めくるめく

がんばれ杉本裕太郎

第1話



季節が変わってしまうのを思い出して、インターン帰りの電車の窓に、取り逃がした夏が見えて思わず途中駅で降りた。河川敷を練り歩きながら、落陽に俺の未来を重ねてセンチメンタルな気分になっていると、君は現れた。


「しょーちゃん!」


ちょうど、この黒のリクルートスーツと対照的な、白の無地シャツを風に靡かせて、ビニール袋片手に、突然話しかけてきたんだ。


「おー、しょうた。久しぶり」


翔太と、祥というよく似た名を持つ二人は親友だった。都心より少し離れた住宅街に二人は同年代に生まれ、同じ小学校、中学校に通い、なし崩し的に同じ高校にも進学した。側から、自分達から、天から見ても仲良し二人組だ。しかし、受験期の鬱蒼とした空気が俺を包み込んで、硬い壁となり、彼や他人との関係を絶ってしまったのだ。


「見ての通り就活活動終わりだわ」


「へ〜……おい!靴紐解けてるぞ!」


「え?」


下を向いた俺の頭を翔太は上から叩いた。


「ワハハ」


「てめ〜」


これが二人の挨拶ようなもので、これで久闊を叙する。ここの辺りは、俺たちの遊び場でもあるのだ。河川敷をしばらく歩くと、少年野球のグラウンド。土井川ブレーブスで黄金の二遊間といえば、ショウコンビだったのだ。翔太はサッカー少年だったのに無理に誘ったんだ。今もチームはあるんだろうか。


「見た目あんま変わってないからすぐ気づいたぜ」


「三年しか絶ってないからな」


「その格好暑いだろ。ほら」


ガサガサとビニール袋をを鳴らして、取り出したものは棒が二つついたソーダアイスだった。無造作に袋を開けて、アイスを二つに割ると、翔太は大きい方を何も言わずに差し出した。


「ん!」


「ありがと」


翔太が無条件の優しさを持つのは子どもの頃からずっとだった。一口齧ると、あの頃の記憶がふっと蘇り、思わず笑いそうになるが、グッと堪えて「懐かしいな」と思い出を振り解く。


「ずっと変わってないんだもん。小学生の頃から」


「変わらないものもあるんだな」


進学、開発、転居、劣化。いろんな環境の変化によって、あっという間に人や物は変わってしまう。寧ろ、変わらないものなんてこの世にそうそうないんじゃないかと思えるくらいには。


「なあ、野球場行こうぜ。まだ練習してるだろ。混ぜてもらおう」


「ああ……」


常に同じものだなんてないんだ。太陽も、明日は違う軌道を描いて登り、沈む。天気も違うだろう。季節こそ、今変わろうとしている。めくるめく世界の中で、俺は変わってしまったものを見て、後悔とも言い難い感情をむざむざと抱えたまま、俺も変わる。


少年たちがグラウンドでノックを受ける姿が見える。バットを持つのは、俺たちを指導したあのおばちゃんだ。


「グローブのサイズ合わないだろうな」


「え?大丈夫でしょ?ほら」


翔太が手を広げてこちらに見せだ。まるで、子どもの手のように小さい。驚いて翔太の顔を見ると、信じがたいが……小学生の頃の顔に戻っていた。いや、顔だけでなく、体まで戻っている……


「おばちゃーん!」


翔太は意に介さず、チームに混ざろうとする。


「待ってよ!」


伸ばした手は彼と同じく、小さな、子どものものだった。訳も分からず、グローブを受け取ると、彼に手を引かれてセカンドのポジションに立った。


「行くよー」


ノッカーのおばちゃんの合図とともに、白球がこっちに転がって、あたふたしながら捕ろうとするも────後ろにそらしてしまった。


「しょー何やってんだい!」


おばちゃんの愛がこもった檄に「はい!」と答える。「しょー」なんて呼ぶから翔太も反応した。ああ、懐かしい。


今度は翔太の方に打球が飛ぶ。彼は素晴らしいグラブ捌きでボールを取るが……送球が大きく逸れた。


「しょー!アンタプロ野球選手なるんでしょ!」


プロ野球選手になる。今や大学三年生となって、夢を考えるより進路を考えなければならない自分には一切ない考えだった。


「なれないよ!」「ならないよ!」


翔太は、可能性があると思っているんだ。そうか、彼は今子どもだから────こちらを不思議そうな目で見るのは、翔太で、周りの子供達に聞こえないくらいの声で俺に話しかける。


「目指すって、言ってたじゃん」


「だって、もう変わってしまったんだよ。全部変わっちゃうんだ。自然も、季節も。時間や、人の影響を受けて……」


「でも、気持ちだけは自分だけのものだから」


そうだ。何もかも変わってしまっていても、自分の気持ちだけは、変えないことが出来る。それなのに、気持ちを変えてしまっていたのは、紛れもなく自分じゃないのか。

涙で視界が歪む。手で涙を拭う。翔太が、みんなから影になるように立つ。


「おばちゃーん!なんか……えーっと、祥がお腹痛いって!大丈夫か!」


啜り泣く声が出ると「大丈夫か!祥!大丈夫か!」と声を大きくしてかき消してくれる。君の、その優しい気持ちは紛れもなく変わっていない。


気がつくと、俺は一人でグラウンドにいた。手もすっかり大きくなって、リクルートスーツが砂まみれになっているのに気がついた。

ポケットに残る当たり棒は、餞別だろうか?まだソーダの香りが残っている。


「なあ、今日まだおばちゃんきてないの?」


「キャッチボールでもするかー」


子どもの声が聞こえて、昔の俺たちのと同じユニフォームに身を包んだ彼らはグラウンドの不審者をギョッとした目で見る。この気持ちを、子どもたち、いや、今の世の中の人全員に伝えたい。


「君たち、ノッカーやってやるよ」


「は、はい!」


彼らは少し訝しみながらグローブを持ち、位置に着く。俺はベンチにあったバットとボールを持ち、声をかける。


「よーし行くぞ!」


俺が打球を放つと、それに彼らは食らいつく。


「君たちの名前は?」


「はるや!」「はると!」


「よーし、はる!」


「はい!」と二人が反応する。


「友達大事にしろよ!」


はるとが逆シングルで打球を捌く。


「はい!」


「母ちゃんに感謝しろよ!」


はるやが頭を越そうとする打球をジャンプで取る。


「はい!」


俺はバットを振りながら、昔を振り返り、今も変わらない気持ちを、一つ一つ拾って行った。

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