第16話 魔人

 ユスティアは顔をしかめる老人を睨みつけた。彼が年を取っていることは間違いなかったが、年齢によって衰えた印象は一切なく、眼光の鋭さが際立っていた。彼はミカエラと向かい合って座り、彼女の後ろに並んで立つユスティアとロゼを不快そうに見ていた。

「急用だと騒ぐから通してやったが、何の用だ、ガブリエル。曲がりなりにもお前が枢機卿でなければ、追い払っていたところだ」

「想像はついているだろう、ヴェイン」

 ヴェインの邸宅を訪問すると決めてからのミカエラの行動は速かった。早馬に馬車を引かせたとはいえ、一時間もしないうちに当人と対面することになるとは、ユスティアはさすがに予想していなかった。


 教会の宿舎に住み着いているというミカエラとは対照的に、ヴェインは広々とした邸宅に住んでいた。大勢ではないが使用人まで召し抱えた彼は、まるで貴族のようだった。

「お前の用件になど興味はない。言うつもりがないのなら、早く出ていけ」

「バートラム領のレイフォード教会長を知っているか」

「ああ。彼がどうかしたのか」

「異端審問を執り行うそうだ」

その言葉を聞いても、ヴェインは眉一つ動かさなかった。

「あの男がそこまでするような問題が起こったのか。つまり、お前はその情報を共有しに来たということか?」

 ユスティアの位置からは見えなかったが、ミカエラの表情が険しくなっていることは容易に想像できた。声に棘が目立つようになり、最初に会ったときのような殺気が漏れ始めていた。

「君が指示を出した」

「違う。だが、お前のその怒りを見るに、異端審問にかけられるのはフローレンス・オリヴィアだろうな。私の言った通りになった訳だ」


 唐突に激しい音がしたかと思うと、ヴェインの後ろの壁に、巨大な刃物で切り裂いたような破壊の跡がいくつも生じていた。背後から見ていたユスティアには、ミカエラが風魔術を放ったのだと分かった。

 何の予兆もなく生じた風の刃が巻き起こした被害を見て、ヴェインは溜め息をついた。

「修繕費を請求させてもらう」

「君の目的は分かっている。遺灰だ。一体、何に使うつもりだ」

「滅多なことを口にするな」

 不穏な単語が気にかかったが、ユスティアは密かに〈火喰い蜥蜴〉を召喚した。足下に現れた小さな蜥蜴は、ひっそりと床を這っていった。

「質問に答えろ、ヴェイン。遺灰をどうする気だ」

「これ以上、部外者の前でこの話を続けるな。さもなければ、次はお前が異端審問にかけられることになる」

「彼女たちは関係者だ」

「聖女はともかく、目つきの悪いおまけの女まで含めるのか」


 壁を這い上って天井を移動していた〈火喰い蜥蜴〉がヴェインの頭上に到着した。注意を引くために、ユスティアは口を開いた。

「私はフローレンスのためにここに来ました。無関係とは言わせません」

〈蜥蜴〉が淡く発光し、白い火の粉を撒き散らした。その名の通り、〈火喰い蜥蜴〉は火を食べる。白い火の粉は、あらかじめ食べさせておいたロゼの〈神世の灯火〉の燃えかすだった。

「あの女に肩入れするのなら、お前もいずれ、破滅することになる」

 ヴェインに火の粉が降りかかった。彼は顔をしかめた。

「何だ、これは?」

落下する間に火の粉は冷めて、灰になってしまったようだった。しかし、ヴェインの頭や顔に付着した灰は、途端に白い焔となって燃え上がった。ヴェインは叫び声を上げて、焔を消そうとしていた。


 元が燃えかすだったせいか、焔はすぐに消えてしまったが、ヴェインの顔は酷く焼けただれていた。

「これで決まりだ。お前は然るべき裁きを受けなければならない」

ミカエラは立ち上がり、苦痛に呻くヴェインを見下ろしていた。

「通常、〈神世の灯火〉が人体に害を与えることはない。残りかすではなおさらだ。その火傷が、お前が魔に堕ちた者であることを証明している」

ヴェインは身体を起こし、苦労して座り直した。

「疑われていたのか……。いつからだ?」

「かなり昔のことだが、お前が紙か何かで手を切ったとき、当時いた聖女が治療を申し出たことがあっただろう。お前は断った。助けが必要な人々のためにその力を使えと言って。もっともらしい言葉ではあった。あの聖女にとって、軽い傷の治療など何の負担でもないことは周知の事実で、その点が引っかかってはいたが」

