第16話 お持ち帰り
「フィオナ嬢、話の途中で失礼しました」
「あら、無理に私に構わなくてもよろしいのですよ? それより、そちらの方とお話をさせていただきたいわ」
フィオナは背の高い男を見上げながら、艶やかに微笑む。
また悪女モードになっているなと、シリルはぼんやりと考える。同時にふと何かが気になって首を傾げる。
しかしその違和感が頭の中で言語化する前に、ローグラン侯爵は楽しそうに薄く笑った。傷跡のせいでわずかに引きつる右半面が隠れていると、整った顔立ちが引き立っている。
それがフィオナには無性に腹立たしいらしい。ついと目を逸らす。
ローグラン侯爵はまた笑ったようだったが、少し離れたところでうつむいている片目仮面の令嬢を差し招いた。
「もちろん、あなたに紹介するためにお連れしたのだよ。……ジュリア嬢、こちらはカーバイン公爵家の姉弟だ。姉君のフィオナ嬢があなたに話があるそうだよ」
「……あれは、口実ではなかったのですか?」
水路設計の専門家という令嬢は、疑わしそうな顔でローグラン侯爵とフィオナを見ている。
シリルは眉をひそめた。
一体、どんな言葉を使ってあの好色侯爵からこの令嬢を奪ってきたのやら。
……いや、なんとなく想像はできる。
きっと名前は伏せたまま「紹介したい人がいるから」とか何とか言ったのだろう。
でも令嬢は……ジュリア嬢は信じていなかったようだ。どうせ愛人になるなら、同格の侯爵で、より見栄えが良くて若い男がいいとでも思ってついてきたのかもしれない。
(……あれ? ということは、ボース侯爵は目をつけていた女性を目の前で奪われたと思っているのでは……え、いいのかな?!)
シリルは密かにボース侯爵を見た。
誰も見ていないからと油断しているのか、あからさまに恐ろしい目でローグラン侯爵の後ろ姿を睨んでいた。やはり、横取りされたと思っているようだ。
たが、フィオナが進み出たことで、誰かに紹介していると気付いたようだ。驚いた顔になり、それから眉をひそめながらフィオナを見ている。
(あー、やっぱり姉さんだと気付いたな。……危なかった)
もし、フィオナが直接声をかけに行っていたら、ボース侯爵は気楽にターゲットを変えたふりをして、より強引に距離を詰めようとしただろう。
カーバイン公爵の怒りを買う危険性より、フィオナを手に入れたり、最低でも脅す手札を手にできる可能性を取るのもおかしいことではない。
貴族の野心と欲望は際限がないのだ。
ボース侯爵からうんざりと目を逸らしながら、シリルはこっそりため息をついた。
改めて、姉を止めてくれたことを感謝したい気持ちでいっぱいだ。相手が相手だから、本当は感謝したくないが、姉がこの場にいなかったらお礼の言葉くらい言っていた。
それに、現状はかなり緊迫している。
フィオナは片目仮面の令嬢に笑顔を向けているから気にしていないが、侯爵位持ち同士の紛争の原因になってもおかしくない。
(……と思ったけど、紛争になったらローグラン侯爵が圧勝だな。闇討ちも決まりそうにないし、政治戦争でも圧勝になるのでは……いや、正面からの政治戦争なら、向こうにも勝機がない訳でもないか?)
