第21話 御使い
大聖堂は酷い有様だった。壁や天井は焼け焦げ、一部は崩れて穴が開いていた。整然としていた長椅子は残骸となって床に散らばり、あちらこちらで火の手が上がっていた。ユスティアには教会に対する思い入れなどなかったが、見ていて気分のいい光景ではなかった。
ユスティアは〈虚空の騎士〉の後ろに立ち、宙に浮くザイドを見上げた。その威容は恐ろしかった。彼女はあれを、一人で足止めしなければならない。
ザイドは片腕を前に突き出した。その手の周囲に青い光が生じ、そこから無数の氷の礫が撃ち出された。〈騎士〉が一歩踏み込み、正確無比な剣さばきで礫を弾いた。しかし、全てを防ぐことはできず、いくつかは〈騎士〉やユスティア自身に直撃した。
自身の負った傷と〈騎士〉が攻撃を受けた反動の二重の痛みに耐えながら、ユスティアは思考を巡らせた。ザイドには多彩な攻撃手段があるようだったが、それぞれに対して相性のいい存在を召喚すれば、対抗することはできる。問題は、箱から物を出し入れするように召喚と送還を繰り返すことは負担が大きく、瞬時に済むものでもないことだった。
『その騎士は、何か特別なようだな。お前は来歴を知っているのか?』
ザイドが床の上に降り立った。
「知らないわ」
通常、自ら召喚した存在のことは詳細に把握できるものだったが、なぜか〈虚空の騎士〉だけは情報が欠落していた。
『そうか。まあ、俺には関係がない。確実に潰させてもらう』
ザイドの身体から黒い炎が溢れ出し、姿かたちが変わっていった。彼が黒い竜であることに変わりはなかったが、対峙する〈騎士〉の二倍弱の背丈に縮み、手足が伸びて人に近い形になっていた。
彼は黒塗りの剣を携えていた。禍々しい気配を放つその剣は、ユスティアにヴェインの使った闇魔術を思い起こさせた。
「冥王の……?」
『真作だ。俺はこいつを継承する立場にある。優れた術師なら、紛い物くらいは作れるかも知れないが、比較になりはしない』
剣での戦いなら、〈騎士〉に分があるように思われた。〈騎士〉はレッドと互角に渡り合える卓越した使い手だった。とはいえ、それは相手が人間であればの話で、現在のザイドをその尺度で測ることはできなかった。
ザイドが剣を構える様子はなかった。〈騎士〉が素早い動きで突撃すると、ザイドは一見して緩慢な動きで応じた。しかし、ひとたび剣戟が始まると彼の動きは肉眼で追えないほどの速さになり、〈騎士〉と互角に切り結んでいた。
〈騎士〉は一太刀たりと浴びていなかったが、ユスティアは次第に身体が重く、呼吸が苦しくなっていくのを感じた。ミカエラの身に起こったことと同じ理屈だと、彼女は察した。直接的な攻撃を受けずとも、何かが召喚術を介して術師自身を蝕んでいた。
それは高密度に凝縮された死の概念だった。死が呪いのようにユスティアを蝕み、このまま互角の剣戟が続くだけで彼女は命を落とすことになる。
ユスティアは〈騎士〉を下がらせた。彼女は既に、立っているのもやっとの状態だった。これ以上、何かを召喚することはできそうになかった。
そのとき、彼女は何か温かいものに包まれるのを感じた。白い焔だった。呪いが浄化されて、いくらか身体が楽になった。
「フローレンス」
「待たせてごめんね、ユスティア」
ザイドは〈騎士〉を追撃せず、フローレンスに視線を向けた。
『まだ続けるのか?』
「あなたがやめるのなら、わたしたちも戦う必要はなくなるわ」
『これ以上の問答は無意味か』
ザイドは剣を上段に構えた。刀身が赤く光り始め、その輝きが強まるにつれて、彼の周囲の空間にガラスが割れたようなひびが生じていった。世界そのものを切り裂く一撃なのだと直感した。
あれは、〈騎士〉に防ぐことのできるものではない。ほかに何を召喚できたとしても、対抗策にはなり得ない。ユスティアは絶望感に囚われかけたが、フローレンスに手を握られて我に返った。
「わたしが防ぐ。反撃の準備をして」
フローレンスの足下から白い焔が溢れ出し、海を満たす水のようにとめどなく広がっていった。〈灯火〉に包まれた〈騎士〉の困惑が伝わってきたが、ユスティアにはそれを気にかける余裕はなかった。フローレンスが守りを固めようとしているのを見たザイドが、ただでさえ致命的な攻撃に、さらに〈黒夜〉をまとわせていた。
