第17話 帰還
青白く燃え盛る炎の矢がユスティアを目がけて放たれた。彼女は身を固くした。軌道を見極めてかわすしかないと思った。〈火喰い竜〉が長い尾を振り回して、大半の矢を弾き落としたが、ヴェインは次から次へと矢を放った。
〈竜〉の尾をかいくぐった炎の矢が三本、別々の方向からユスティアの心臓を狙っていた。彼女は横に飛んで一本目をかわした。床に転がる彼女を射抜こうとした二本目は、ミカエラの風魔術によって切断された。
続く三本目が風の刃をかわして眼前に迫り、ユスティアは激痛を覚悟した。しかし、その矢は見覚えのある白い焔に包まれて燃え落ちた。
ロゼが肩で息をしていた。
「ユスティアさん、無事ですか……?」
「助かったわ。ありがとう、ロゼさん」
ユスティアは立ち上がった。炎の矢は打ち止めのようだった。見ると、〈火喰い竜〉が炎の渦を押し返しながらヴェインに迫りつつあり、彼はそちらに注力しなければならないようだった。
〈火喰い竜〉は大量の炎を食べたことで力を増していた。しばらくは任せられると判断して、ユスティアは今のうちに策を練ることにした。
「ミカエラ様、魔人を捕える手段はあるんですか」
「ああ。当たってほしくない予想だったが、想定はしていたからな」
ミカエラは腕輪のようなものを取り出した。
「〈神世の灯火〉を用いて鋳造されたものだ。まだ試験段階だが、魔物の力を封じる効果が確認されている。魔人も原理的に同じような存在だから、通用するはずだ」
「では、とにかく一度、倒してしまえばいいんですね」
「そうだ。しかし、油断するな。ヴェインがどれほどの力を隠しているか分からない」
ヴェインは炎の渦を消した。〈火喰い竜〉が彼を踏み潰そうとしたが、簡単にかわされていた。
「炎が通用しないことはよく分かった。魔人としては、俺は未熟なようだ。業腹だが、仕方ない」
彼の手元に赤黒い光の粒子が集まり、短槍を形作った。ホロウとの戦いでフローレンスが用いたのと同じ、禍々しい闇魔術だった。魔物であるホロウには痛手を与えなかったが、〈火喰い竜〉は魔物ではない。
〈竜〉は口を大きく開け、取り込んでいた青白い炎を火球として吐き出した。ヴェインは不快そうに顔をしかめて、短槍を投げた。
短槍は火球を突き破り、〈竜〉の首に突き刺さった。彼はおびただしい量の血を撒き散らしながら、床に崩れ落ちた。ユスティアの全身に激しい痛みが走り、彼女はその場に倒れ伏した。召喚された存在が負った傷は、苦痛として術師に跳ね返る。
〈竜〉は起き上がろうともがいていたが、霧が散るようにその姿を消した。ヴェインが鼻で笑った。
「他愛もない」
ユスティアは歯を食い縛って、痛みに耐えた。ロゼが〈神世の灯火〉で痛みを和らげようとしてくれたが、それほど力がある訳ではないらしい彼女に無理はさせられなかった。どちらにせよ、効果がないことは分かっていた。傷の深さだけ痛みは続く。苦痛のあまり、命を落とすこともある。それが召喚術師の宿命だった。
ミカエラが前に出て、ヴェインと向かい合った。彼女は振り返らなかった。
「君は休んでいろ。ロゼ、ユスティアを守れ」
「まだ続けるのか。大人しく、三人まとめて死ぬつもりはないのか?」
「あるはずがないだろう」
「もう面倒だ。極大の一撃をくれてやる。防御に専念するといい」
ヴェインの頭上の空間に亀裂が走り、裂け始めた。亀裂の中は見えなかったが、そこから赤黒い光が漏れ出していた。何らかの闇魔術だった。ミカエラは両手をかざし、対抗するための術を編み始めたようだった。
ユスティアの手元に〈火喰い蜥蜴〉がひっそりと戻ってきた。彼は深手を負ったことで地竜から蜥蜴に戻ったが、まだ送還されていなかった。ユスティアは〈蜥蜴〉をロゼに渡した。
「もう一度、〈灯火〉を食べさせて。傷が治るから」
「分かりました」
ロゼの手から湧き出る白い焔を〈蜥蜴〉が口に入れるたびに、ユスティアの苦痛は和らいでいった。
ヴェインの頭上の亀裂から、赤黒い剣が滑り出た。彼がその剣を手に取ると、亀裂は消えた。
「知っているか。これこそ、闇魔術の極致の一つ。冥王の紛い物だ」
「極致とは大きく出たものだ。ところで、お前は知っているはずだな。私が風魔術以上に、守護術を極めた身だということを」
「得意気に語るほどのことか? 用意する時間がなければ使えない不便な術だ」
ヴェインとミカエラたちを隔てるように、半透明の障壁が出現した。薄くて脆そうな外観だったが、ユスティアには、それを破壊するのは非常に困難だと分かった。
