『主人公』

………………


 少年は、今日までの人生を振り返った。

 穴だらけで、谷ばかりで、ぐにゃぐにゃに曲がりくねった道を想像してしまって、思わず苦笑する。


 この旅路は、楽しいことばかりではなかった。

 辛くて苦しくて、何事からも逃げ出したくなった時だってあったし、諦めて塞ぎこめられればどんなに楽だったかと考えなかった日はない。

 

 惨めで情けなくて、弱くて脆かった少年の本質は、今でも吃驚するほど変わらない。


けれど、今は弱い意志でも空高く掲げてみせるし、ここが酷く夢のない世界だということを理解した上で理想を信じて、夢を描いてみせようと心に決めている。


 まだ道半ばだ。きっとこれからも悩んで、途方に暮れることはある。

 だが、少年の目に不安はない。少年はもう一人ではないから。

 隣を見れば同じ道を進むと手をとってくれた友がいる。後ろを見れば、背中を支えてくれる仲間がいる。

 彼らと一緒なら、何の根拠もなくても大丈夫だと思えるのだ。


『あ、いた。おーい! こっちこっち!』


『もう、遅いよ! 今日の主役なんだからしゃんとしなさい!』


『ごめんごめん! 今行くよ!』


手を振る仲間の元へ、最高の笑顔で少年は駆けていった。


………………



「これで終わり、か……」


 晴れやかな表情を浮かべる挿絵をパタンと閉じて、棚に戻す。床には、『50万部突破!! アニメ絶賛放送中!』と書かれた帯だけが、虚しく転がっていた。


 ライトノベルには珍しく、この物語の主人公は才能があったわけでもない、ただの凡人だった。

 特別な力があってとか、とても顔が良かったわけでもなければ、環境が悪かったからとか、何か明確な理由があって差別されるとか、そういうのもない。

 ただ馬鹿で、愚図で、臆病で、他人のことが考えられないから、ずっと独りぼっち。そんなオープニングのくせして、随分と評価の高い作品だったから、僕はこの話に惹かれたのだと思う。そんな彼が、どんな結末に向かうのか気になって、ちょうどアニメが放送中だったようだから、見ていたのだ。


 そんな主人公はやりたいことを見つけて、仲間を見つけて、果敢に挑戦して、真剣に向き合って。覚悟を問われて、何度も喧嘩して、別れて、罵声を投げられて、何度も苦しいことがあって、その度に泣き喚いて、何度も挫折して。


 ――それなのに、愚直に、物語の最後まで、走り切ってみせた。


『すごく人間っぽい』

『共感した』

『辛いものは辛いよね。物語として美化せずちゃんと一人の人間として耐えきれず怒ったり、泣いたり、不貞腐れたりするからこの主人公に感情移入できる。この作品が人気なのも納得』


 レビュー欄には、そんな好意的な意見が多数。

 一人でなんでもできるような無双系の主人公とは違い、何もない少年に、悩みを抱える友達、コンプレックスがある仲間。そんな継ぎ接ぎだらけの仲間と共に道を切り開く、王道ではないストーリー。


 だからこそ、『共感できる』と絶賛の嵐。




 ――そんなの、


「……そんなの、おかしくないか』


 こんな主人公の、どこが凡人なのだ。どこが人間なのだ。


 こんなにも自分の意志があって、何度折れても戻ってきて、こんなにも輝ける主人公が、どうして凡人だと言えるのか。


 『自分の人生は自分が主人公である』なんて言葉があるが、そんなものは間違いだ。一握りの選ばれた、例えば芸能人や著名なスポーツ選手みたいな人間以外はみんな、名前もない脇役でしかない。主役になれる器なんて、持ち合わせちゃいないのだ。


 そんなただの人間が主人公に共感などあり得ない。それは共感ではなく、情景に近いものだろう。『主役』の座を与えられた時点で、僕らモブとは違うのだ。少なくとも、この主人公はちゃんと『主人公』をしている。

