第14話 策略
怒りのあまり言葉がつかえ気味のユスティアから報告を受けたリリアは、何をするより先に、彼女をなだめなければならなかった。
「落ち着きなさい、ユスティア。怒っていても事態はよくならないわ」
「分かっています。でも……」
ユスティアは言葉を濁し、先を言おうとしなかった。
「でも、何?」
「フローレンスは微塵も助けを求めていませんでした。まるで、何もかもどうでもいいような様子でした。彼女は自分自身のことを顧みません。それを献身や自己犠牲だと言う人もいるでしょう。ですが、それは違います。
彼女は聖女という役割に押し込められて、何もかも諦めているだけです。彼女は自分自身すら騙しています。あの方を救った人がそんな目に遭っていることが、私には許せないんです」
あの方というのは、リリアの父、先代のバートラム卿のことだった。ユスティアは彼に恩を受けたためか、とても慕っていた。
「その怒りをフローレンス様自身にぶつけてどうするの。彼女を助け出したら、恩人の恩人を大切に思っているのだと、ちゃんと伝えなさい」
「……分かりました」
ユスティアは不服そうに呟いた。
リリアは人をやってルークを呼びに行かせた。教会内の問題に関することなら、彼は力になってくれるはずだった。
「眠っているところを起こされたルーク先生は怖いですよ」
多少は気持ちが落ち着いたらしいユスティアが言った。夜明けまで数時間あり、多くの人々は眠りの中にいる時間帯だった。
「こうなった原因はレイフォード教会長にある。彼の方を脅かしてもらえばいいわ。それはそれとして、異端審問がいつ実施されるのか、具体的には言っていなかったということだけれど、あなたの予想は?」
「かなり早いのは間違いありません。ただ、レイフォードの背後にはヴェインという枢機卿がいるそうです。その人物の動向次第ではないかと」
ヴェインのことはガブリエル猊下からも聞いていた。フローレンスに直接的な危害を加えようとする可能性が最も高い者であり、彼の指示を受けて行動するであろうレイフォードのことも警戒するように言われていた。
リリアはここ数年のレイフォードとの折衝を思い返した。教会や自分自身の利益に目ざとい男だったが、その分だけ理性的でもあり、十分に話し合う機会を持てれば、互いの妥協点を探っていける相手だった。少なくとも、異端審問を強行するような狂った人物ではないはずだった。
「おそらく、そのヴェインが異端審問の場に現れることはないわ。万が一、何かが上手くいかなかったとき、その場にいれば言い逃れができないから」
「では、数日以内になるでしょうか」
「ええ。ルークさんが来たら、一緒にレイフォードに会ってくるわ。ヴェインを裏切ってもいいと思わせるだけの見返りを提示できれば、それだけで事態は収まるはず。あなたは留守番よ、ユスティア」
彼女を連れていけば、門前払いされることは確実だった。ユスティア自身もそれを分かっているのか、黙ってうなずいていた。
少し待っていると、ルークが姿を現した。
「俺は忙しいんだ、リリア・バートラム。余計なことに巻き込むな」
「このままでは、フローレンス様は異端審問にかけられます。教会長を止めるのに協力してください」
ルークはリリアの頼みに返事をせず、ユスティアに顔を向けた。
「お前が守っているはずじゃなかったか、ユスティア」
「……力及ばず」
「まあ、起こったことは仕方がない。それに、フローレンスの仕事ぶりは確かだ。俺も年だから、ああいう助手がいるのは助かる」
ルークはリリアの方を向いた。
「策はあるのか、リリア?」
リリアとルークは中心街の教会を訪れたが、警備員に止められた。
「申し訳ありませんが、教会長から、バートラム卿やその配下の人物を通さないように指示されています。押し入ろうとするようなら、教会に対する敵対行為を見なすそうです」
「俺はどうなんだ、若造? ここは俺の職場でもあるんだが」
ルークに睨まれた警備員は、申し訳なさそうな表情になった。
「あなたは名指しで、中に入れないように言われています」
「なぜだ?」
「あなたはバートラム卿とのつながりが深く、配下も同然だと」
ルークは憤慨した様子で何かを言おうとしたが、その前にリリアが口を出した。
「分かりました。教会長のご指示では仕方ありません。あなたを責めてもどうにもなりませんし。行きましょう、ルークさん」
レイフォードがこちらに会おうとしない以上、始めから交渉の余地はなかった。邸宅に戻る道すがら、リリアは次善の策を考えた。
あまりにも早く戻ったため、何も説明せずとも、ユスティアには全て伝わったようだった。
「会うこともできませんでしたか」
「ええ」
「強硬手段に出るなら、いつでも指示を出してください」
ルークが溜め息をついた。
「その先が余計に面倒だ。俺を巻き込んだ以上、後腐れなく解決する以外の道はないものと思え」
「フローレンス様のためにも、その方がいいわ」
リリアはルークに同意した。彼は自分の都合ばかり口にしていたが、私心で物事を決めるような人物でないことは分かっていた。
「それなら、どうするんですか。猶予はありませんよ」
リリアはユスティアに近づき、彼女の肩に手を置いた。
「あなたに一番大変な役目を任せるわ。覚悟はできているでしょう、ユスティア」
「ええ。何でも言ってください」
「ヴェインを王都から引きずり出す。ガブリエル猊下を味方につけられれば、不可能ではないはずよ」
「それなら、ヴェインと対峙しなくても、ガブリエル猊下に来ていただければ十分ではありませんか?」
「今回、異端審問を止めるだけなら、その通りね。でも、ヴェインを倒さない限り、同じようなことが繰り返されるわ。異端審問を命じたのは、彼にとって危険な賭けでもある。禍根を絶つには、ここが好機なのよ」
「分かりました。私一人なら、王都まで数時間ですから、日没までには戻ります」
ユスティアは早速、部屋を出ていこうとしたが、ルークが彼女を呼び止めた。
「待て。いくら辺境伯だろうが、気軽に枢機卿を動かすことはできない。まして、その代理だけが会いに行ったところで、どうにもならないだろう。いくらお前でも、行って帰るだけで一週間はかかるところを一日以内に往復するのは無茶だ。その上、説得している余裕があるのか?」
「それは……」
ユスティアは言い淀んだ。ルークに視線を向けられたリリアも、それについて答えを返すことはできなかった。
「フローレンス様のためなら、ガブリエル猊下は喜んで力を貸してくださるものという思い込みがあったのは認めます」
「それ自体は間違っていないだろう。あいつはフローレンスを気にかけているからな。とはいえ、ほかの枢機卿が関わるような話になれば、それを聞かせてくるやつの信用の問題がある。あいつに会ったことはあるのか、ユスティア?」
「ありません。でも、ほかにどうしようもないじゃないですか」
「手段はある。気は進まないが、紹介状を書いてやる」
「ルーク先生が?」
「そうだ。ルーク・ガブリエルの名において、お前の話を聞くように頼んでやる」
ルークの姓を聞くのは初めてだった。父は知っていたのだろうか、とリリアは思った。
「ルークさん。ガブリエル猊下は、あなたの……?」
「娘だ。泣き虫のミカエラに枢機卿が務まるとは、全くもって驚きだよ」
ルークから封書を受け取ると、ユスティアは庭に出ていった。リリアは彼女が飛竜を召喚し、その背に乗るのを窓から見ていた。飛竜は静かに浮かび上がったかと思うと、弾かれたように急上昇して見えなくなった。
「ほかにもやるべきことはあるだろう。手伝いが必要なら、早く言え」
「はい。ありがとうございます、ルークさん。では早速ですが――」
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