第29話 決断


「これが前王陛下に寵愛された女性よ。顔立ちは違うけれど、雰囲気がフィオナに似ているわよね? 母娘なら、レイティア様もこんな雰囲気の方だったのではないかしら」


 フィオナの美しい顔立ちは父親似だ。

 しかし、銀色の髪、小柄な体型、目元、耳の形、そう言ったところは肖像画の女性と似ている。遠目ではそっくりに見えるかもしれない。

 エミリアはお菓子の皿を遠ざけた。

 娘を見つめ、そっとささやく。


「でもね、ルバート伯爵は、フィオナのことが本当に好きだと思うのよ」

「そうかもしれません。ただ……あの方のことは今は重要ではありません。そうですよね、お父様」


 姉の言葉に、シリルは振り返る。

 いつの間にか、カーバイン公爵が戸口に立っていた。

 年齢を重ねても端整な顔は冷ややかで、薄い疲れが漂いつつも、隙はどこにもない。

 しかし、フィオナに目を向けた瞬間に目元が和らぎ、呑気な父親の顔で深刻そうにため息をついた。


「私からも報告すべきことがある」


 カーバイン公爵はフィオナの正面にすわる。

 すかさず用意されたお茶を飲み、両肘をついて手を組んだ。


「……今日、国王陛下より、私闘の許可を頂いた」


 シリルは一瞬息を呑む。

 しかし、すぐに落ち着きを取り戻し、目元に落ちてきたプラチナブロンドをかき上げた。


「もう私闘許可をもらったなんて、早いですね」

「陛下に謁見を求めたら、私室に呼ばれてな。私が何も言わないうちにこれを渡されたぞ。やはり後ろ暗いことがあったようだ」


 重厚な紙を使った書類をテーブルに広げる。

 シリルはちらりと姉を見た。

 フィオナは書記官の流麗な文字を見つめていたが、やがてそっとつぶやいた。


「……では、あの男に命じたのは陛下だったんですね?」

「国王陛下だったか、あるいは隠居された前王陛下だったのか。それはわからない。私もそこまで明らかにはしたくない。ただ、王家のどなたかがフォルマイズ辺境伯の次男の調査を依頼したのは確かなようだ。その後の婚約者たちについても、同様だったのだろう。結果として本人より周囲の野心を炙り出したことになったが、そこも含めてフィオナに聞いておきたい」


 カーバイン公爵は真剣な顔でフィオナを見つめた。


「我らは実力行使の権利を手に入れた。ゆえに、お前の望み通りにしてやることができる。あの男をどうしたい? 屈辱的な死を与えるか? ローグランを滅亡させるか? それとも……」

「えっ、父上、結果を考えると、さすがにそれはやり過ぎではありませんか?」

「だから第三の選択肢もある」


 カーバイン公爵はさらにお茶を飲み、テーブルの上を見て、ふと表情を緩める。手を伸ばして石造りの小さな猫をまじまじと見た。


「かわいいな。執務室に置くと和みそうだ。……さて、フィオナよ。我がカーバインの力をすれば、ローグランを滅ぼすことは可能だ。だがあの男のおかげで、フィオナが碌でもない野心に巻き込まれて不幸にならずにすんだのも事実。だから、屈辱を与えるだけで収めないか?」

「えー……。それ、どの程度までやるんです? やりようによっては、姉さんが悪女と言われるだけなんでは……」

「……お父様、屈辱とは、どのようなものを想定しているのでしょうか?」


 シリルがぶつぶつつぶやいている横で、フィオナは首を傾げる。

 なおも石作りの猫を見ていたカーバイン公爵は、そっとテーブルに戻して、ゆったりと腕を組んだ。


「そうだな……例えば、あの男に貴族が集まった場でひざまずかせて、みじめに愛を乞わせる、というのはどうかな?」

「…………は? なんですかそれっ!? そんなこと、よく思いつきますねぇっ!?」

「あの男が誇りを捨ててそこまでやれば、フィオナの名誉も回復をするだろう。皆の前で手ひどく振ってやると、スッキリするのではないかな?」

「ええー……」


 カーバイン公爵は重々しく言うが、内容はふざけた素人芝居そのものだ。

 とんでもない父の提案に、驚きを通り越して呆れ顔のシリルは、恐る恐るフィオナを見た。

 銀髪をさらりと背に流した美しい公爵令嬢は、いつもの薄い表情で戸惑いながら瞬きをしていた。


「……ひざまずく? 愛を乞う? あのローグラン侯爵が……?」


 そうつぶやき、さらに瞬きをする。

 夜会の余興であろうと膝を突かなかった男が、そんなことをするのだろうか。


「あの男が、そんなことをするとは思えません。それに、そんなことに意味があるとも思えません」

「意味はあるぞ。実は、昨夜のことは『月夜の逢瀬』としてすでに噂になっているのだ。そのせいで、王宮の私の部屋に顔色を変えたルバート伯爵が駆け込んできた。これは東部で何かあったのかと身構えたら、フィオナの気持ちを聞かれてしまった。まあ、あの男には深刻な問題だったのだろうが、肩透かしで秘書官たちが放心してしまって、しばらく使い物にならなくて困ったぞ」

「うわー、それは見たかったな! ……いや、やっぱり見たくないかも。うん、絶対にいやだな」


 シリルが笑いを必死に堪えていたが、ふと真顔になって首を振っている。

 きっと自分の秘書官たちが同じ状況になったら、と想像してしまったのだろう。

 無言で考え込んでいたフィオナは、美しい眉をひそめた。


「……まさかあの男、それを狙ったのでしょうか」

「いやー、昨夜は姉さんが自分で行っちゃったんだし、狙ったわけじゃないと思うよ。あえて言うなら、僕が姉さんに噂のことを注意しておけばよかったかもしれないと……あれ、僕のせいなのかな?!」


 焦る息子を、カーバイン公爵は呆れ顔で見た。


「……シリルよ、お前は何をしているのだ」

「え、父上、その言い方はひどくないですか?! 確かに僕も抜かったなと後悔していますけど……!」

「まあ、それはそれとして」


 抗議めいたことを言い募るシリルをさらりと無視して、カーバイン公爵はフィオナに目を戻した。


「お前たちが二人で話をしていたのを、多くのものが見ていた。なんら後ろめたいことがない証にもなるが、やはり手は打たねばなるまい。……あの男に道化を演じさせるか、ローグランそのものを潰すか。どちらを望む?」


 少し考えたフィオナは立ち上がる。

 テーブルを回り込み、父カーバイン公爵に丁寧な礼をした。


「あの男に屈辱を。ただし、念のために兵の準備もお願いします」

「いいだろう」


 カーバイン公爵は満足そうに頷く。

 フィオナとよく似た顔に酷薄な笑みを浮かべ、国王の直筆署名の入った書類をすうっと指先で撫でた。


「あの男が拒む気にならぬように、我らの本気を示してくれよう」


 冷ややかな言葉は、しかしどこか楽しそうでもあった。

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