第18話 異端審問
各地の大聖堂の内部構造は共通している。バートラム領のそれを初めて訪れたフローレンスは、見慣れた光景を目にすることになった。
大聖堂を訪れた者の視界には、まず、整然と並べられたいくつもの長椅子が映る。天井はかなり高く、意識して見上げなければ視界には入らないが、そこには天の光景とされる抽象画が描かれている。
並ぶ長椅子の中央には広い通路が設けられ、そこから奥へと視線を転じると、こちらに向けて置かれた空っぽの椅子が目に入る。幾何学模様のステンドグラスを透過した光に照らされたその質素な椅子は、空の玉座と呼ばれる。そこは神の座す場所だった。
礼拝時には、人々は空の玉座に神がいるものとして祈りを捧げた。
神の裁きを代行するため、異端審問は大聖堂で行われることになっていた。フローレンスは特に拘束されていなかったが、首筋にはアーカムの手で剣が突きつけられていた。彼女は空の玉座の前で足を止めた。神の御前での裁きだった。
「ひざまずけ」
空の玉座の隣に立つレイフォードがフローレンスに命じた。
「お断りします。部外者が見ている訳ではないんですから、形式にこだわらずに進めればいいでしょう」
彼女の言葉通り、大聖堂内は閑散としていた。フローレンス、アーカム、レイフォードのほかには、アリスとクロードが長椅子に座っているだけだった。
「神の御前であることを忘れたか」
「この場にいる五人のうちの一人でも、本当に信心深い人がいるのなら、その言葉にもいくらかの価値があったことでしょう」
レイフォードは形だけでも怒りを示すだろう、とフローレンスは思ったが、彼は淡々としていた。
「まあ、いいだろう。それでは、神の意思に背く大罪人、フローレンス・オリヴィアの異端審問を開始する。罪状は、神の敵たる魔物に情けをかけたこと。〈神世の灯火〉を与えられ、元とはいえ聖女であった者がそのような行いをしたことは、決して許されない。その罪の清算は、火刑によってのみ為し得る。
しかし、神は慈悲深く、全ての者に一度は機会を与えてくださる。従って、今このときに限り、弁明を許可する。これが最後の機会だ」
「わたしは最善を尽くしました。これ以上、何をどうしろと言うのでしょうか」
「その発言により、弁明の機会を放棄して、罪を認めたものと見なす。さて、この場に集まった者の中に、この罪人について言うべきことのある者がいるのなら、発言を許可する」
この場にフローレンスを擁護する者はいなかった。誰も発言することはないと思っていたが、アリスが咳払いをして、立ち上がった。
「それでは、私から申し上げましょう。罪の清算は火刑によってのみ為し得る。これは間違いです」
レイフォードは眉をひそめた。
「ただ火刑に処すだけでは不十分です。許されざる行いを働いたというのなら、なぜ拷問の一つもしないのでしょう。その女には反省の色が全く見えません。であれば、自らの罪を心から悔いるまで、徹底的に苦しめなければなりません」
「裁きを下すに際して、無用な苦しみを与える必要はありません」
「神が慈悲深いと言うのなら、あなたも慈悲深いようね、レイフォード。神の下すべき裁きを教会長ごときの権限で変更しようとは、いつから道化役者になったのかしら」
「アリス様、罪人が裁かれることに変わりはありません。そのくらいにしていただけますか。教会長ごときの権限でも、あなたをこの場から退出させることはできます」
「嫌よ」
レイフォードは露骨に顔をしかめた。フローレンスは彼にわずかばかりの同情を覚えた。
「神に反旗を翻す者であれば、〈神世の灯火〉でよく燃えるはずよ。私自ら、その罪人を浄化してあげるわ」
「なりません。正式な手順があります。そこに聖女様の関わる余地はありません」
「アリス・ベスターさん、でしたね。あなたには、わたしを憎む特別な理由でもあるんですか?」
言い合いを聞くのに飽きたフローレンスは、レイフォードの言うところの正式な手順を無視して発言した。アリスに辟易していたのか、彼は勝手な発言を咎めてこなかった。
「この私を愚弄した平民を好ましく思う理由があると思うのかしら。性格だけでなく頭も悪いとは、本当に救いようがない」
「たったそれだけの理由で、人を拷問にかけようとするんですか」
「ええ。私はベスター男爵の息女、紛うことなき貴族なのよ。つまり、あなたは不敬罪でも裁かれなければならない。私には、その裁きを決める権利がある」
見るに見かねたのか、クロードがアリスに声をかけた。
「そのような法はありませんよ、アリス様」
「付き人は黙っていなさい」
「そうは参りません。さすがにあなたの印象が悪くなります。試しに、聞いてみましょうか。フローレンス・オリヴィア、あなたはアリス様のことをどう思いますか?」
「悪魔のように邪悪、と言わせてもらいます」
これまで、フローレンスにとって、高慢で嫌みな貴族の代表はイヴリン・フラドラントだったが、少なくともイヴリンの表向きの振る舞いはきちんとしていた。陰湿な発言はあっても、一応の理屈は通っていたと言えた。アリスにはそれすらなかった。
「悪魔ですか。面白いことを言いますね」
クロードは肩を震わせて笑い出した。興を削がれたのか、アリスは不満げな様子で椅子に座った。
レイフォードが咳払いをした。ようやく異端審問を再開できることに安堵しているようだった。
「さて、ほかに発言する者がいないのであれば――」
背後から大きな音が聞こえて振り返ると、大聖堂の扉が開け放たれていた。何者かが歩み入ってきたが、逆光に照らされてその姿は判然としなかった。
「誰だ?」
レイフォードが咎めるように尋ねた。
「ユスティア・ローレン。フローレンスを迎えに来ました」
「ようやくですね」
そう呟くと、アーカムは剣を引き、フローレンスから離れた。
ユスティアはフローレンスの目の前まで歩いてきた。彼女は決然とした表情をしていて、それは異端審問に割って入るという状況のせいだとフローレンスは思っていた。そのため、ユスティアに抱き締められたとき、彼女は何が起こっているのか分からなくなってしまった。
「ユスティア……?」
「フローレンス。よかった。また会えた。あなたにもしものことがあったら、私にはとても耐えられない」
「ユスティア。わたしに何かあっても、悼んだりしないんじゃなかった?」
「酷いことを言ったのは謝るわ。私、本当はあなたのことをとても大切に思っているの。あなたにはただ、あなた自身の幸せを考えてほしいのよ」
フローレンスはユスティアの背中に腕を回した。気持ちの整理がつかず、しばらく二人は黙って抱き合っていた。
「すまないが、そろそろ俺も喋っていいか?」
気まずそうなレッドに声をかけられて、二人は慌てて離れた。彼の方を見たフローレンスは、鎖で縛られた男が転がされていることに気がついた。
「レイフォード教会長。この男のことは知っているはずだ」
「見覚えはない」
「そうか? 面影はあるらしいんだが。こいつはヴェインだ」
「ヴェイン猊下は老齢だ。この男のような青年ではない」
「詳しいことはガブリエル猊下から聞いてくれ」
リリア、ミカエラ、ロゼが大聖堂に入ってきた。ミカエラとロゼの姿を見たフローレンスは困惑した。
「話は後だ、フローレンス。先に済ませなければならないことがある」
ミカエラがレイフォードを睨みつけていた。
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