拝啓、世界の終わる日に君へ

 ――地面を強く蹴って、身体を前へ前へと押し込んでいく。


 照りつける斜陽も、零れ落ちる汗も、何もかもを置いて駆けてゆく。心臓が痛くて、肺が軋んで、足が絡れそうになろうとも、走り続ける。

 運動は苦手だったし、特に引きこもりだったから、久しぶりの全力疾走は流石にきつい。それでも、身体が訴える全て苦しみを心だけを源に走り続けた。


 今だけは、自分に酔ってみようと思う。主人公ぶってやろうと思う。


 すっかり見なくなった景色を見送り、閉ざされた門を乗り越え、上履きにも履き替えず、ただ、全力で。

 階段を一段飛ばしで登り、登り、登って――やっと、この場所にやってきた。


「――すぅ」


 呼吸を整える。額を流れる汗を拭う。


 今まで、ずっと拒んでいた場所。向き合うのが怖くて、信じたくなくて、逃げ続けてきた場所。それを、僕は今から正面に立って受け止める。まだ怖いけど、正直震えてるけど、それでも僕は終止符を打つために、ここに立っている。


「――はぁ」


 肺に酸素を行き渡し、覚悟を決めて、ドアノブを――。


「って、鍵開いてないじゃん……。最後の最後まで、締まらないなあ、僕」


 校舎や渡り廊下の鍵は誰か知らないが、開けられていた。きっと、最後の日に学校で馬鹿をしたかった輩がいたのだろう。そのおかげで僕はここまで来れた。それでも、ここは開いていなかったらしい。

 これでは入れないな、と一瞬考えて。


「そういえば手紙と一緒に……」


 ズボンのポケットに手を突っ込むと薄く硬い物に触れた。


 ――鍵だ。

手紙をもらってから、ずっと入れっぱなしにしていたのを忘れていた。あの時はなんの鍵だかよくわからなかったけど、今はわかる。


これは、この場所の。


 鍵を差し込み回すと、カチャンと呆気なく開く音が聞こえた。

「……なんでこう都合よく出てくるかな。ほんと、主人公みたい。天川さんはこんなのも見越していたりとか……まさかね」


 そんなしょうもない感想を胸に、僕は扉を開けた。





 そこは、なんてことない街が一望できる屋上で、上は緋く染まった空と、黒の塊が世界を二面する、そんな背景。

 朝見た時は小さな点で、さっきは大きなボールくらいで、もう、今となっては空が落ちてくるのではと勘違いしてしまうほどに大きかった。


 「……やぁ、久しぶり」


 一歩進む。

 

「本当はもっと早く来るつもりだったんだけど、ウジウジしてたらこんな時になっちゃったんだよ」


 曲がりくねった道を進む。


「……花とか、ジュースとか、持ってくれば良かったかな。でも思ったよりもタイムリミットが早くて、仕方なかったんだよ。僕は君とは違ってモブみたいな存在だからさ」


 尻切れとんぼの先の道を進む。


「ごめん。認めたくなかったんだ。でも、こんな日になって――世界最後の日になって」


――進む。


「僕は君に向き合うことができたよ、天川さん」


 フェンスの角。僕の足元には多くの花束やジュースが供えられていた。


………………


 うちの学校から自殺者が出たと言われたのは、新しいクラスにも慣れて一ヶ月が経過した明くる日のこと。

 結局あの後、天川と話すことはなく、別のクラスになり、彼奴からも離れることができて、平穏な学校生活を送っていた。そんな矢先にこれだ。クラス担任は顔を顰めて悲しそうなフリをながら、僕達生徒に簡易的な詳細を伝え出した。