 周りがいうように、そんなに自分と似ているなら、主人公と同じように、自分も同じことをしてみれば良い。

 ――きっと、挫折をしてそこで終わりだから。


『人生なんて一度きりでしょ。私は私の人生を自分が主人公としてちゃんと生きたいの!』


 ――今日こそはって思ったのに、逃げてばっかりだな、僕。


「……。内容自体は悪くないけど、やっぱり、物語は物語でしかないのかな……とは言っても、今日ばかりは誰だって主人公になりそう」


 タイトルは『地球最後の日』。どう足掻いてもB級映画にしか思えない。たとえそんな映画で主人公になったとしても、誰にも見向きされず主人公であることすら失念しそうだ。


「……それにしても、まさかここが開いてるとはね」


 現在僕がいるのは駅前の大きな書店。最近は紙媒体ではなくネット書籍のほうが幅を利かせているため、昔あった近所の本屋は軒並み閉店。次々とコンビニにすげ変わっているので、ご飯を食べに行ったのもあったしちょうど良いから、こうやって出向いてきたのだ。


 無論、今日が全てにおける最終日だから、普通にやっていないものだと思っていた。そしてそれは間違いではなかったのだが。

 ――本が誰でも自由に読めるくらい、荒らされていたとは。


 自動ドアは割られて誰でも入れるようになっているし、本は包装は勝手に破られ、誰でも読めるように置いてあり、そしてそこそこの数が乱雑に散らばっていた。


 朝テレビで見たのを思い出して、恐らくは暴動でもあったのだろうが、地球最後の日なのだから、そんなことをしても誰も咎めようとはしまい。勝手に本を持ち去ろうと、商品を破ろうと燃やそうと、全て終わる世界で何をしたって無駄なのだから。

 ちなみに僕以外にも何人か人はおり、僕と同じように本を読んでいる人、ふざけて遊んでいるヤンキーみたいな人達。あといちゃいちゃしているカップルなんかもいた。なかなかに無法地帯である。ちなみに電気とか空調の設備は壊されてはおらず使えているのが可笑しなところだ。


「あれ、もう五時? 地球が終わるのっていつだっけ……」


 外に出てみるとさっきよりも涼しい風が頬を撫でて行く。まだ日は落ちてはいないが、傾きかけている様子。空にある黒い点はもはや点どころではなくボールのように見える。昼よりずっとずっと大きくなっているようだった。


「……行かなきゃいけないのに、足が進まないや」


 駅前には、思ったよりも人がいた。そもそもこの辺はこの町で一番栄えている場所で、商店街とは違い、売っているものも若者に擦り寄ったものばかりだった。そんなこんなで人が集まりやすかったのだろう。

 親子連れも、友達と来ているような人達も、一人で歩いているのも、老若男女人それぞれだ。誰も彼も、割と呑気そうにしていて、悲壮感は見られない。


「最後の瞬間まで愛してるよ」


「私も」


 辟易するような台詞を言うのは誰だと見てみれば、ああ、まだいたのか。さっきまで書店にいたカップルだった。

 視線の少し先にいるバカップルは自分達を悲劇の主人公になりきっているらしい。見た限りは僕と同じ高校生といった風貌だが、酒臭い。どうやらどっかからお酒をかっぱらって未成年飲酒でもしたのか、犯罪に手を染めるとはなんて今となっては意味のないことなので何を言う気にもなれない。


 というか、みんな思ったより心の整理がついているのに驚いた。そうか、僕みたいに今日知ったなんていうのは稀なのだ。あと、そういう悲壮感に押しつぶされているのはそとを歩かないだろう。結構前から騒がれていたようだし、引きこもって漫画やアニメ、本ばかりを読んで、ゲームしかしていない情弱の僕みたいなのはそうそういない。逆に、こんなギリギリに知って落ち着いていられる僕がおかしいのか。というか僕は何も知らずに死ぬ可能性もあったのでは。


「知りながら死ぬのと知らずに死ぬの、どっちがマシなんだろうなあ。どっちにしても死ぬのは変わらないか」


 そんな虚しい結論に至った――その刹那、


「イ、ヤアアァァ――!?」


 そんな甲高い金切り声が耳を劈いた。

 その只事ではない空気に一斉に視線が集まる。その声は、目の前のカップルの片割れ、女の方で、男の方は床に、倒れ伏していた。


「――――」


 本能的に拒みたくなるような異臭。男は口から血を流して、身体を痙攣させていた。まだ息はあるのだろう、しかしそれも腹部からじわりじわりと赤く染められていっているこの状況下では、逆に可哀想ですらあるが。


