第4話  ヌード撮影

写真撮影は静かに始まった。

強いライトが当てられて、恵理子の視界はライトの光の中だけになった。

回りにどれくらいの人がいるのかさえ分らない、でも遠くのテレビカメラが恵理子を狙っている事は容易に想像が出来た。

「さー、まず横を向いてみようか」天才坂本の声が事務的に響く、その声は何かを作り出そうという職人の声のように恵理子には聞こえた。

それが始まりだった。

次から次に、指示が飛ぶ。

そして、様々なポーズを天才坂本は恵理子につけてゆく、イブニングドレスとその上にボレロを着た恵理子にあるときは立って、あるときは座ってと、そして、笑え、怒れと、表情の指示も飛ぶ、でも恵理子は出来ない。

そして出来ないという表情、戸惑いの表情、それすらも坂本の被写体となり得るらしい。

あるいはそういう表情を得るのが目的なのではないか、だからこそ、できない表情、戸惑う表情にシャッターが切られて行く。

表情に満足が出来たのか坂本は、

「ああ、いいよ。綺麗だ。とても綺麗だ」坂本はシャッターを切りながら、綺麗と言う言葉を呪文のように繰り返す。

そしてその言葉は催眠術のように恵理子を包んでゆく。

強烈なライトに照らされて、恵理子の精神が解放されてゆく。

それは恵理子にとって、心地のよい恍惚感だった。

なぜなんだろうと恵理子は考えた。

それは自分が見られていると言う喜び?

