【生月】
7月17日。
日曜日。
午前7時49分。
「びんひょん」
玄関のブザーが鳴ってる。
それが妙に五月蝿(ウルサ)い。
無職モドキにできる事っつたら、寝る事なのに。
誰だ?
「わたしよー、ワタシ」
ナノ秒単位で、分かった。
男相手のイカガわしい商売で、佐世保の健全なお父さんやお兄さんの人生を踏み台にしてウハウハやってる「悪の女王」。
「黙って聞いてれば、誰が悪の女王よ」
「違ったっけ?」
「私は王女(Princess)!女王(Queen)とは違うのよ。
「何が?」
「紛らわしいけど違うの。王女は、美しくて清らかで、ついでにおっぱいも大きい可愛い女の子なのよ」
「良い子の諸君!」
「自分の事を清らかとか言う女は、嘘付きに決まってる。俺は本当に清らかな女に会った事がない。ついでに乳房が大きいだと?俺は何かの画像以外で、おっぱいが本当にデカい女に会った事がない。
残念だが、乳房が大きい女なんか、有史来の幻なんだ。思い出せ。TV番組に出ている女が、本当に乳房が大きかった事があるか?「巨乳女」とかマスメディアとか電通が流した嘘に決まってる。俺達は、騙されている。乳なんか天地に遍(アマネ)く平坦に決まってるんだ。そうじゃ無い幸せな奴もいるかも知れないが、俺が実体に触れた事もないモノなんて、存在しないに決まってる」
「アンタ、大丈夫?」
こっちの返事も聞かずに、勝手に玄関のドアを開けた女、シャーロット・
ド・マ・ツーラ(Charlotte Du Ma Tsura)が言った。
「誰かと思ったら、お前かよ。大体、『シャーロット』だの『お前』だの面倒臭いから、お前は『シャル』でいいだろ。俺が決めた今決めた」
「近頃は何かやってるみたいだけど、無職一歩手前と言うか、ほとんど無職なのに、時たまウチの『魔亞❤メイド』に来れてるのは、私が安く飲ませてあげてるからでしょ」
クソっ。最近、ティナが寝静まった後、こっそり行ってるのは事実だから、反論のしようが無いと言うか、女は男より口が回る。とりわけ、このシャルは口が上手い。上手過ぎる。「魔亞❤メイド」がメッチャ繁盛してるのは、悔しいが事実だが、いかにも大企業の役員や社員達、大物政治家やキャリア組の公務員達、芸術なんかで名を挙げた、いかにも金持ってそうなハンサムガイ達が、このシャルを相手に、いかにも嬉しそうに大声で笑い、親しそうに話し、美味そうに超高級のラムやジン、ウイスキーやブランデー
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ブランデー(ブランディ、英: brandy)は、果実酒からつくった蒸留酒の総称。語源はオランダ語の「焼いたワイン」を意味する brandewijn から。
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を飲む、いや魔法の様に手際良く飲ませて、莫大な金を払わせているのは、悔しいが事実だ。しかも、彼ら上級国民は俺達と違って現金(cash)なんてチャチな物を使わねえ。いや、存在すら知らないのかも知らないマジで。
彼らが使うのは、専らクレジットカード。しかもゴールドカードなんてチャチなモンじゃねえ。ブラックカードだ。その存在だけが真しやかに喧伝されているが、その存在そのものは誰も知らない。ブラックカードなんて使えるのは、国民の0.000000001%。まさにナノマネタリー(Nano-Monetary← 特に意味はない)的な超超超上級国民だけなのだ。
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ナノ(nano, 記号: n)は国際単位系 (SI) におけるSI接頭語の一つで、以下のように、基礎となる単位の 10-9倍(= 十億分の一、0.000 000 001 倍)の量であることを示す。
1 ナノメートル = 0.000 000 001 メートル
1 ナノ秒 = 0.000 000 001 秒
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しかも、シャルがとにかく見た目はメッチャ良い、というか俺の語彙が足りてない。とにかく、戦慄するほどの超美人で、身体もイヤラし過ぎるものだから、そんなおっさんとかジジイどもが入れ上げて、天文学的な金を貢いでるんだそうだ。
クッソ。見れば見るほど、見た目だけは確かに事実だから悔しい。なんでコイツ、あの時てっきり一発やれたものと思ってたのに。後から落ち着いて思い出してみれば、1ミクロンすら掠りともしてなかった。
