第4話 契約

 ユスティアははす向かいに座るフローレンスの様子を窺った。馬車での旅には慣れているという彼女は、揺れをものともせずに本を読んでいた。同じことをすれば気分が悪くなる自覚のあるユスティアは、窓の外に視線を戻した。

 御者は〈お手伝い係〉の動物たちが交代で務めている。フローレンスには簡単な雑用しかできないと説明したが、彼らは使用人の仕事を一通り行うことができた。

 夜の暗さのおかげで地上からは見えないが、上空にはユスティアが召喚した〈薄氷の飛竜〉が飛んでいる。水面に張った薄氷の上を、氷を割らずに飛行できるほど静かな彼には、周囲を警戒させていた。

 盗賊や魔物を警戒するのはもちろんだが、それ以上に、フローレンスに対する追手に気をつけなければならなかった。これが急いで王都を離れた理由であり、バートラム卿とガブリエル猊下の契約の一環だった。


 いつの間にか、フローレンスは本を閉じていた。

「ユスティアさん。そろそろ、慌てて王都を発った理由を聞かせていただいても? 早く到着できるように、という訳ではありませんよね」

バートラム領までは、休みなく馬車を走らせ続けたとしても、数日はかかる。一晩待ったところで大差はなかったが、既に王都は遠くに見える光の点になりつつあり、近郊までどころではない距離を進んでいた。

 ユスティアは〈飛竜〉から伝達される情報を確認して、当面の間、問題が起こる心配はないと判断した。彼女は〈お手伝い係〉に指示を出し、馬車の速度を落とさせた。

「あなたの処遇について、評議会ではどのような話し合いが行われたか、ご存じですか?」

「いいえ」

「結果的には左遷のような形になりましたが、世間に対してあなたの存在を隠すべきだという意見も強かったそうです。教会内に幽閉する、ということでしょう」

「そうですか」


 フローレンスは顔色一つ変えることがなく、ユスティアは眉をひそめた。

「……怖くなりませんか?」

「いい気分にはなりません。ですが、それは否決された訳ですから」

「私も詳しくは教えられませんでしたが、それほど単純な話ではないようです。あなたには追手がかかる可能性があります」

「まあ、察しはつきます。評議会は一枚岩ではないらしいですからね」

 フローレンスが他人事のように言って肩をすくめるのを見て、ユスティアは溜め息をついた。

「もう少し危機感を持った方がいいかと……」

「あなたがいれば安全なのでしょう? それに、本当に追手がいるかどうかも分かりませんから」

「ええ。その警戒も含めて、あなたの身の安全を守ることが、バートラム卿とガブリエル猊下の契約です」

「引き換えに、わたしの転属先をバートラム領に」

「そのようです」


 結局、定期的に馬を休ませながら夜通し走り続けたが、明け方になっても追手の姿を見ることはなかった。〈飛竜〉を飛ばして広範囲を確認したユスティアは、ガブリエル猊下の懸念が外れたのだと判断した。

 ユスティアは〈飛竜〉と〈お手伝い係〉を送還して、自ら御者台に座った。フローレンスは車内で座ったまま眠っている。ユスティアは睡魔を振り払うと、馬車の速度を上げた。休憩を挟みつつ、日没までには街道の要衝となっている街に到着する予定だった。


 彼女は昨夜の会話を思い返した。バートラム卿からユスティアへの厚い信頼に興味を持ったらしいフローレンスは、言葉とは裏腹に関心のなさそうな表情を浮かべていた。沈黙が気詰まりだっただけかも知れなかった。

「ユスティアさんはバートラム卿と、長い付き合いになるんですか?」

「先代が健在だった頃からお世話になって、もう十年以上になります。仕事としてという意味なら、二年前に先代が亡くなってからです」

「十年以上となると、子どもの頃からですよね。どういったご関係で?」

親戚か、領地の高官の娘か、と予想を並べるフローレンスに、ユスティアは首を振った。

「私は幼少の頃に故郷を離れて、バートラム領に移り住みました。そのときにお世話になった人が先代の知己で、そのご縁です。言ってしまえば、召喚術を使える子どもを抱え込んでおけば将来的に役に立つかも知れない、と思われたということですね」

「そんな身も蓋もない――」

「いえ、私は感謝しています。両親とは折り合いが悪かったですし、そもそも彼らは故郷に残って私だけを送り出しましたから、余所の家に引き取られることに抵抗はありませんでした」

さすがに、フローレンスが家庭の事情について尋ねてくることはなかった。

「当時の私は召喚術の制御に問題を抱えていて、その点でも助けていただきました。ありがたく思わないはずがありません」


「召喚術の制御ですか。詳しく伺っても?」

 フローレンスは先の話題よりも興味を引かれたらしかった。相変わらず表情の変化には乏しいものの、いくらか雰囲気が違っていた。

「召喚術は、一般的な魔術のように訓練すれば誰でも扱うことのできるものではなく、生まれ持った素質に依存する部分が大きいと聞きます。素質がなければ、そもそも術を発動させられないとか」

「そのようです。ほかの術師を知らないので、何とも言えませんが」

「逆説的に、術を発動できるだけの素質があれば、分相応な使い方をする限り、制御に問題が出ることはないのでは?」

「意図して扱っていれば、そうかも知れません」

「つまり、子どもの頃のあなたは、無意識に色々なものを召喚してしまっていた?」

「ええ、ある事件をきっかけに。それ以前には、召喚術なんて名前も知りませんでした」


 事件と聞いたフローレンスが遠慮するような様子になったのを見て、ユスティアは肩をすくめた。彼女にとっては過去の出来事であり、振り返って人に話すことができないものではなかった。

「まだ故郷にいた頃、私は両親に隠れて、無害な魔物を飼っていたことがあります。子犬のようなもので、棒切れを持った子どもにも退治できるくらい弱い魔物です。一か月くらいは何事もなかったんですが、ある日、母にその魔物が見つかってしまいました」

 ユスティアの経験上、魔物を飼育していたという話には抵抗を感じる者も少なくない。聖女として魔物の脅威から人々を守ることも仕事のうちだったフローレンスも似たような反応をするだろう、と彼女は予想していた。

「母は慌てて父を呼びに行き、父は泣いてすがる私を無視して、あっけなくあの子を殺しました。

 その日は泣き疲れて眠ってしまいましたが、次の日から、姿かたちのはっきりしない生き物の影のようなものが私の周りに現れるようになりました。心に負った傷がきっかけとなって目覚めた召喚の力が暴走していた、ということらしいです」

「……大変でしたね」

それだけ言うと、フローレンスは視線を下げた。ユスティアは彼女の反応をどう解釈するべきか分からなかった。


 それから数日、何度か途中の街や村に宿泊しながら進み、馬車はバートラム領に入った。懸念していた追手はついぞ現れなかった。余計な心配だったと言えればよかったが、あまりにも何の問題も起こらなかったことに、ユスティアは疑念を抱いた。しかし、だからといって疑いを向ける先がなかった。


 数日間、二人きりで旅をしたフローレンスとは、特に親しくなっていなかった。向こうも同じように感じているだろう、とユスティアは思った。初日以来、会話らしい会話はほとんどしていなかった。フローレンスが他愛のない会話に興じる性質ではないのか、そもそも他人に関心がないのか、それは分からなかった。

 ユスティアにとっては、どちらでもあまり違いはない。が、バートラム卿にはどうだろうか、と彼女は案じた。

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