ヴェインが剣を振り下ろした。それを受け止めたミカエラの障壁には、徐々にひびが入っていった。
「ごめんなさい。これ以上は無理です」
ロゼはユスティアに〈火喰い蜥蜴〉を返した。〈灯火〉をたっぷり食べた彼は元気な様子で、ユスティアの苦痛も消えていたが、代わりにロゼは疲労のあまり倒れかけていた。
「ありがとう、ロゼさん。何とかしてみせるから」
ユスティアは〈虚空の騎士〉を召喚した。中身のない甲冑に〈蜥蜴〉を手渡し、彼女はミカエラの方を確認した。障壁は間もなく崩壊するが、ヴェインが剣を振り抜くには、そこから一拍の間がありそうだった。
〈蜥蜴〉は甲冑の隙間から〈騎士〉の右手の内側に入り込んだ。これで、〈騎士〉の右の拳は〈神世の灯火〉を帯びるはずだった。
ミカエラの障壁が崩壊した。ヴェインは反動でのけ反り、体勢を立て直して剣を振ろうとしていた。そこへ〈騎士〉が飛び込んだ。右手の内側では〈蜥蜴〉が全身から白い焔を吹き上げ、〈騎士〉の拳を包んでいた。
ヴェインが剣を振るよりも早く、〈騎士〉が彼を殴りつけた。ヴェインは呻いて剣を取り落とし、〈騎士〉は何度も彼を殴打した。〈灯火〉の白い焔がヴェインを焼き焦がし、彼は気を失った。
ミカエラが駆け寄り、腕輪のようなものをヴェインの手首につけた。
「これで、彼は無力だ。警戒は怠らないようにするべきだが、ひとまずは安心していい」
教会には同じように〈灯火〉を用いて鋳造された鎖なども保管されていて、念のためそれらで拘束するということだった。
「できるだけ早く、バートラム領へ向かおう。君の回復次第かな、ユスティア」
「……ええ。飛竜に乗って行きます。速度はともかく、快適ではありませんよ」
「飛ぶのか。それなら、私が追い風を起こそう。こちらに来たときよりも早く戻れるかも知れないな」
人数が四倍に増えたにもかかわらず、帰りの飛行は五時間ほどだった。ユスティア、ミカエラ、ロゼに加えて、厳重に拘束されたヴェインを運ぶことになった〈疾風号〉は、当初こそ不満そうにしていた。速く飛ぶことが彼女の喜びであり、余計な荷物が増えることを嫌がるのは当然だった。しかし、ミカエラの風魔術による追い風の補助のおかげで、かつてないほどの加速ができることに気づくと、一転して〈疾風号〉は狂喜した。
〈疾風号〉は出発したのと同じ、バートラム家の邸宅の庭に着陸した。月明かりに照らされた〈疾風号〉はご満悦の様子だった。ヴェインは再び気を失い、ロゼは今にも吐きそうになっていた。ユスティアも足下がおぼつかなかったが、ミカエラは平然としていた。
いつから庭に出ていたのか、リリアが駆け寄ってきた。
「ただいま戻りました、リリア様」
「おかえりなさい、ユスティア。そして、当地へようこそお越しくださいました、ガブリエル猊下」
「しばらくですね、バートラム卿。突然ですが、父は今、こちらにいますか?」
「ええ。ルークさんなら、少し前に戻ってきました。呼んできましょうか」
「後で構いません。そこに転がっているヴェインの監視を頼むだけですので」
リリアはそこで初めて、ヴェインに気づいたようだった。
「これで、異端審問を止められるでしょうか。ルークさんが教会内を探ったところ、明日の朝から行われることになっていたそうです」
「事前に止めることは不可能ではありません。しかし、証拠もなくヴェインを拘束している状態ですから、レイフォードは到底、納得しないでしょう。もちろん、彼を黙らせることは可能ですが、ヴェインの目的が分からないままだという問題があります。ほかに協力者がいるのかというようなことも含めて、彼は全く口を割りません」
「異端審問の場でその手がかりを得られるのではないか、とお考えですか。確かに、後顧の憂いを絶つためと考えれば、悪くないかも知れません」
「フローレンスには酷ですが、事ここに至った以上、全てを明らかにするのが最善でしょう」
「私は反対です……が、フローレンスならお二人に賛成するだろうと思います」
ユスティアは口を出したが、疲労のせいで弱々しい声になってしまった。
「フローレンスを大切に思っているはずのお二人が、彼女を利用するようなことを相談しているのが、とても嫌です。ですが、フローレンスがそれを当然のように受け入れると想像できることは、もっと嫌です」
ユスティアはうつむいた。涙が込み上げるのを感じた。
「あなたは少し休みなさい。王都でのことは、ガブリエル猊下から伺っておくわ」
彼女は返事もせずに立ち去った。
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