「ハア・・」。今でも、ティナが居ない時には、深く深く海よりも深い溜息を、してしまうのだった。
「今日は、アンタと話があるから来たの。上がらさせて、もらうわよ」
と、光沢が如何にも高級な黒いスパッツを脱いだと思ったら、俺と入れ違いにリビングの方に歩いて行く。
「ズンズンズンズン」って、ここ俺の家なのに(涙目)。
勝手にリビングに入って行ったかと思ったら、
「あら?」
いかにも性的で、それでいて間抜けな声が、聞こえてきた。もちろん、シャルである。
「あ、お客様ですか?はじめまして、ティナと申します」
この澄んだ声は、言うまでもなくティナだ。
最初に書いた日付からも分かるように、シャルとティナは、今日この時、初めて出会ったのである。
「ティナちゃん?ねえ万九郎、なんでアンタの家に、こんなもの凄く綺麗な女の子がいるの?」
「ごく最近、とある事情でウチに引き取って、一緒に住む様になったんだ」
「一緒に、ねえ。」
「でもねぇ。アンタは松浦佳菜様が好みじゃ無かったの?身分違い過ぎるけど」
「佳菜?まさか。日本国の公爵令嬢相当だぞ。俺なんか相手にもされねーよ。それに、色々あったけど、何となく姉みたいな感じだな、恐れ多いけど」
「ティナちゃん、コイツに何か悪いこと、されてない?」
「悪いこと、ですか?万九郎とは、一緒にいて、とても嬉しいです」
「え!?もうファーストネームで呼び合う関係なの?」
「んまぁ、なんとなく、そうなっていた」
「はい。おかしいですか?」
「別におかしくはないけど、万九郎に彼女ねぇ」
「余計なお世話だ。で、何の用だ?」
「ワタシのお店を、平戸にも出店しようかと思って」
「はあ?佳菜の膝元で、そんな事許される訳ないだろ」
「もう、佳菜様には話をしたわ。何せ平戸つて街どころか町レベルの小さな町だから、皆んな漁業を中心に良く働いてるけど、娯楽がないと仰ってたわ」
「『魔亞❤メイド』と言えば超高級店だけど、『まぁ!Maid』って名前の、庶民向けの店も展開してるのよ」
「なるほど。そっちの方なら、庶民向けにはピッタリかもな」
「でしょ。それで、どうせ今日も暇な万九郎に、運転手兼ボディガードをやって貰おうと思って」
「言っておくけど、ウチは天文学的に儲けてるから、雀の涙に毛が生えた程度なら、報酬も払ってあげて、いいわよ」
貧乏な俺が、この言葉に抵抗できるワケも無く、俺とシャルと、シャルの要望によってティナの3人が、三菱パジェロで平戸まで行くことに、なったのだった。
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「プッブップー」
一路、平戸目指して三菱パジェロが走っている。暢気だ。
まず相浦から小浦、棚方、真申、小浦と、順調に走っている。
小浦の先で、県道139号を左折。
「あら?」
「今日は急ぎでも無いんだろ?俺の好みで、なるだけ海沿いを行くことにした」
「なるほど。了解」
県道139号から、更に県道18号に左折すると、風景は海沿いにセメント製の防波フェンスが延々と続き、沢山の漁船と岬と、遠くに幾つかの小さい島々しか見えなくなる。
「ふっふっふーーん♪」
「機嫌が、いいのね」
「まぁ、佐世保松浦地区の海沿い出身の男なら、皆んなこんなモンだろ天気もいいし」
「何だか漁師みたいなこと、言うのね」
「ガキの頃は、男なら例外なく釣りしてたし、夏になれば狂った様に泳いでたな」
「アンタにも、そんな男の子っぽい時代があったのね!?今じゃあ以下略だけど」
潮風の中、三菱パジェロは走る。
「この先の岬に、『日本本土最西端の地』って割と立派な記念碑作ったみたいだけどさ」
「何言いたいか分かり易いわねえ。この風景なら当然だけど」
「ああ。記念碑から西の海見たら島だらけ。アレはひょっとして、宇宙一有り難みの無い記念碑かも知れねえ」
海沿いの県道18号から、国道204号に切り替えます。
「ずっと走りっ放しだが、そろそろ休まなくていいか、ティナ?」
「結構前から、ずっと寝てるわよ」
やっと視界が、開けた。
平戸大橋。
国道を204号から383号に切り換えると、平戸島へ向かった。
「大橋って言うから、どんなのかと思ってたのに、普通の国道と変わりないのね」
「そう言うなよ。四国に何本も橋が出来たせいで、大きな橋を渡るのが当たり前のことの様な風潮になってるけど、実際使ってるのは関門橋と、四国周辺ぐらいのモンだぜ?いや、本当に使ってる人とか、四国人と、身内が四国人な関西人とか、その程度だろ?俺だって、ここと関門橋ぐらいしか使った事ないし」
