第7話  オンエアー

恵理子の出演したテレビ番組が放映されたのはそれから三日たった時だった。

その頃になると恵理子も落ち着きを取り戻していた。

こっちだって素人なんだし、そんな過激なところは放送しないだろうと思っていた。

あのときの恵理子はかなり緊張していたし、強烈なライトで、自分のまわり以外は暗闇のように見えていたから、どんな雰囲気だったのか興味があった。

そしてテレビに出るといっても内容が内容なので、人には言っていない。

ビデオに撮って問題無ければ見せてもいいなと言う程度だった。

もちろん忠志にも言っていない。

この間食事をしたときは最も落ち込んでいるときだったから、出演について話す機会が無かった。

それは心のどこかで自分は、忠志に心を許していないのかと思った。

番組が深夜に近いと言うのも助かった。

両親はもう寝てしまっている。

恵理子はビデオをセットして、番組が始まるのを待った。

まずはお決まりの司会者の軽いトークから始まった。

男性アイドルながら、その話ぶりはそれなりに面白く、人気のあるグループの一員だった事もあいまって、よくテレビに出ていた。

数分して本題にはいった。

「では本日のテーマは」と言って手を振り上げた。

「これだ」という司会者の後ろにある巨大スクリーンに文字が出た。


「素人娘をモデルにしちゃおうー企画、第一弾」


始まった、恵理子の胸が高鳴った。

まず街で女の子に声を掛けるところから始まった。

何人もの女の子に声を掛けてゆく、興味を示す子、示さない子。

たいていはさらっと流してゆく、そして恵理子のところになると、とりわけ長く、細かく放送された。

それでも恵理子がスタッフと話した時間の半分以下だった。

そして発表、驚く恵理子の顔が映し出される。

そしてあの写真スタジオへと代わる。

中に入ってゆく恵理子の後ろをカメラが追う。

映像を見ながら恵理子の胸が高鳴る。

確かにその場所で恵理子は主役となっていた。

その時の自分の中にあった物が分からない。

胸の高鳴りがそのせいなのか、それとも羞恥なのか、喜びなのか、恵理子にはわからなかった。

これから自分は裸をさらしてしまうかもしれない。

画面が切り替わり、メイクと衣装を着た恵理子が別人のようになって、スタジオに降りてくる。

そしてまた画面が切り替わる。

奥の方にライトが交錯している場所が写る。

そこにはまだガウンを羽織った恵理子が立っていた。

カメラはこんなに後ろの方にいたんだと思う。

リポーターが実況してゆく。

恵理子からは見えないくらい後ろにいながら、かなりの望遠なのか恵理子の表情まで、かなり鮮明に映し出されている。

でも恵理子の戸惑いや、脱ぐ事に対する躊躇は、ほぼカットされていた。

まるで恵理子が何の羞恥も無く、何の躊躇も無く、あまりに簡単に、あたかも脱ぐことに対してなんとも思っていない女の子であるように描かれていた。

乳房をあらわにされた恵理子が坂本の手によって乳首を立たされてゆくところは、かなり克明に描かれていた。

望遠でありながら、坂本に手によってマッサージされてゆく姿がはっきりと写っている。

乳首が立ったところでリポーターが声を潜めるように天才坂本を褒めるようなコメントをした。

坂本に手にかかると、どんな女でも簡単に裸になってしまう、と言うようなコメントをしていた。

いったい恵理子がどんな思いで裸になったか。

どれほど羞恥に耐えて裸になったか、番組では一切描かれていない。

そして全てをさらけ出した恵理子の姿がブラウン管に大写しにされた。

そこには一糸まとわぬ恵理子の姿があった。

かろうじてぼかしが入っている物のそんな事が問題にならないくらいの状態だった。

恵理子は動揺した。

実際に撮られているときは、不思議な恍惚感があってどうにも出来ない、なるようになれという気持ちがあった。

今こうして冷静に自分の姿を見ると、なぜ自分はこんなことをしてしまったのだろうという後悔の念に体が震えた。

恵理子は一人でも多くの人がこの番組を見ない事を願った。

とはいえこの番組はかなり人気があり深夜枠とはいえ視聴率もいい。

恵理子の知り合いも、見ていると言う話を聞いたことがある。

恵理子自身、自分でもこの番組を知っていたということが、出演した一番の理由でもあった。

そして恵理子は大きな不安にかられた。

もし知り合いがこの番組を見ていたら。

自分は普通の人がしないような取り返しのつかない事をしてしまったのではないか。

これほど大きな媒体で自分の一糸まとわぬ姿をさらしている。

とにかく自分の家族には知られたくない。

幸いにも両親はもう寝ている。

弟は出かけている。

出先だからこの番組を見ている可能性は低い、あとは知り合いだ。

仲のいい友人が驚いて電話を掛けてくるかもしれない。

とにかく電話がかかってこないことを願うばかりだった。

今恵理子の中では裸になってしまった事に対する明確な後悔が体中に広がっている。

嫌、裸になった事ばかりでは無い。

この企画に参加したことに対する後悔もあった。

でも、と恵理子は思う、あのとき「脱げー!!」と言う大合唱の中で、あの大合唱にあがなうすべはなかった。

その夜、恵理子は寝付けなかった。

寝ることの出来ない頭で対策を練った。

とりあえずしらを切る。

それにつきる、誰かに何かを言われてもしらを切り通す、恵理子にとって唯一よかったのは名前がでなかったことだった。

それだけでもしらを切り安い。


「恵理子、元気がないじゃない」翌朝、母に言われた。

「いやちょっと寝不足で」とりあえず父と母には知られないようにしなければならない。

撮ったビデオは自分の机の引き出しの一番奥に隠してある。