「だ、大丈夫か!?」


 周りにいた数人がへたり込む女と倒れている男の元へ駆け寄っていく。実に勇敢であり、僕みたいな人間にはできない行為だが、恐らくそれは危険だ。だって女の目の前に。


「ひ、へへ」


 ――それをした犯人が近くにいるはずなのだから。


「や、やってみたかったんだよ! 人を殺してみたかったんだ!」


 女の前に唾を撒き散らしながら叫ぶ男が立っている。年齢は三十程に見え、髭は剃られておらず痩せこけた顔。黒いフードを被って気味の悪い笑顔を浮かべた、正しく『頭のおかしい人』だった。

 それに気がついた途端、駆け寄ろうとしていた人達はその場から固まって動けず、遠くにいる人は見物しようと意味もなくスマホで撮っていて、僕みたいな中間にいる人は蜘蛛の子を散らすようにその場から逃げ出していく。

 子供の泣き声が、遠ざかっていく。


「け、警察と救急車! 誰か110を!」


「もう意味ねえよそんなもん! 今日が最後の日でやってないんだよ!」


 そんな怒号が飛び交い、ただでさえ無法地帯であったこの場所は、さらなる喧騒に陥った。阿鼻叫喚、死屍累々。まさに地獄のような光景だった。


「……いつもいつも周りは俺を馬鹿にしやがって俺が悪いのかよそうなのかよ俺が虐められるのも母ちゃんが出てったのも親父に殴られるのも俺がわるいってのかよそうやってお前らはおれを下に見て楽しんでんだろくるしいっていっても助けてくれなかったのに異常者だってばかにしやがって俺はふつうに生きてるだけなのになんでかまうんだようるさいうるさいうるさいうるさい! ……ど、どうせ最後の日なんだから俺は捕まらねえよな、どうせみんな死ぬんだ俺が殺したって関係ないだろ!」


 一人でぶつぶつと話したかと思えば急に笑い出したり、怒鳴ったり、不安になったり、同じ人間なのかと不気味に感じるくらい、異常。


 腹を横に切り裂かれた女が、さっき食べたオムライスを割った時のケチャップライスにそっくりだった。ケチャップに見える血は、脳が完全に理解するのを拒んでいるに違いない。ただただ気持ち悪さを覚えて、その場に蹲る。


 ――悲劇の主人公を演じたカップルは、ただの普通の人で、世界の終わりを見ることすらもできないモブだった。正義を気取って駆けつけたヒーローは、恐怖から動けず、血を流して倒れたエキストラだった。それなのに、包丁を振り回しながら逃げていく人を追いかける男は、この場所では紛れもない主人公だった。


 そして、僕は殺人現場を見て嘔吐するただの一般人で。


「ああ、ずるいなあ」


 ――僕だって、自分から行動したかった。


 今だって僕は、前に進めていない。後ろを向いて、蹲ってきた。

 『君』と向き合うのが怖くて、事実を受け止めるのが辛くて、仕方ないから。僕はただのモブだから、主人公じゃないから、無理だったんだ。


 ――僕は、主人公じゃない。


「わかってる。わかってるよ」


 ――思い上がるな。


「知ってるよ。もう、痛いほど味わってる。……でもさ」


 良いじゃないか。

  最後の日くらい、僕が主人公になってみるのも。


 僕は本物の主人公じゃない。本物なら、きっとこの場所で倒れている人を助けて、あの異常者を捕まえる筈だ。でも、僕は紛い物だから、彼らを助けることはできない。そもそも、僕の物語自体が駄作なのに、外伝小説を務められるほど、僕は出来た人間じゃない。


 ――だけど。

 ただ馬鹿で、愚図で、臆病で、他人のことが考えられない僕でも、曲がりくねった道に立つ僕で、先の道がなくて崖一直線だろうとも、今日だけは、僕の物語の一歩勇気を出してみようじゃないか。


 ――タイトル『地球最後の日』。


「……それはなんかつまんないから、後で考えよう」


 そんな締まりのない言葉で、僕の――『中村 志乃』の物語の幕は上がった。

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