「つい最近まで人魚やってて、海の中しか知らない私が言うのも何だけど、気にする程の事かしら?」
「日本人としては、いや世界規模で見ても、大きな橋を渡る経験する人間とか、1/1000、いや1/10,000より希少だろ。関東人とか、ほぼ全滅じゃね?」
「人魚だから、よく分からないわね」
シャルにとっては、どうでも良い事らしい。いや、日本人だって同じか。
三菱パジェロは、そのまま国道383号を走り続けている。
「平戸の市街地に、そのまま行くかと思ってた」
「平戸の町は、すぐ近くだろ。それに着いても、お前が平戸の大手商事のお偉いさんとか市の重鎮に会うだけだろ?」
「それもそうね。で、何処に行くの?」
「生月(イキツキ)だ」
三菱パジェロは、県道19号を、ひたすら西に走っている。
幾つもの小さな丘が、目の前を向こうまで続いている。
この辺は、電車すら通っていない。
車で通勤なら兎も角、小学生達はどうやって通学しているのだろう。
ひたすら心が、遠くなった。
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生月(イキツキ)大橋。
三菱パジェロは、橋を走っている。
生月島に上陸してからも、ひたすら北に、走る。
左側は水平線までの青い海、右手には断崖の小高い山。
「この島の地形は、平戸とは全く違うな」
「ええ、海には砂浜なんか無いから、生月には人魚も来ないわね」
「こんな変わった地形なら、観光名所にならないかな?」
「福岡から遠いでしょ。無理無理」
「それもそうか。なんか勿体(モッタイ)ないなあ」
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万九郎とシャルが、他愛(タワイ)もないことを話している間に、ティナが目を覚ましていた。
「あら、前に動物がいるわ」
「ああ、ティナ。目が覚めたか。あれはシカだ。2頭だから、だぶん母鹿と子鹿だな」
「シカ?初めて見たわ」
「ん?俺と出会う前は、動物とか狩ってなかったのか?エルフだから、弓は上手いんだろ?」
「弓?使ったこともないわ。言ったでしょ、私は自分以外のエルフに会ったことがないのよ」
「ちょっと待って!エルフ!?ティナはエルフなの?」
シャルが突然、聞いてきた。
「ああ。なんか耳が尖ってるってのは、人間の空想らしいぜ」
「へええ。道理で驚異的に美人なわけね。人間が私より美人とか、おかしいと思った」
「お前は確かに美人だが、それ以上に存在がいやらしいだろ」
「仕方ないでしょ。人魚はいやらしいって、昔から決まってるのよ」
「まぁ、それはどうでもいいとして」
「どうでもいいの?」
「俺と出会う前のティナの食生活について、話をしていたんだ。シャルがいやらしいことなんか、俺には関係ない」
「関係ないの?店によく来るくせに」
「たまに行くだけだろ。俺には金がない。そんなことよりティナ、食事はどうしてたんだ?」
「浜や海に行ったり、山で木の実を食べたりしてたわ」
「それで足りてたのか?」
「エルフだから、生き物の命があるところが分かるの」
「へぇ」
「だから、人の多いところは苦手。佐世保くらいなら、なんとかなるけど」
「そう言えば、俺が博多に行った時も、誘ったけど断ったな」
「家のお掃除して、佐世保の総合病院にお手伝いに行く方が、私には合ってるわ」
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ゆっくりと、パジェロは走って行く。
北へ北へと、走っている。
灯台が見えて来た。
大バエ灯台。
パジェロが、ゆっくりと停止した。
凄い海。凄い水平線だ。
青い空、黒い海、少しだけ銀色の水平線。
日本の、西南西の端だ。
風が吹いている。
強い海風が、吹いている。
寂しい。心が冷たくて、痛い。
ティナは、冷たくて寒い水平線を、じっと眺めている。
感想を聞こうかとも思ったが、やめた。
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平戸の町に帰ってからは、シャルは重要なビジネス上の接待という事で、万九郎とティナは2人ぼっちにされた。
シャルから、報酬は少しだけ多めと聞いていたから、2人で新鮮なイカの刺身を食べに行った。
シャルは、ティナのことが、大いに気に入ったようだ。
良かった。
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