第19話 陰謀
ユスティアは少しの間、フローレンスと二人だけで話をしたかったが、それが叶わないことは分かっていた。彼女に再会したとはいえ、異端審問に関する問題は何も解決していなかった。
戸惑ったような表情のフローレンスから視線を向けられることが気恥ずかしく、ユスティアは対峙するミカエラとレイフォードの方を見た。
「レイフォード教会長。私はミカエラ・ガブリエル。枢機卿だ」
「存じております」
「では、私の言葉を疑うことはないな。そこに転がっている男は、確かにヴェインだ」
ミカエラはヴェインを指さした。彼は縛り上げられて口も塞がれているため、芋虫のようにもがくことしかできなかった。
「彼は魔人だ。その正体を暴かれると、今の姿になった。おそらく、身体的な全盛期まで若返ったということだろう」
「……いくら猊下のお言葉でも、容易に信じられる内容ではありません」
「そうか。少しは自分の頭で考えられるようで、安心したよ。君に疑われなくとも、説明するつもりではあったが」
レイフォードはミカエラとヴェインを、猜疑に満ちた目で見比べていた。
「まずは確認させてくれ、レイフォード。フローレンスを異端審問にかけることにしたのは、なぜだ?」
「神の敵たる魔物の傷を癒したためです」
「確かに、それだけを聞くと印象は悪い。だが、フローレンスにも言い分はあるはずだ。私の知る限り、君はそこで暴挙に出るような人間ではない。少しでもそれらしい理由をつけられるのなら、問答無用で彼女を異端審問にかけるように、と誰かに指示されていたのではないか?」
「それは……」
レイフォードは言葉を濁した。代わりに、アーカムが質問に答えた。
「直接の指示はヴェインから。どこでそれを知ったのか、アリスが積極的に賛意を示していたことも、ある程度は影響したかも知れません。ちなみに、レイフォードはヴェインの目的が聖女の遺灰であることは教えられていますが、遺灰を用いて何を行うのかは知らされていません」
「お前は黙っていろ、アーカム」
「黙りません。分かりませんか? この状況でヴェインに肩入れしても、あなたに先はない。今ならまだ、助かる可能性があります」
アーカムはフローレンスに目配せした。
「あなたが改心するのなら、命までは取らない。そのように口添えすると、フローレンス様が約束してくださいました」
「……余計な真似を」
「私は、あなたに生きていてほしいだけです。恩人を救うためなら、その当人を裏切るくらいのことは、ものの数ではありません。どうか、正しい道に戻ってください、父さん」
父と呼ばれたことが衝撃だったのか、レイフォードは絶句していた。
「レイフォードを許すつもりなの、フローレンス?」
ユスティアが尋ねると、フローレンスは首を横に振った。
「アーカムさんのためよ。レイフォード教会長には興味ないわ」
ミカエラがフローレンスの方を振り返った。
「君の意向は分かった。私個人としては、元より死罪を問うつもりはなかったが、事の大きさを思えば、評議会にかけられることになるだろう。善処はするが、確約はできない」
「わたしはアーカムさんに約束しました」
「ああ。君が強情なことは知っている。約束したと言うからには、是が非でもそれを守るのだろう」
「フローレンス・オリヴィアは悪人のはずです。評議会でも、そのような結論に至ったのではなかったのですか」
旗色の悪さのためか、レイフォードは絞り出すような苦しい口調で発言した。
「それは非常に偏った意見だと言うほかない。少なくとも、評議会の結論ではない。君はそれを信じ込み、それならば、遺灰などという不確かな伝承のために人を殺めることも許されると考えたのか」
「それは……いえ、私はそのようなことは……」
レイフォードは頭を押さえてうずくまった。彼は呻いていた。
「どうした?」
「分かりません。急に、強烈な頭痛が……」
レイフォードは悲鳴を上げて悶え苦しみ、気を失ってしまった。アーカムが心配そうに様子を確認していた。
「茶番劇は終わりということかしら」
ユスティアは発言の主を探した。アリス・ベスターだった。
「暗示が解けてしまったようね、クロード。問い詰められただけで解けるような術だとは思わなかった。大事な場面だったのに」
