第10話 教会の騎士

 アーカムは城門の近くで待ち構えていた。警備の兵士から睨まれていたが、彼女は気にかけなかった。辺境伯配下の警備兵と教会の守護騎士の折り合いは以前から悪く、互いを目の敵にするのは習い性のようなものだった。彼らから敵意を向けられたところで、痛くもかゆくもない。彼女は悠然と夜空を見上げていた。


 密偵からの報告によれば、フローレンス・オリヴィアは魔物との戦いで疲弊している。彼女の体調を気遣いながらゆっくり街に向かっているということだった。

 フローレンスが倒れるほど疲弊した原因は分かっていた。教会の調査により、彼女は〈神世の灯火〉を持つ者としては例外的に、術の資質に恵まれていないことが分かっていた。いくら技量の点で並外れた使い手だったとしても、資質がなければ強力な術を連続して行使するのは困難だった。要するに、フローレンスはいくらか無理をしすぎた。

 奇妙なものだ、とアーカムは考えていた。

 聖女には魔術の類を使用しないよう制約がかけられるとはいえ、通常であれば、〈灯火〉という類まれな術を扱えることは、ほかの術に関しても優れた資質を持つことを意味していた。〈灯火〉にせよ魔術にせよ、聖女がその扱いに不自由することはない。なぜフローレンスがその例外なのか、教会では結論が出ていなかった。


 術の資質に欠けるということは、〈灯火〉を扱う上でも不都合なはずだったが、話を聞く限りでは、現在のフローレンスは優れた術師だった。厳しい修練、執念深いほどの研鑽があったことは想像に難くなかったが、それ故にアーカムはフローレンスという人物を量りかねた。

 ある一面から言えば、聖女は飾り物に過ぎない。彼女たちに実際的な能力は求められていなかった。フローレンスは能力を評して教会に雇われた身だったが、彼女が聖女でいるためにはほかの聖女より多少は力があることを示すだけでよく、血のにじむような努力の末に突出した力を身に付ける必要などなかった。

 思惑の分からない相手の利用価値が判断できず、アーカムは溜め息が出そうだった。


 警備兵たちが街に戻ってきた。アーカムはその一団の中にフローレンスの姿を探した。彼女は馬のような生き物の背に横乗りに座っていた。アーカムには何という生き物なのか分からなかったが、ユスティア・ローレンが召喚したものだということは察しがついた。

 ユスティアは要注意人物だった。召喚術師として優れた力を持ち、バートラム卿に忠実だが、独自の信念があるようだった。今後、重大な対立が発生したとき、バートラム卿とは利害を引き合いにして交渉できる可能性があるが、ユスティアはそれを無視して行動を起こすかも知れない。そして、彼女は単独で教会側の戦力の大半を制圧できる。


 次いで、アーカムの目にニコラス・レディングが映った。彼女には、相手もこちらに気づいたことが分かった。レディングは兵士と話していたが、足音も荒くアーカムに向かってきた。

「ここで何をしている、アーカム」

「市民が公道にいることに何か問題でも、レディングさん?」

アーカムは彼が本名ではなくレッドと呼ばれることを好むのは知っていた。知っているからには、何があっても本名を呼び続けるつもりだった。

「問題はないが、教会の守護を務める騎士なら、教会にいるのが普通だろう。ほかの場所で見かければ不審にも思う」

「他人を疑う根拠としては弱すぎるでしょう。私を特に警戒する理由でも?」


 レディングは返事をしなかった。彼は眼光鋭くアーカムを睨んできたので、彼女は視線で刺し殺さんばかりに睨み返した。

 誰かが咳払いをした。いつの間にか、ユスティアとフローレンスが近くに来ていた。ある程度は回復したのか、フローレンスは自力で歩いていた。ユスティアがレディングに声をかけた。

「お取り込み中にすみません。私たちはそろそろ失礼します」

「ああ、気をつけて帰れよ。フローレンス様、助力をありがとうございました」

「当然の務めです」


 アーカムは立ち去ろうとするフローレンスを呼び止めた。

「フローレンス・オリヴィア。教会長がお呼びです。ご同行を」

「……どちら様?」

フローレンスは問いかけるような視線をユスティアに向けたが、黙って首を振られていた。

「アーカムと申します。教会の守護騎士を務めています」

「アーカムというと、〈黄昏の竜王〉の? まさか、本名ではありませんよね」

「ええ。伝説に語られる最悪の魔物。強そうでしょう? まあ、後世の創作だというのが通説ですが」

「教会に属する者が悪名高い名を名乗るとなれば、非難されることもあるでしょう。何か強いこだわりが?」

「大した理由ではありませんが、他人に教えるつもりはありませんね」


 フローレンスが何か言う前に、レディングが口を挟んだ。

「フローレンス様はバートラム卿の客人だ。お前に連れていく権利はない」

「教会に所属している以上、教会長の指示に背くことは許されません。余計な心配をせずとも、仕事のことで少し話があるだけです」

「そんな言葉が信じられるか」

フローレンスは苦笑いを浮かべていた。

「レッドさん、わたしは大丈夫ですから。教会長にお会いすればいいんですね、アーカムさん?」


 レディングは渋々といった様子で離れていった。アーカムは警戒心も露わなユスティアに視線を向けた。

「あなたもお引き取りを、ローレンさん。オリヴィアさんは私が責任をもって邸宅に送り届けます」

「そうはいきません。バートラム卿の命により、私にはフローレンスの安全に関する責任があります。教会に連れていくというなら、私も同行します」

「先に帰っていて構わないわ、ユスティア」

「私がそんなに無責任に見える?」

 アーカムは思案した。フローレンスを一人で連れてくるように指示されていたが、ユスティアを追い払うのは難しそうだった。互いに敵意を向け合っているだけのレディングと違って、彼女はバートラム卿の指示を受けている。フローレンス自身が不要だと言っても残っている以上、穏当な手段で排除することはできそうになかった。

「仕方ありませんね。同行を認めますが、余計な騒ぎを起こさないようにしてください。くれぐれも、教会内で召喚術を使用しないように」

「心得ています」

必要だと思えばためらいなく使うだろう。無意味な口約束だ、とアーカムは思った。


 アーカムの先導で中心街にある教会に向かう道中、フローレンスとユスティアは一切口をきいていなかった。この二人は仲が悪いらしいということに気づいたが、アーカムにはそれを利用する手立ては思いつかなかった。

 アーカムの見立てでは、彼女たちは二人とも、自身の役割に忠実だった。フローレンスは元とはいえ聖女として正しい振る舞いをして、ユスティアはバートラム卿に仕える者として正しい振る舞いをする。互いのことをどう思っていたとしても、この二人が私心から相手を裏切ることはないだろう。

 こんな厄介者に対峙することになる教会長のことを気の毒には思わなかった。養父の胃痛の原因が増えることを、アーカムは密かに喜んだ。

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