第7話 見捨てられた礼拝堂
転属後の勤務初日、フローレンスは新しい職場となる礼拝堂を外から眺めて、呆然としていた。かなり古い建物で、老朽化が進んでいる。
彼女は道中に見た街の様子を思い、この対比に呆れていた。市街地は人々で賑わい、魔物の領域と境界を接する地にある街とは信じられないほどだった。同行しているユスティアによれば、ある意味で街の発展も辺境防衛の一環であり、人々が暮らしたい、守りたいと思える街でなければ、誰も危険を冒して戦ったりしない。
古い礼拝堂は街外れに建っている。教会は中心街にあり、この礼拝堂は明らかに見捨てられていた。フローレンスは遠くに見える尖塔に目を凝らした。
「これほど老朽化しているなら、安全性を考えれば、取り壊した方がよさそうですが」
「教会が中心街に移転した後、費用の関係で建て直しも取り壊しもできず、そのままになってしまったそうです。一応はきちんと管理されていますし、すぐに倒壊するような危険はないそうなので、そこは安心してください」
そう説明するユスティアの口調はどこか歯切れが悪く、彼女自身、安全性を疑っているのだと察せられた。
「新しい教会を建てるのに要した費用のほんの一部だけで、どうとでもできたでしょう。遠目に見ただけですが、立派な建物でしたから」
「教会内で色々と意見があったのでしょう」
フローレンスは礼拝堂の扉に手を伸ばしたが、ほとんど同時に中の誰かが扉を開け、彼女の手は空を切った。
礼拝堂から黒い服を着た背の高い男が出てきた。ザイドだった。彼はフローレンスに気づくと、口の端を歪めた。笑ったようだった。彼は外に出て、後ろ手に扉を閉めた。
「フローレンスだったな。こんなところで何をしている?」
「ここがわたしの職場です」
「ここが? この廃屋がお前の職場だと」
「廃屋は言いすぎでしょう。あなたこそ、ここで何を? やはり、教会関係の方でしたか」
「違う。……行き倒れていたところを泊めてもらっただけだ。金欠で宿も取れず、食事にもありつけず、散々だった。親切な老人が声をかけてくれて助かった」
「宿はともかく、あなたの場合、森で動物を狩ることは難しくないでしょう。食べ物に困る理由が見当たりませんが」
ユスティアが尋ねる声には、疑いが色濃くにじんでいた。
「召喚術師か。先日もお前たちは一緒だったな。まあ、それはどうでもいい。俺はまともな調理をされていない肉が苦手だ。獲物を狩ったところで食べる気がしない」
「難儀ですね。ところで、なぜ私が召喚術師だと思ったんですか? 先日も、フローレンス様を聖女と呼んでいましたが、あれは何だったんです?」
「見れば分かる。何を勘繰っているのか知らないが、お前たちとは先日が初対面だ。余所で話を聞いたこともない」
「……そうですか」
ザイドはフローレンスに視線を向けた。彼の訝しむような表情を見て、彼女は眉をひそめた。やがてザイドは首を振った。
「分からないな」
そう言うと、彼は立ち去った。
再び内側から礼拝堂の扉が開かれ、老人が姿を見せた。彼の容貌には、若く端正だった頃の名残があるようだった。誰かに似ている気がするとフローレンスは思ったが、誰のことかは分からなかった。
「しばらくぶりですね、ルーク先生」
ユスティアが声をかけた。口ぶりからして、彼らは知り合いらしかった。
「ユスティアか。ということは、そっちが聖女だな。いや、元を付けるべきか?」
フローレンスはルークに頭を下げた。
「フローレンス・オリヴィアと申します。今は一介の事務員の立場です」
「ルークだ。ここの管理をしている。とは言っても、掃除するくらいしか仕事はない。事務仕事をするやつが必要な場所に見えるか?」
「いいえ。正直なところ、潔く取り壊すべきだと思います」
「正直者だな。まあ、入れ。ユスティア、お前もだ。心配しなくても、掃除はちゃんとやってある」
ルークの言葉通り、老朽化していることを除けば、屋内は清潔に保たれていた。それほど大きな建物ではないこともあり、彼一人でも手が回るのだろう。
「さて、俺は大変迷惑している」
フローレンスとユスティアを手近な椅子に座らせたルークが言った。
「枢機卿と辺境伯の妙な取り決めのせいで、なぜか俺が苦労させられている。ここの教会長がどの派閥なのか、お前たちが知らないはずがない。そうだろう?」
「すみません。わたしは知りません」
フローレンスはやや遠慮しながら答えた。
「こういうことは不勉強なのか。危機意識が足りないな」
「ユスティアさんにも似たようなことを言われました」
「そうか。まあ、そのための護衛だろう。ユスティアが付いているなら、その辺りのことを俺が心配する必要はないな」
ユスティアは首を振った。
「フローレンス様の意向で、勤務中、私は別の場所にいます」
ルークは即座に反論した。
「認めない。いいか、フローレンス。どういう意図があってのことか知らないが、お前の身の安全を気にかける連中のことを無下にするな。俺に負担がかかって面倒だ」
「ルークさんは今回の事情をどこまでご存じなんですか?」
「全て知っている。お前のことで、俺はミカエラ・ガブリエルに都合よく使われている。悪いと思うなら、リリアのやつが用意した護衛くらいは受け容れろ」
「……仕方ありません」
茶ぐらい出してやろう、と言ってルークは退席した。フローレンスは先刻から気になっていたことをユスティアに尋ねた。
「ユスティアさん。先生というのは?」
「前にお話しした召喚術の制御のことは覚えていますか。あの頃にお世話になった人というのが、ルーク先生です。ぶっきらぼうに見えますが、困っている人は放っておけないんです。あの不審な男を泊めたのもそうですし、口で何と言っていても、あなたのことを見放しはしないでしょう」
それほど立派な人物なら、どうしてこのような閑職に就いているのか、とフローレンスは疑問に思ったが、ルークへの敬愛をにじませるユスティアの手前、彼女は口を噤んだ。
ルークが戻ってきた。彼はティーポットとカップを持っていた。
「昔話をするのは勝手だが、あまり誇張してくれるな。俺は暴発させないための訓練に付き合っただけだ。素質だけは立派な未熟者を放置する方が危険だった。それだけの話だ」
「先生の治癒術には大変お世話になりましたから。私が今も生きているのは、先生のおかげですよ」
ユスティアは微笑んだ。ルークは何かを諦めたように溜め息をついた。
フローレンスは改めて、ルークに尋ねた。
「では、ここでのわたしの仕事は掃除だけですか」
「ああ。この礼拝堂はもう使われていないから、ほかにすることはない。毎日の掃除と気が向いたときの点検だけだ。暇な時間は、本でも読んでいるといい」
ルークはフローレンスとユスティアに不機嫌な顔を向けた。
「お前たちは仲が悪いだろう。喧嘩は俺がいないところでやってくれ」
「なぜ、そう思ったんですか? 確かに、わたしとユスティアさんには多少のわだかまりがありますが……」
とはいえ、彼女はユスティアを嫌っている訳ではなく、あまり相容れない相手だと感じているだけだった。
「フローレンス、お前のことはよく知らない。だが、ユスティアとはそれなりに長い付き合いだ。見れば分かる」
視線を向けると、ユスティアは複雑そうな表情を浮かべていた。
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