 昨日夕方、学校の屋上から飛び降りたこと。

 発見したのは見回りをしていた先生で、すでに息絶えていたこと。


 「大変だなあ。でも、今日の授業はこれで潰れて早く帰れるかな」


 無情にも僕は、そんな風に考えていた。だって、友達のいない僕にとっては他人の生き死には些細なことで、かわいそうだとは思うけど、それ以上の感想なんて思いつかなくて。

 そんな馬鹿なことを考えていた。


「亡くなったのは三年二組の――」



 ――そこから先は、覚えていない。


………………


「……ぁ」


 気がつけば、僕は自分の家の前に立っていた。

 どうやって帰ったのか、僕にはわからない。


「……」


 いつも通り家に入ろうとして気づく。

 郵便ポストに、一枚の封筒が目立つように入っていた。


「……なんだこれ」


 自分の喉から出る掠れた声に自嘲的になる。

 朝出る時はあったのだろうか。僕が気づかなかっただけだろうか。あんまり配達物が届くことがないから、気にも留めてなかった。

 封筒の外には、中村志乃様へと書かれているだけで、郵便番号も住所も、何も書かれていない。


「……便箋と、鍵?」


とりあえずよくわからない鍵をポケットにしまい、二つ折りにされた手紙を開いて――。


………………


『拝啓、中村くんへ


この手紙を読んでいる時、きっと私はもういないでしょう。

……なんてベタ過ぎるかな。でも、こうでもしなきゃこんな風に手紙を送るなんて照れ臭くて出来ないんだよ。許してね。


ごめんね。


私、勝手なことばかり言ってた。いじめに立ち向かえるくらい強くなればいいじゃんなんて、簡単に言えることじゃなかった。辛くて、苦しくて、どうにもできなかったよ。


主人公みたいになりたいって思ってた。ヒーローみたいなのに憧れてた。高校生のくせして厨二って思うかな。中村くんを助けたのも、正義感というよりはそんな風に他の人によく見られたかったからなんだよ。

『自分の人生は自分が主人公』だなんて、全然そんなことなかった。


もう耐えられなくなっちゃったんだ。ごめんね。

毎日が辛くて、人間じゃなくて猫みたいにその辺を歩いていられたら、とか、隕石でもぶつかって世界が終わっちゃえばいいのになって最近はずっと思ってた。


なんか愚痴っぽくなっちゃったし、話がまとまらなくなったから、これで終わります。この手紙は君のせいじゃないってことと、謝りたかったから送っただけ。


最後くらい、ちゃんと自分の意志でケリをつけるよ。


ありがとう、中村くん。


天川 葉月より


P.S

 本当はダメなんだろうけど、その鍵は君に渡しておきます。何かあった時のために』


――――――。


――――。


――。


 敬具もない、挨拶もない、中途半端な手紙。


「……あのさ、この手紙を見た僕の気持ち、考えなかったの? 僕も大概だけど、君も人の気持ちが考えられてないよね。というか、学校の鍵を盗んで僕に送りつけるって何?」


 僕は落ちてくる空を見ながら、まるで『君』がそこにいるみたいに話しかける。きっと、側からみれば異常者だったことだろう。

 そうだ、僕は異常者だ。

 いじめられて、たった数回話しただけの元クラスメイトが自殺しただけで学校を休むようになって、家に引きこもるようになった、異常者だ。


「僕のこと勝手に助けておいて、しかも勝手にケリをつけるって……本当、君は決断力があるなあ。最悪だよ」


 学校に行けば、『君』がいないことを直に理解してしまう。僕のせいだってことがわかってしまう。

 天川は、今年も彼奴と同じクラスだった。僕の代わりに天川が標的となった、と僕は踏んでいる。十中八九そうだろうが、臆病な僕は真相を知りたくなくて目を閉じて耳を塞いだから確定的なことはなにも知らないのだ。


 風が激しく吹き荒れる。床の花やジュースはぐちゃぐちゃに、手紙は僕の手から離れていって、空に向かって飛んでいった。そこは、『君』が飛び降りた場所だったりするのだろうか。


「もしかして、この大災厄は君が起こしたりでもしたのかな」


 世界が滅びるのは、『君』が望んだからだろうか。そうだとしたら、僕は『君』に文句を言いたい。そのおかげで僕は君と向き合うことができたわけだけど、結局『君』が死んでなければそんなことも起こらなかったわけで。


 ――死ねば会えるのかな。

 自殺なんてした『君』は天国に行けないだろうし、君を見殺しにした僕も天国なんて行けるわけがないから、会えるのは地獄か。でも地球ごと壊れるんだし、地獄なんて地中にあるといわれているから、地球滅亡と共に地獄も消えてしまうか。


 ――『自分の人生は自分が主人公』だなんて、全然そんなことなかった。


「それでも僕にとって、君はヒーローだったんだよ」


 女の子がヒーローなんて、可笑しいだろう。普通、僕が主人公なら『君』はヒロインのはずで、物語は進むはずだったのだから。


 空が、落ちてくる。緋かった空は、もう大きくて、真っ黒な世界に飲み込まれる。僕がヒーローなら、あの隕石だって止めてみせただろうけど――。


「やっぱり、僕に主人公は向いてなかったや。返すよ、君の方が主人公に向いてる」


これは、主人公になりきれなかった僕の物語。


「ああ、そうだ。良い名前を思いついた」





「――拝啓、世界の終わる日に君へ」





君のことが――――。

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