頭の中で、ついシミュレーションを始めてしまったシリルは黙り込んでしまう。薄い微笑みは残っているが、指先がゆっくりと動いている。
頭脳をフル回転している時の癖だ。
それを、フィオナは呆れ気味に見ていた。
(夜会に来てまで、何を考えているのかしら。あの顔は悪いことよね。シリルって、きれいな顔の割に悪巧みが好きなんだから……まあ、楽しそうだから放っておきましょう)
今は弟のことはどうでもいい。
それより、もっと心が躍る相手が目の前にいる。
やや硬い顔をしているジュリアに、フィオナは優しげな微笑みを向けた。
「ジュリアさん、とお呼びしていいかしら。シリルにあなたの話を聞いたのよ。それで、ぜひお願いしたいことがあるのだけれど……あら、それより、王都を離れることになってもいいかとお聞きするのが先だったかしら」
「……王都を、離れる……?」
「ジュリアさんに依頼したい仕事があるの。でも仕事を受けてもらったら、王都をしばらく離れてもらわなければいけなくて。簡単にお話すると、私の個人的な領地の水路整備なの。誰か良い人物がいないかと探していたところでしたのよ」
「……フィオナ様の領地ですか?」
「ええ。グージルという場所なのだけれど、ご存じかしら?」
「聞いたことがあります。川が離れたところにしかないから、豊かな土壌なのに耕作地を維持するだけで大変だとか。仕事がなくてお針子をしていた頃、私だったらどんな手法を取るだろうかとよく考えていて……えっ、グージル地方はフィオナ様の領地だったのですか!?」
表情が固かったジュリアが、今は目を大きくして驚いている。
反応は悪くない。
そう判断し、フィオナはそっとジュリアの手を取って慈愛深い微笑みを浮かべた。
「もし興味があるようなら、私の家に来てくださいね。資料と一緒に詳しいお話をさせていただくわ。でも王都を離れることになるから、時間をかけてよく考えていただいてからでも……」
「絶対におうかがいします! 今すぐにでもっ!」
ジュリアはぎゅっとフィオナの手を握り返した。
さっきまでは暗い顔をしていたのに、生き生きとした表情がとても明るい。諦めたように床ばかり見ていた目は、知的に輝いている。
シリルが認めるはずだ。頭の回転がいい。決断力もある。
にっこりと微笑んだフィオナは、ジュリアの手を両手でそっと包み込んだ。
「……では、これから私の家にいらっしゃる?」
「はい、喜んでっ!」
ジュリアはほんのりと頬を染め、目を潤ませながら大きく頷いた。
片目の仮面はあるが、貴族の令嬢にしては豊かすぎる表情がよくわかる。動作も大げさなほど大きい。
喜びをまっすぐに表現する姿は、とても魅力的だ。
フィオナも、良い人物と出会えたと満足に浸る。
二人は笑顔で見つめ合い、手に手を取り合って楽しそうに会場を後にする。
……シリルは、不覚にも呆然と見送ってしまった。
二人の姿が見えなくなって、シリルはやっと我に返って、はぁっと長いため息をつく。
(――あれは一体何なのだろう。いや、アレだよな。アレしかないというか、姉さんはああいう人だから絶対にあり得ないんだけど、状況だけを見ると……あれはまるで……)
「見事なお持ち帰りだね。さすがフィオナ嬢!」
いつの間にか戻ってきたエリオットが、シリルが言葉にしなかったことをあっさり口に出してしまった。
「エリオット! 頼むから、その言葉を口に出さないでくれるかなっ!?」
「ははは。あまりにも見事すぎて、つい! ……それにジュリア嬢、あんなに明るい顔をする女性だったんだね」
恨むように睨もうとして、シリルはおやと首を傾げた。
まだ二人が見えなくなった方向を見ているエリオットの頬が、ほんのりと赤い。
(……まさか、本当に姉さんに惚れたなんてことは……いや、違うな。これはたぶん、いつもの…………まあ、いいか)
シリルは考えることを放棄した。
姉フィオナと関わった男たちが運命的な出会いをするのは、今に始まった事ではない。
そこまで考えて、赤い羽まみれのお茶目な仮面をつけた男が、なぜここにいるのかと思い至り、慌てて周りを見回した。
「……いない」
「ローグラン侯爵なら、あの二人の後をついていったよ。あれ、気付いていなかったのか? てっきり分業をすることにしたのかと……」
「ついていった? 分業?!」
「シリルでは迫力が足りないから、あのローグラン侯爵が番犬役を引き受けて、君は僕を連れて帰る役目を担ってくれたのかと……って違ったのか? まあ、安心したまえ。あの人は女性を危険な目には合わせないタイプだから!」
「君がそれをいうのか? ……でも、確かにあの侯爵が後ろを歩いているだけで効果はあるだろうな。ジュリア嬢も一緒だし……え、それでいいのかな??」
シリルは悩む。
だが、姉たちはもういないし、今日のローグラン侯爵は最初からフィオナを気にかけていた気がする。
ならば、きっと大丈夫なのだろう。
あの男は、わざわざ姉フィオナのために、ボース侯爵に喧嘩を売ったようなものなのだから。
(…………あれ? 姉さんのために? いや、そんなはずはないか。きっと何か企んでいるんだろうな。でも侯爵同士の紛争も辞さない利益というと何だろう)
首を傾げたシリルは、しかし年上の友人がポーッと頬を染めていることに気付いて眉をひそめた。
「……エリオット。だいたい想像はできるけど、君、大丈夫か?」
「あ、ああ。しかし、ジュリア嬢は……魅力的な女性だな」
「うん、そうだね。やっぱりそっちなんだ。なんというか安心したよ」
シリルはため息をついて首を振った。
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