「枢機卿などというご大層な邪魔が入った時点で、大して違いはなかったでしょう。それより、このような割り込み方をすれば、疑ってくれと言うようなものです。どうするつもりですか、アリス様」
「レイフォードが使いものにならなくなっても、ヴェインが残っているわ。クロード、彼を解放しなさい」
「承知しました」
ヴェインの身柄を押さえていたレッドは、警戒するように身構えた。クロードはその場から動かず、芝居がかった仕草で指を鳴らした。ヴェインを拘束していた鎖が塵になって消えた。
「動くな」
レッドはヴェインに剣を突きつけた。ヴェインがその切っ先を指で摘まむと、青白い炎が生じた。レッドは剣を取り落とした。高熱によって刀身が融けていた。ヴェインは立ち上がって移動し、アリスの前で膝をついた。
「助かりました。ありがとうございます、アリス様」
リリアがアリスに話しかけた。
「アリス・ベスター。あなたとは知らない仲ではないわ。これは一体どういうこと?」
「どういうことか分からないのなら、私のことはよく知らないということよ、リリア・バートラム」
「あなたがレイフォードを操っていたの?」
「ただの暗示よ。思考の方向性に少し干渉しただけ。洗脳ではないから、操ったとは言えないでしょうね」
そのとき、アーカムがアリスに斬りかかった。彼女の剣の刀身からは、粘りのある黒い炎が滴っていた。ヴェインが割って入り、闇魔術によって作り出した赤黒い剣で斬撃を受け止めた。
「〈黒夜〉を使う人間だと?」
クロードが怪訝そうに呟き、周囲からも息を飲むような音が聞こえていたが、アーカムは全く意に介していないようだった。
「よくも父を……」
「お前がレイフォードの娘だと? 愛人か何かだと思っていたよ」
ヴェインは卑劣な笑みを浮かべた。それを見たアーカムは、さらに激昂したようだった。
両者は数瞬の間に激しい剣戟を繰り広げ、アーカムがヴェインを肩口から斜めに切り裂いた。ヴェインの傷口には〈黒夜〉の黒い炎がまとわりつき、彼の身体を焼いていた。
「消えない。火が消えない。助けてください、アリス様」
ヴェインは叫び、床の上でのたうち回った。アリスはごみを見るような目で彼を見下ろしていたが、溜め息をつくと、〈神世の灯火〉の白い焔をヴェインに垂らした。わずかな焔だったが、ヴェインの全身が白く燃え上がり、やがて悲鳴も聞こえなくなった。
「クロード。ヴェインが死んだわ。魔人といっても、あまり強くはないのね。役立たずだったわ」
「生かしておけば、もう少し使えたと思いますが」
あまりの光景に、アーカムはアリスから距離を取っていた。ユスティアとしては、王都であれほど苦労して倒したヴェインが容易く殺されたとは、目の前で起こったことでなければ信じられなかった。
「みんな呆然としているから、わたしから言うわ。アリスさん、あなたは結局、何がしたいの? それとも、クロードさんに聞くべきかしら」
フローレンスが尋ねると、クロードが答えを返した。
「もちろん、アリス様は予定通りあなたを火刑に処してしまいたいのですよ」
アリスが同調した。
「ええ、その通りよ」
「とはいえ、アリス様が〈灯火〉や火炎魔術などを振るったところで、あなたに危害を加えるのは難しいでしょう。その点は想定通りですがね」
「私よりも、あの女の方が優れていると言うつもり?」
「事実ですから、仕方ありません。ですが、私が愛しているのはあなただけですよ、アリス」
クロードは甘い声で囁き、アリスに口付けた。彼女はうっとりとした表情を浮かべて目を閉じ、キスを受けていた。次の瞬間、クロードはアリスの胸に手を突き刺した。彼の手は皮膚を破り、心臓に達したと思われた。アリスは目を見開き、信じられないものを見るようにクロードを凝視していたが、徐々にその目から光が失われていき、彼女は事切れた。
クロードはアリスの胸から手を引き抜いた。彼女の胸に空いた穴からはおびただしい量の血が流れ出した。クロードは手に何かを握っていた。
それは未だに弱々しく脈打つ、アリスの心臓だった。
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