元々恵理子の部屋に勝手に入って来るような親ではないので、まず見つかる事はないだろう。

でも誰かが見ていて両親に報告しないとも限らない。

それでもしらを切り通すしか無い。


仕事に行こうとして、家の外に出ると世界は一変していた。

そこはいつもと代わらない風景のはずなのに、何かが違って見える。

それは恵理子の気持ちの問題のはずなのに、恵理子の目を通した世界は別物に感じた。

駅へと向かって歩くと、知らず知らずのうちに猫背になってしまう。

出来るだけ人と顔を合わせないようにする。

そんな事しなくても自分の顔をまじまじと見つめられることなど無いことは分っていた。意外とテレビなんて見られていないのかもしれない。

電車の中で注目される事も、まじまじと見られることもなかった。

会社に着く頃には気持ちが落ち着き、何とかなると思うようになっていた

堂々としている方が人違いと言ったときの信憑性が高い。

仕事場には若い人があまりいないので、昨夜の番組を見ている人は少ないと思える。

回りを見渡せば、おじさんおばさんばかりだ。

女性は自分を含めて三人、一人は主婦のパートだが、もう一人が問題だ。

渡辺敬子は一緒に入った同期という事になる、最もこの規模で同期と言ってもあまり意味が無い、定期採用よりも、途中で出たり、入ったり、する人の方が多いのだ。

特に若い女子社員など、寿退社で、次から次と辞めて行く。

一番怖いのは渡辺敬子が朝一番で自分に駆け寄ってきて昨日のことを聞かれることだった。一番見ている可能性が高いのが彼女だった。

「おはよう」と恵理子は恐る恐る敬子に挨拶をした。

「あっ、おはよう」その言い方はいつもと違わなかった。

見ていないのだろうか、嫌、確か彼女もあの番組を見ているはずだった。

それとも偶然昨夜だけ見ていないなだろうか。

それとも恵理子と気づいていないのか。

どっちにしろ、いつもどおりに振る舞い、もし聞かれたら、しらを切る。

仕事をしているとなんとなく気が紛れる。

でも何かの拍子に思い出して手がとまる。

「どうしたの恵理子」そんな時に限って敬子が話しかけてくる。

「うんうん、何でも無い」

「朝から変だよ」

「そうかな」

「何かあった」ここでテレビの事を疑っていたとすれば、これは敬子のカマカケだ、ここは何でも無いことを強調する。

「本当に何でも無い」一瞬敬子に全て話してしまおうかと恵理子は考えた。

でも次の瞬間敬子には話せないなと思った。

だからと言って相談する相手もいない、忠志にもいえない。

そして一日が終わった。

今日ほど一日が長く感じた事はない。


地下鉄のホームで自分が見つめられているような感じがした。

それは気のせいだという確証が恵理子にはあった。

そしてそれは事実だったのだ。

遠くの方で自分を見つめている男がいる。

それはそうだろう、なんかには似ていると気付く人だっている。

だからといって、変に顔を伏せたりすれば、そうですと言っているような物だ。

ここはかえって堂々としていた方がいい。

一つだけ良いことがある。

自分の顔は平凡だと言うことだ。

特に大きな特徴が無い、誰かに似ていると言われたこともないし、印象にも残りにくい。

だからああ似ているな程度でごまかす事が最善だった。

でも一端そういう視線を感じてしまうと、心の逃げ場が無い。

四六時中恵理子は誰かに見られているようで落ち着かなかった。



帰宅後、忠志に電話をした。

まだ直接的な被害は出ていないが、いつ最も恐ろしい事態が起こるか分らない。

まだなってもいないのに、その事態に恵理子は恐怖する。

嫌、なるかどうかも分らないことに恵理子は恐怖した。

このままでは自分はノイローゼにでもなってしまうのではないかと思えた。

だから恵理子は忠志に電話をした。

忠志なら今のこの状態を救ってくれるかもしれない。

でも忠志は居なかった。

むなしく留守電のアナウスが流れる。

伝言を入れることも出来ずに恵理子は電話を切った。

どこかっでほっとして居る自分がいる。

自分のあられも無い姿のことは出来るだけ人に知られたくない。

自分が忠志に相談することにより、わざわざ自分の状態を告白するような物だ。

言わなければ、知られなかった事を相談した事により、わざわざ知らしめてしまう。

恵理子はベッドの上で膝を抱えると一点を見つめた。

何もする気にならない。

気にしても何も代わらない事は分って居る。

でもその不安感は心に広がってゆく。

気にしなければあの出来事は夢だった。

そんな風になればいいと思ってもそんな事にはならない。



恵理子の様子が最近おかしい。

そんな事が分るほど深い関係になっていないはずだが、なんとなく分るような気がした。

こういう場合どうしたらいいのか、どうするべきなのか。

下手なことをすると帰って恵理子を傷つけてしまわないか。

もしかしたら、そっとしておいて欲しいのかもしれない。

もしかしたら、どうしたのと訊ねて欲しいのかもしれない。

恵理子の望んでいることなら何でもしてあげたい、でも何を望んでいるのかが分らない。

忠志だって最近では恵理子の体が欲しいと思うときだってある。

でもそれ以上に忠志にとって恵理子は大事だった。

恵理子の裸なんて、誰も見たことのない聖域だ。

それまで忠志にとって恵理子の裸を想像することすら、いかがわしい事のように感じていた。

でも忠志だってそこまで子供ではない、でも恵理子のことは大事にしたかった。

誰の目にも触れることのない聖域、それを守りたかった。

そのくせ、その聖域には自分だけは入って行きたい。

そんな二つの思いの中で忠志は自分の本当の気持ちが分らなくなっていた。


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