第76話 【就職】

万九郎は、特に理由もなく、佐世保別邸に来ています。


「最近、仕事無くて、暇だなあ」


その時、


「万九郎さーん!」


声の方向を見ると、白衣姿のミサトでした。

額無しのメガネを、掛けています。


「もしかして、佐世保の中央病院で、働いているのか?」


「いえ。ドクの研究所で、マーティーと一緒に、助手をやってます」


「ほう」


万九郎は内心、ミサトについては理数系の試験の結果が抜群だったので、不思議には想いませんでした。


「マーティーが、助手・・?」


「はい。マーティー・マクフライ(Marty McFry)さんは優秀ですよ。それに、全然面白くないことばかり言うのが、面白いです」


「後半については、凄く納得したが、前半は意外だ」


「マーティーは、家庭があまり豊かで無かったから、俳優になったそうです」


「ほう」


その結果の大ヒットですから、本当にどう転ぶかは(Eventually)、分からないものです。


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今から、田平(タビラ)の研究所に、行くところです。


そう言いながら、ミサトは、89年式の真っ赤なマツダ ロードスターに、乗り込みました。


「マツダ・ロードスター」


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


ロードスター(ROADSTER)は、マツダが製造・販売するオープンタイプのライトウェイトスポーツカーである。

概要[編集]

1989年5月にアメリカで発売された。日本国内では同年8月に先行予約を開始し、9月1日に発売された。当時のマツダは5チャンネル体制を敷いており、その内のユーノス店の第一弾車種として「ユーノス・ロードスター」の名称で発売された。発売初年には国内で9307台を販売、翌年は世界で9万3626台を販売してスポーツカーとしては大ヒットとなった[1]。

このロードスターの成功を受けトヨタ自動車(MR-S)や本田技研工業(S2000)などの国産メーカーだけでなく、MG(MGF)やフィアット(バルケッタ)、BMW(Z3)、メルセデス・ベンツ(SLK)、ポルシェ(ボクスター)といった海外メーカーまでが影響を受け、中小型オープンカーが開発された。消滅しかけていたと思われていたライトウェイトスポーツカー市場が活性化する起爆剤になった[2]。

2000年には生産累計53万1,890台を達成し、「世界で最も多く生産された2人乗り小型オープンスポーツカー」としてギネスブックの認定を受けた。また、2004年の生産累計70万台達成時、2007年1月30日の生産累計80万台達成時、2011年2月4日の生産累計90万台達成時にも記録更新の申請を行い認定されている[3]。そして2016年4月22日にはついに生産累計台数100万台を達成した。

日本国外ではマツダ・MX-5(Mazda MX-5)の名称で販売されている。なお、北米ではマツダ・MX-5ミアータ(Mazda MX-5 Miata)と呼ばれており、単にペットネームのミアータ(Miata)と呼ばれることもある。「ミアータ」は古語ドイツ語で「贈り物」「報酬」を意味する[4]。マツダは2019年から国内の車名を海外名と順次統一しているが、ロードスターに関しては統一せず名前を残すとしている[5][6]。

発売直後から全国でオーナーズクラブが発足し現在も活動を続けている。誕生10周年、誕生20周年に合わせた記念ミーティングがマツダ三次テストコースで開催され、日本全国だけでなくイギリス、フィリピン及びタイからもオーナーが集まった[7][8]。

1989年から自動車メディア関係者による「メディア対抗ロードスター4時間耐久レース」が筑波サーキットで行われており、以降1991年を除く毎年9月に開催されている。北米でも2003年からワンメイクレースが大規模に開催されており、2016年からは「グローバルMX-5カップ」としてプロドライバーを目指すアマチュアの登竜門になっている。2017年からは日本のスーパー耐久・ST-5クラスへ特認[9]の形で参戦が可能になり、2021年現在はST-5クラスの約半数を占める一大勢力となっている。

初代 NA系(1989年-1998年)[編集]

開発主査は平井敏彦。後に平井の退職に伴い、サスペンション開発の担当であった貴島孝雄が主査を引き継いだ。プロダクトデザインは田中俊治、俣野努ら数名の手によるものである。

開発の発端[12] はマツダが北米に開設していたMAZDA RESEARCH of AMERICA(以下MRA)のスタッフが空港に向かう車中で「MGのようなライトウェイトカーがあれば」と話したこととされている。それを受けて、当時MRAに在籍していた福田成徳[13] らがデザインコンセプトをまとめた。デザインコンセプトは有志の手によって具体化が進められFA4型ファミリアのコンンポーネンツを使用してイギリスにある会社(I.A.D社)で試作車が製作された。この試作車はプロジェクトV705号というニックネームで呼ばれ車体色が赤色であったことやフロントボンネットの造形がボリューム感あるものだったことから福田成徳らスタッフから「りんごちゃん」と呼ばれていた。この試作車を使用してイギリス、アメリカで実際に走行試験が行われた。この走行試験は本社側から一般の人の反応を見てプロジェクトの可否を決定したいという意向によるものであった。そして、偶然それを見かけた一般車が試作車を追いかけてきて、「代金はいくらでも払うから譲ってほしい」と言われた。こうした市中の好意的反応によりプロジェクトの続行が決定され、開発コードは”P729”とされた。今でもこの試作車はマツダ社内に保管されており、2009年夏に20周年イベントのプレイベントにて展示公開された。足回りは当時同クラスでは既に珍しくなっていたFRが採用された。これは当時他社で発売されていたライトウェイト車との差別化もあり、ホンダが前輪駆動のCR-X、トヨタがミッドシップのMR2をそれぞれ開発しており、FR車が存在していなかった背景もある。


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「田平って、ドクの研究所、辺鄙なところに、あるんだなあ」


「まぁ、そろそろ俺も、仕事したいな」


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今日は、ここまでです。


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