フローレンスは即座に、守護術による障壁を何重にも発生させた。彼女の口の端からは血が流れていて、彼女が既に限界であることは誰の目にも明らかだった。それでもなお、彼女の瞳は強い決意を宿していた。
ザイドが剣を振り下ろした。黒い炎をまとった赤い斬撃が、フローレンスの守りを食い破ろうと襲いかかった。彼女は声にならない叫びを上げ、地獄のような時間を耐え抜くと、糸が切れたように倒れた。ユスティアは彼女の身体を支えて、床に座らせた。
『防ぐとは。見事なものだ』
ザイドは心底から感心したようだった。そんな彼に、〈騎士〉が襲いかかった。甲冑の隙間という隙間から、白い焔が漏れ出していた。ザイドは〈騎士〉の一撃を防いだが、警戒するように距離を取り、宙に浮かび上がった。
〈騎士〉はザイドを追わず、なぜかその場に立ち尽くした。ユスティアが指示をしようとすると、〈騎士〉は床に剣を突き立てて、喋り始めた。
『目が覚めたような心地だ。〈神世の灯火〉によるものだろうか。主よ、今まで挨拶もせずにいた非礼を許してほしい。どうやら、私は眠っていたようだ』
自分が話しかけられているのだと、ユスティアは気がついた。召喚した存在が言葉を話したことはなく、彼女は戸惑っていた。
『竜王の系譜、ザイド。相手にとって不足なし。このひととき、私は〈焔の騎士〉だ。覚悟するがいい』
〈騎士〉の背から白い焔が吹き出し、翼のような形になった。白い焔の翼を背負うその姿は、神話に語られる御使いのようだった。〈騎士〉が剣を構えると、その刀身からも白い焔が迸った。
ユスティアは〈騎士〉に声をかけた。
「あなたに託すわ、〈焔の騎士〉。必ず、期待に応えてみせて」
『承知』
〈騎士〉はザイドと同じように宙に浮かび、彼と対峙した。両者の間に言葉はなかった。どちらからともなく動き出し、縦横無尽に飛び回って激しい剣戟を繰り広げた。白と黒の火花が飛び散り、灰が降った。
激しい衝突の後、両者は距離を取った。双方ともに無数の傷を負い、ユスティアは反動による痛みに耐えていた。次の一撃で決着がつくと、彼ら全員が直感していた。
〈騎士〉とザイドは、〈灯火〉の白い焔と〈黒夜〉の黒い炎で愚直な一直線の軌跡を描いて、互いに突撃した。
ユスティアは心臓が潰されるような痛みを味わい、意識が遠のくのを感じた。薄れていく視界の中に、胸に穴の開いた〈騎士〉が落下していく様が映った。〈灯火〉は消えていた。一方のザイドもまた、多量の血を流し、白い焔に燃やされながら落ちていった。
いつの間にか、大聖堂の中は酷い火災だった。炎に阻まれて周囲の様子はほとんど分からず、万全の状態でも無事に外に出られるか怪しいほどだった。ユスティアは今にも気を失いそうで、まだ自力では動けないかも知れないフローレンスだけでも助けたかったが、それも叶いそうになかった。
「約束を守ってくれたようで、安心しました」
アーカムの声だった。彼女はフローレンスを助け起こすと、ユスティアの方へ歩いてきた。
「アーカムさん。ユスティアを連れて、先に行ってください」
「あなたはどうするつもりですか。大聖堂が焼け落ちるまで、もう時間がないんですよ」
「ザイドと話をしなければなりません」
「だめです。立っているのもやっとの人を置いていけません」
「……お願いします。まだ少しは〈灯火〉が使えるので、わたし一人なら何とかなります」
アーカムは溜め息をつき、ユスティアを抱き上げた。
炎の中へと歩みを進めるフローレンスを、ユスティアは呼び止めたかった。
「フローレンス……」
しかし、弱々しい涙声しか出なかった。それでも呼びかける声が聞こえたのか、フローレンスは振り返り、優しく微笑んだ。
彼女はこんな風に笑うのだと、ユスティアは初めて知った。
フローレンスは炎の中に消えていき、ユスティアの視界は暗闇に包まれた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。