「……随分と些細なことを覚えているな」

「お前がレイフォードに命じて、フローレンスを異端審問にかけようとしていることは分かっている。そして、これほどの暴挙に出るからには、相応の何かがあるのだと踏んだ」

「認めよう。詰めが甘かった」


 ヴェインが立ち上がると、彼の全身が青白い炎に包まれた。炎は瞬く間に消え、その中から現れたヴェインは、もはや老人ではなかった。彼は青年にまで若返り、火傷は完全に治っていた。

「魔に堕ちたと言ったな、ガブリエル。訂正しておこう。俺は堕ちたのではない。魔人という高みに至ったのだ」

彼は笑い出した。

「確かに、今回の異端審問は俺が命じたものだ。お前たちに知られたところで問題ではない。なぜなら、ここで死ぬのだから」

「正体を暴かれた時点で、君の計画には狂いが生じている。そう上手くいくと思うな」

そう言うと、ミカエラは爪を立てた右手を切り裂くように振った。目に見えるほどに魔力が凝集された風の刃が五つ、ヴェインに襲いかかった。

「その程度で通用すると思うな」

 ヴェインが青白い炎を放ち、ミカエラの風魔術を打ち破った。炎はそのまま、勢いを失う様子もなく向かってきた。ミカエラはロゼを引っ張って炎をかわし、ユスティアは二人とは反対方向に飛び退いた。


 間髪を入れず、ヴェインは次の攻撃に移ろうとしていた。ユスティアは天井に張りついたままの〈火喰い蜥蜴〉に指示を出し、床に飛び降りさせた。

「蜥蜴? いや、召喚によるものか。それがお前の切り札なのか?」

ヴェインはユスティアの方を向き、嘲笑った。彼女はそれを無視して、〈蜥蜴〉に話しかけた。

「許可を与えるわ。汝は翼なき地竜の王。その力を示しなさい、〈火喰い竜〉」

 赤茶けた炎が〈蜥蜴〉を中心に広がっていき、炎の広がりに合わせて、〈蜥蜴〉の身体が巨大化していった。

 地竜は雄叫びを上げた。彼は〈火喰い竜〉としての本性を現すと、少しばかり気性が荒くなる。本来の性質なのか、小さな蜥蜴でいることに不満があるのかは分からなかったが、窮屈な思いをさせることが多くて申し訳ないと、ユスティアは思っていた。


 四足歩行でありながら見上げるほどの高さになった〈火喰い竜〉は、青白い炎をまとうヴェインを見ていた。

「地竜か。図体だけの蜥蜴に何ができる」

ユスティアは〈火喰い竜〉が苛立つのを感じた。彼は機敏な動きで、ヴェインに向かって突進した。

 人体を容易に押し潰す巨体が迫っても、ヴェインは平然としていた。彼は青白い炎を渦巻くように操り、〈火喰い竜〉にぶつけた。〈竜〉は勢いを殺されて足を止めたが、なおも殺到する炎に視線を向けると、大口を開けてかじりついた。ヴェインの放った炎の渦は、固い鱗に傷一つ付けられなかったばかりか、〈竜〉のおやつになっていた。


 ヴェインは驚がくしたように目を見開いたが、動揺は一瞬だった。

「馬鹿な……と言うべきところだが、術師を殺せば、召喚術は解ける。お前を始末すれば済むことだ」

彼は矢のような形に成形した青白い炎を何本もユスティアの方に向けて、狙いを定めようとしていた。炎の渦は保たれたままで、傷つかないとはいえ、〈火喰い竜〉は身動きを封じられていた。彼が防いでいなければ、部屋中が青白い炎で燃やされてしまう。

「それが可能かどうか、試してみるといいわ」

とは言ったものの、〈火喰い竜〉の召喚を保つために多大な力を消費している状態で、彼女には自衛の手段がなかった。

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