。


「貴様、全てこの瞬間のためかぁ……!」


 大地から、山から。

 吸魂を使い、望天は霊力を吸い上げる。

 済鐸さいたくがやったように。

 支配者――望天の身体が修復されていく。

 逆に済鐸さいたくは力の源を失い弱っていた。


「形勢逆転――命令です。望天、降龍を滅ぼせ」


「あい、嫦娥」


 ――大地に突っ込んでいた腕は、虎の腕と化していた。

 望天は過剰に取り込んだ霊力を足から噴射して跳びあがる。衝撃で四肢が千切れ飛ぼうが、山から霊力が補充されてすぐに治る。

 済鐸さいたくは望天を近付けまいと攻撃を仕掛ける。

 羅刹鳥らせつちょうが望天を掴み、済鐸さいたくの攻撃群を掻い潜って飛ぶ。

 業を煮やした済鐸さいたくは息吹で諸共吹き飛ばそうとする。

 鬼の三侠が連携して攻撃の直前で済鐸の眼を射抜き、息吹の軌道を逸らした。

 ――遂に、望天の爪が龍を切り裂いた。


「――天への大逆、だ、ぞ」


「あい。もとより、そのつもり」



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