第8話  恐れていた好奇

仕事帰り、恵理子は満員電車の中でつり革につかまっていた。

あれから一ヶ月がたっていた。

なんとなく、ほとぼりも冷めたような気がする、深夜番組だ、そうは人が見ているわけもない。

まして街で会ったとしても、気づかないだろうと思い始めていた。

「あんたこの間テレビに出ていたでしょう」不意にすぐ横でつり革につかまっていた男に声をかけられた。

こういうときは、なんのことか分からないと、驚いたように

「なんですかそれ、誰かと人違いしていませんか」という言葉を用意していた。

でもオンエアーから、そこそこの時間がたっていたので完全に油断した。

「あっ、いやー、そのー」恵理子はせっかく用意した言葉を言うことも出来ず、しどろもどろになり立ち尽くした。

それはそうですと肯定しているようなものだった。

男は自分が人違いをしていないことを確認して、その卑猥な視線で、なめ回すように恵理子をジロジロと見つめた。

あのテレビの中の裸と、今は服を着ている姿を見比べるかのように。

「結構毛深かったよね。だって顔は普通のお嬢さんなのに、ぼうぼうで。でもそういうのは関係がないのかな」

男は恵理子に耳打ちしているつもりのようだが、元々の声が大きいのか半径二メートルくらいまで聞こえている。

目の前に座っているOLふうの子が恵理子を見上げる。

回りもいったいなんの話をしているんだろうと、その男と恵理子をみた。

恵理子はどうしたらいいか分らなくなって下を向いた。

いったいどうすればいい。

いったいどうすればこの場を乗り切れるだろう。

堅く目を閉じた恵理子には周囲の人たちの表情はわからなかった。

でも確かに自分は好奇の対象になって、大勢の視線にさらされている。

恵理子の耳に幻聴が聞こえる。

(何あの子。みんなの前でスポンポンになったの、恥ずかしい)

(清純そうな顔して、ぼうぼうってなに)

(人前で、裸になるなんて、そういうことを気にしない、恥ずかしい女なのね)

(恥ずかしい女。同じ女として、同じ車両に乗っているのもイヤだわ)

(恥ずかしい女)

(恥知らずの女)

(薄汚い女)

(恥ずかしい女。恥知らずの女。薄汚い女)

(恥ずかしい女。恥知らずの女。薄汚い女)

幻聴は全て女性だった。

恵理子にとって同性からの蔑の方が辛いということだった。

恵理子は耳を塞ぐようにしゃがみ込む。


「あんた、失礼じゃないか」上品なそれでいて力強い声が聞こえた。

「そうよこの人は私たちの友人よ、そんなものに出ていない事は私たちが証明します」次は澄んだ女性の声だった。

その場の空気が代わったのが恵理子にも分った。

恵理子は堅くつぶった目を恐る恐るあけた。

恵理子の横には二十七、八くらいのスーツ姿の男性が立っていた。

そしてその横には同じ年くらいのスーツ姿の女性が立っていた。

「山口君、不愉快だ。次の駅で降りよう、理恵子もいいね」

「ええ、こんな下品な男の人と一緒の空気を吸っているだけで不愉快だわ」

大勢の前でそんな事を言われて、明らかに好奇の対象は、恵理子から、その男に換わっていたっていた。

立場がない男は何も言えなくなってしまった。

そしてまわりの好奇、いや嫌悪の対象として、男はさいなまれる。

見上げた恵理子は好奇の対象はこうも簡単に入れ入れ替わることに驚いていた。

そして、知らぬ間に恵理子は途中湯下車をすることとなった。

何が何だかわからないまま途中下車をするが、自分は助かったと言う確信だけはあった。

誘われるままに三人で小さなレストランに入った。

レストランと言っても、腕の確かなオーナーシェフが顔見知りを相手にやっている洋食屋という雰囲気だった。

ここは二人にとって行きつけなのか、適当に料理を注文して行く。

料理が運ばれるまで恵理子は店内を見渡した。こじんまりとした本当にいい雰囲気の店だった。

そして運ばれた料理もとてもおいしい物だった。


「どうもありがとうございました」

まず恵理子は礼を言った。

あの場所から自分を助け出してくれたのはこの二人であることに間違いない。

「いや、たいしたことじゃない。でもあんな人種がいるということは悲しいことだね」

「本当に」と女性の方が相づちを打つ。

「あの」

「私のこと山口って」

「ああ、君の名前が分からなかったからね、名前も知らないのに、知り合いというのもおかしいだろう、だからとっさに」

「そういうことだったんですね」

「あっ、君の出ている番組を見させてもらったよ」

恵理子にとってショックだったのは、この二人もあの番組を見ていると分った事だった。

目の前にいる人たちは自分の一糸まとわぬ姿を見ている。

恵理子は少し顔を赤らめて下を向いた。

「あら、恥ずかしいの」と女性のほうが楽しそうに言ってきた。

「それは」

「自分の裸を見られた事が恥ずかしいの。

それとも写真に撮られたことが恥ずかしいの。

それとも、テレビに出たことが恥ずかしいの」

「全てです」と恵理子は正直に答えた。

「そうなんだ。どれも綺麗で素敵だったのに」その言い方は淡々していたが、その言葉は恵理子の中に水が砂に浸透して行くように吸い込まれた。

そして綺麗と言われたことで、心のわだかまりが溶けて行くようだった。

恵理子はそのことに感謝した。

だから思わず。

「ありがとうございますと」と言う。

「いや本当に綺麗だった。理恵子と一緒に見ていたんだけど、本当に綺麗だった」二人は綺麗と言われたことに恵理子が喜んだと勘違いをした。

確かに綺麗と言う言葉が、あの出来事の心の負担を軽減したことに間違いは無かったが、今はあの場から助けられたことが一番嬉しかった。

だから恵理子はつい饒舌になる。

「あのー。理恵子さんて、言うんですか」

「ええ、佐伯理恵子です」

「私、恵理子と言うんです」

「あら私の名前をひっくり返しただけなんだ」

「何かの縁かもしれませんね」

「でも君の裸は本当に綺麗だった。何も恥ずかしがる事なんてないのに」と今度は男の方が言う。

「嫌やっぱり恥ずかしいですよ」

「じゃあ、あなたにいい物を見せてあげようかしら」とこんどは理恵子と呼ばれた女性の方が言う。

「いい物」と恵理子は聞き返した。

「そうあなたの考えが少し変わるかもしれないもの」

「はー」

結局恵理子は二人について行った。

裸が恥ずかしい物ではない、という言葉の真意が知りたくなった。

それを知れば自分が裸になったことを、少しでも肯定出来るような気がした。




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