嫌そんな物に自分は喜びなど感じない。

ではこの恍惚感は何だ。

「ボレロとって見ようか」

坂本の声があっけないほど響く、それは本当にあっけない言葉だった。

まるで右手を上げて、みたいな感じだった。

恵理子はボレロを脱いだ。

もしかしたら自分はここで裸にならなければ、ならないのかもしれないと、恵理子漠然と予感した。

でもそれは嫌だった。

そんな事は出来ない。

ポーズをとっているうちに肩紐が垂れた。

直そうとすると容赦のない坂本の声が飛ぶ。

「直さないで」

でも直さなければイブニングドレスが落ちてしまうかもしれない。

肩紐がたれて、もしかするとイブニングドレスが下に落ちる、そう想像しただけで恵理子の顔がほんのり赤くなった。

それを天才坂本は見逃さなかった。

その瞬間、無数のフラッシュがたかれた。

一瞬のまぶしさに恵理子は目がくらんだ。

そして肩紐が完全に二の腕にかかる。

するとイブニングドレスが下がる、今はもう片側の紐で支えているだけの状態だった。

恵理子は胸があらわになるのではないかと思って身を固くした。

その時また、猛烈なフラッシュがたかれる。

「椅子に座って。どうお大丈夫」どお、と天才坂本に聞かれて、大丈夫なはずが無いのに。

「大丈夫です」と恵理子は答えてしまった。

「じゃあ胸を出してみようか」その坂本の声を聞いたとき、不思議と恵理子は冷静だった。別に自分が裸になることを覚悟していたという事ではなかった。

それなのに、その坂本の声はまるで他人事のように恵理子の耳に響いた。

でもそれは一瞬の事ですぐに恵理子はそのことを固辞した。

それは言葉ではなく、動きが止まると言うことで表現したのだった。

あるいはここにいるのが坂本一人だったら、脱いでしまったかもしれない。

でもここには大勢の人がいる。

大きなソファーに少しだけ横になるようにポーズをとっていた恵理子に、

「さあ、脱いで」と坂本の声が投げ掛けられた。

その言葉は優しげであるはずなのに、ひどく無表情で有無も言わせない強制力があった。

きっとそれは坂本だけの圧力ではない、この大きなスタジオを借りるお金、坂本への謝礼、スタッフ、準備をした人たち。

それらすべての人がここで恵理子が脱がなければ、すべてが無駄になる。

それが最も大きな圧力だったのかもしれない。

あるいはそんな事知った事では無い、と思えれば何かが変わったのかもしれない。

でも、この大きなスタジオやテレビ、スタッフ、何より天才坂本、それらの無言の圧力に恵理子はあがなう事が出来なかった。

唯一の救いは、ここは照明のライトが強すぎて、自分の周辺のところしか分らない。

まばゆく光の外はここからでは暗闇にしか見えない。

そのせいで、最低限の人しか認識できない、まるで衝立でも立てられているような錯覚に落いった。

胸が完全に出てしまうくらいにイブニングドレスがはだけると、坂本がよってきた。

そして無言のまま恵理子の胸に手を置くとわずかにその手を動かす。

それはけして気持ちのいいものではなかったが、恵理子は自分の乳首が立ってゆくのを感じた。

恥ずかしいという気持ちが恵理子の目をうつろにした。

恥ずかしさで感情が定まらない。

自分が今、何を望んでいるのか分らない。

今すぐここから出て行きたいのか、このまま自分の裸を撮ってほしいのか。

確かに恥ずかしいはずなのに、その恥ずかしいという気持ちを忘れようとする自分の心の動きもあった。

でも顔には明らかな恥ずかしいという表情が現れていた。

「さあ立ってみて」その声に恵理子は立ち上がろうとして気づいた。

そのまま立ち上がれば、イブニングドレスは簡単に足下に落ちる。

恵理子腹の上あたりにあるイブニングドレスを腕で挟むように立ち上がった。

ひどく猫背になってしまう。

その姿は全身から恥ずかしいと言う気持ちがにじみ出ている。

そんな姿を何人もの人間に見られていることが嫌だった。

裸をではない、恥ずかしいという感情が出ている姿が、恥ずかしかった。

では恥ずかしくなんてない、という態度に出れば、いくらか救われるような気もしたがそんな強い精神力もない。

「着ている物を下に落としてみょうか」とうとう来たと恵理子は思った。

それが自分に向けられている言葉のはずなのに、ひどく冷静だった。

でも次の瞬間現実を突きつけられる。

これ以上は出来なかった。

恵理子はイブニングドレスの下は何も身につけていない。

これだけの大勢の男性の前で自分だけが裸になることがどうしても恵理子には出来なかった。

「どうしたの、早く脱いで」天才坂本の声は事務的に響いた。

それは冷たく、有無を言わせない物だった。

「出来ません」恵理子はそれだけ口の中から絞り出すのが精一杯だった。

その時天才坂本の顔に一瞬の笑みが浮かんだ。

「脱げー。脱げー」というコールがどこからか、かかった。

するとその声は瞬く間にスタジオ全体に広がった。

「脱げー。脱げー」という大合唱が波のようにうねって恵理子を包む、恵理子は自分の顔が青ざめて行くのが分った。

ここはいったいどこなんだろう。

なぜ自分はこんなところで大勢の男の人たちに脱げーと、叫ばれなければならないのだろう。

恵理子は猫背のまま目をつぶった。

脱いでしまおうか。

そう思ってそれを自ら否定するように首を振った。

このイブニングドレスに下は何も身のつけていない。

忠志にだって見せたことの無い裸だった。

嫌、忠志だけではない。

修学旅行や社員旅行ですら風呂に入るときは女同士でありながらも、タオルで隠していた。それなのに、こんなところで。

「脱げー、脱げー」という大合唱は続いていた。

恵理子の目から涙がこぼれた。

それがどういうことなのか、恵理子自身にも分らなかった。

でも泣くことによって何かが麻痺したような気がした。

まるで催眠術にでもかかったかのように恵理子は腹の上で押さえていた腕を離した。

するとイブニングドレスが下に落ちた。

今、恵理子はたくさんの男の前で自分一人だけが裸になったことを実感した。

さらに大粒の涙がこぼれると、その瞬間ストロボがたかれた。

それからしばらく恵理子は泣きながら自分のすべてをさらけ出した。

そこにあったのは羞恥と歓喜。

緊張と緩和。

そして、後悔。


「はーい、おつかれ」と言ったときの坂本は汗をびっしょりかいていた。

坂本のお疲れーという声が聞こえたと同時に、恵理子の中にはどうしょうもない恥ずかしさだけが湧き上がってきた。

そこには歓喜も緩和もなかった。

でも誰もガウンをとってくれない。

しかたなく恵理子はそれまで自分が着ていたイブニングを着ることになった。

着るときは脱ぐ時の何倍も恥ずかしかった。

一刻も早く自分がさらけ出してしまった裸を隠さなければならないと言う思いに追われた。イブニングを着終わるとどこからともなくテレビのカメラとレポーターが現れて、坂本にインタビューをした。

「顔しかとっていない。撮りたかったのは彼女の表情だから」

そして坂本は恵理子に抱きついた。

「ありがとう。ありがとう」とオーバーに言うと抱いた手で恵理子の背中をたたいた。

そのとき時恵理子には、羞恥はなりを潜め、歓喜。

自分はいい仕事をしたんだな、という思いが沸いた。


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